「悟なら裏にいるよ」
なぜか箒を手に一年生の教室前を掃き掃除している夏油センパイが、そう教えてくれた。
「あんがと…センパイはなんしてんの?」
「少しやらかしてしまってね」
センパイが指さした方を見れば、廊下の窓ガラスがきれーに三枚、無くなっていた。例によって五条センパイとケンカになり、粉々に粉砕したそうだ。これはこれで、風通しが良くていいかもしれない。
二人のケンカは、何がどうしてそうなるん?ってくらい、いつも派手でスケールがデカい。だから見ている分にはおもしろい。ケンカするほど仲が良い、ってやつ。時々、二人ともガチでキレてんな…て時があって、そういう場合は間に合えば止めに入るようにしている。ケガしてほしくないからね。ケガの原因がケンカだと、家入センパイに治療してもらえないのだ。
学校の裏庭には夜蛾せんせーのプライベートな菜園スペース(一部は花壇になっている)があって、季節の野菜を育てている。五条センパイはそこの草むしりと水やりをしているのだそうだ。そろそろ秋野菜の植え替え時期だから、その準備だろう。午後には日陰になる場所とはいえまだ暑いから、めちゃくちゃイヤそうにしている顔が目に浮かぶ。
夏はキライだ、と以前、五条センパイが言っていた。あちーし汗かくし、とにかくムリって。俺はけっこー好き。泳げるしスイカとかうまいし、なんか元気をもらえる季節だと思う。思ってたのに、近頃は暑さが異常すぎて、さすがにウンザリもする。気温が高いというより、不快に感じるのは湿度のせいだろう。はやく秋になんねぇかなぁ、なんて、高い空が恋しい。
自動販売機でカルピスを買う。これはセンパイの。自分用にもコーラを買い、裏庭へ向かう。自業自得ではあるがせめてもの差し入れと、あんまり大変そうだったら俺も手伝うつもりだった。ひょいっと覗き、ビックリして思わず声をあげてしまった。
「全然やってねぇ!!」
シーズンを過ぎて枯れ始めた野菜たちがゾンビのような姿で菜園の中心を陣取り、スクスクと立派に伸びた雑草ばかりが気合いを入れて地面を覆い尽くしている。五条センパイはと言えば麦わら帽子をかぶり、水色のホースでバシャバシャと花壇に水を撒いているだけだった。黄色とオレンジ色の可憐な花の上に小さな虹が架かってたりして、なんともメルヘンな絵面になっている。
俺に気付いたセンパイがニヤリと口角を上げる。
「おう。悠仁」
「センパイ…夏油センパイはちゃんと掃除してたよ…」
「アイツはいいよな〜中ならまだ涼しいじゃん。俺なんてクソあちーのに草むしりだぜ?」
ホースの水を止めてこちらに歩いてきたセンパイが、俺の肩に腕を回す。
「どっかのやさしーカレシサマなら来てくれると思ってたけど♪」
…これは、もしかして。
「…俺が来んの、待ってたわけ?」
センパイはわざわざサングラスを外し、
「初めての共同作業だな、ダーリン♡」
ニッコリほほえんだ。
なにが、初めての共同作業だな、だ。てかそもそも、初めてじゃねぇし。テキトーなこと言ったな。
「センパイ!手伝えって!!」
「だーから応援してんだろーが。ほら、がんばれがんばれ」
「クッソはら立つー!!」
比較的涼しい木陰に移動したセンパイが、俺が買ってきたカルピスを飲みながらエールを送っている。その声援を受け、俺は必死に草をむしる。…って、どう考えても構図おかしいだろ!なんで俺がやってんの⁈コーラは飲まれていないようだが、もうぬるくなってしまっただろう。
伏黒や釘崎にまた呆れられてしまう。あんたはアイツを甘やかしすぎんのよ、って。そうだな、そうかもしれん。でもどうにも俺は、センパイに弱いんだよなぁ…。
しゃがんでいた体勢から立ち上がって膝を曲げたり伸ばしたり、屈伸をする。よし、半分以上は終わっている。菜園とはいえ裏庭の一部分だ。それほど広くないのが助かった。
気分転換も兼ねたストレッチを終えて、汗だくの身体で気力を振り絞る。あとちょっと!と再びしゃがみ込んだ瞬間、
「うわっ!!」
頭上から大量の水が降ってきた。
振り返ると、手にしたホースをこちらに向けてニヤニヤと笑うセンパイが立っている。
「ちょっと!なにすんの!」
「ちっとは涼しくなっただろー?」
…センパイに弱いんだよ、と言ったばかりではあるが。さすがにプチッ、ときた。大股でズンズン近付き、
「わぶっ」
奪い取ったホースでセンパイの顔面に水をかけてやった。
「さっすがセンパイ!水もしたたるいーオトコ」
「てんめ…」
センパイは俺の首根っこを引っ張ると、シャツの中に水をブシャー!と噴射した。
「ちょ、やりすぎ!〜もお!パンツまでぐしょぐしょなんだけど!」
「ざまぁww」
ホースの争奪戦はしばらく続き、へろへろになったセンパイと俺は、まだ抜き終わっていない雑草の上に寝転がった。
「泥くせぇ!」
「雑草くせー!」
顔を隣に向ける。センパイも俺を見ていた。額を寄せてうはは、と笑い合い、土で汚れた鼻先をお互いに擦り付けて軽く触れ合うだけのじゃれるようなキスをする。
「もー。こんなドロドロで、ぜったい怒られるやつじゃん」
「…俺の部屋、寄ってけば」
「え」
反対側を向いてしまったセンパイが、シャワー浴びてけばいいだろ、と言う。耳が、真っ赤だ。それがあまりにも甘そうで美味しそうに見えて、俺はたまらず、カプリと噛み付いた。
「うお!バッカやめろっ」
「今のはぜってー、センパイが悪い!」
汗だくで水浸し。おまけに泥だらけ。何やってんだろうな。ぐしゃぐしゃになってしまった身体で抱きしめ合って、
「おまえってほんとバカ」
「いやいや、俺ら、でしょ。センパイもたいがいバカだかんね」
軽口を叩くと、生意気な、と頬を齧られた。
はやく秋よ来い、ってちょっと思ってたけど、やっぱりもう少し、夏が続いてほしい。だってこんな風にまともにバカになれるのも、夏の醍醐味かなって思うんだよね。
様子を見に来た夜蛾せんせーに二人揃ってこっぴどく叱られたのは、言うまでもない。