いかせはしない 弟が死んだのだという。
それはやけに暑く、空気がベタベタと粘着質に感じるような重苦しい日だった。若干の息苦しさを覚えながらも書類に目を通していた時、真っ青になった職員が部屋に駆け込んできたのだ。
「レイン様! たった今イーストンから連絡があり、その……弟さんが、」
そこから先は覚えていない。
気がついたら、レインは薄暗い部屋に立っていた。目の前には布を被せられた何かが寝かせられている。
レインは白い布に、握り過ぎて強張った手をかけた。捲るまでのほんの一瞬が永劫にも思える。
下から現れたのは、久しく顔を見ていなかった弟だ。
「…………フィン」
弟の名を呼ぶ。
返事は無い。
部屋があまりに暗いから、目が覚めた時フィンはきっと怖がるだろう、とふと思う。 弟は人一倍臆病で、夜になるとレインにぴったりくっついて寝たものだった。小さな手で必死にしがみついてくる弟の熱を感じながら、どうやったら弟を笑顔にできるのか、そればかり考えていた気がする。
ひとまず明かりをつけなければ。そう考え、レインは扉の近くにあったランプに火を灯し、フィンのそばに置いてやった。
それでもフィンは目を覚さない。
弟の顔を覗き込む。
子供の頃いつも涙で潤んでいた瞳は固く閉じられ、血の気のない肌が明かりに照らされて光って見えた。そこに散らばるそばかすとアザを撫でると、冷え切った温度が指に伝わって、目の前のこれは一切の活動を停止しているのだと容赦なく現実を突きつけてくる。
フィン、と再び呼びかけて何かを言おうとしたが、それ以上声が出なかった。
ただ、自分の夢が叶うことはもう無いのだと悟って、レインはその場に立ち尽くした。
視界が徐々に曇っていく。
◯ ◯ ◯
「……さま? 兄さま」
遠くで声が聞こえる。
レインはハッと目を覚ました。顔を上げると、そこは寮の自室だった。
可愛らしい柄のカップやクッション、足元でふわふわと動くうさぎ達に、こちらを伺う大きな瞳。それらを順に眺めて、レインは大きく息を吐いた。
「どうしたの、兄さま。もしかして具合悪い?」
心配そうにこちらを見やるフィンに、レインは意識を失う前のことを思い出す。今日は久しぶりに仕事を早く切り上げて、フィンとささやかなお茶会をしていたのだ。
このお茶会の時間を誰にも邪魔されないために、ここ何週間かギチギチに業務を詰め込んでいた。その疲れが祟って、どうやら少し眠っていたらしい。
「……いや、なんでもない」
フィンに一言そういうと、レインはカップをあおる。渋いお茶が喉を通り、少し目が覚めた。
「いや兄さま、絶対疲れてるよね」
ジトッとした目で、フィンがそう言う。そんなに分かりやすいだろうか、と思わずレインが顔を撫でると、フィンは苦笑した。
「顔に出てなくても分かるよ。兄弟だから」
そう言ってフィンは続ける。
「僕のことは気にしないで、少し寝たら?」
「いや」
即答したレインに、フィンは目を丸くした。
「お前と話がしたいから、寝るのは後だ」
そう言うと、フィンはますます目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、あとでちゃんと休んでね」
「ああ」
頷くと、フィンは「お茶淹れてくるね」と席を立つ。友達から淹れ方を教えてもらったのだと、楽しげに話しながらお湯を注ぐ弟の背中を眺める。
昔より随分と大きくなった。
そして昔と違って、よく笑うようになった。
これで夢は半分は叶ったようなものだ、と密かに思う。
しかし、理想の世界はまだ実現途中だ。
先ほどの悪夢のような未来は、絶対に起こさせはしない。そう誓って、レインはフィンが新たに淹れてくれたハーブティーを飲む。
ほのかに甘い香りがするそれは、今度は優しく体を温めてくれた。