それはいつか笑い話になる似た者同士のお話。「おい、準備はできたか?」
KKに呼ばれて振り返る。すっかり仕事着と化したタクティカルジャケット上下にボディバッグ。それから改造弓。
頷いた暁人の頭を掻き回すように撫で、肩を叩く。
「今日は割とデカめの案件だからな、頼りにしてるぞ」
「任せて」
今時頭を撫でたり肩に触れるのはセクハラなんだよ、などとは言わない。一匹狼気質の、本当は寂しがり屋の彼が暁人を頼ってパーソナルスペースに入れて見守ってくれているのだ。これ以上の幸せはない。
だからこそ、これ以上を望んではいけない。
伊月暁人は己を律するのが得意だった。兄として、渋谷のヒーローとして。
今のKKにとって自分は何なのだろう。
彼は暁人のことを相棒とよく呼ぶ。相棒というのは元々駕籠を担ぐ棒を持つ二人のことで、息が合わないと遅いし揺れる。
ビルの屋上から駐車場でたむろするマレビトたちの姿を確認する。学生とサラリーマンが数体ずつ。少し離れたところにオフィスレディたちが歩き回っている。奥の墓場には剛法師、なかなかのラインナップだ。
「いつも通りオレが突っ込むからオマエは」
「わかってる、サポートは任せて」
札で注意を引き、KKが撃ち漏らした敵を倒す。
けれども二心同体じゃなくなった暁人の戦闘力は肉体を取り戻したKKに遠く及ばず、そもそもあの時だってよく右手にサポートしてもらっていた。暁人が棒を担いで走れているのはKKが今もそうしてくれているからで、そう考えると部下あるいは弟子くらいが妥当なのだろう。
何しろ二人には親子くらいの年の差があるのだ。それが普通だし、実際にKKは暁人のことを息子のように扱っていると感じていた。声掛けをしたりボディタッチをしたりがその一端だ、
もちろんKKが暁人を息子の代わりにするつもりはないだろうし、暁人もKKに抱いているのは父親への親愛とは全く違う。
「まだまだぁ!」
己を鼓舞するように叫び剛法師にチャージショットを撃つKKを確認しながら焔を吐き出す頭を射抜く。
ビルの上からならマレビトに気付かれる可能性は薄く、また気づかれたとしてもすぐにKKにヘイトが向く。安全地帯で戦うことに不満がないわけではないが、暁人の安全はKKの安全にも繋がると理解している。
KKにとって暁人は庇護すべき子どもだ。成人しているといっても、彼から見れば『ガキ』でしかないのは事実だ。
「終わりだ!」
KKが最後の一体のコアを握り潰す。
暁人は無言でビルから飛び降りて、ワイヤーを利用して着地する。散らばったエーテルを吸収しながらKKは煙草を咥えた。
(カッコイイな、全く)
キザな面もあるのでわかってやっているのかもしれないが、今見ているのは暁人だけなのだ。
「お疲れさん」
暁人の方を向くとわずかに口の端を上げて煙を吐く。
「オマエがいると早く終わって助かるよ」
「僕がいないと危なっかしいもんな、KKは」
必要だと思われている限り側にいさせてよ。この気持ちは胸に秘めておくから。
なんだと、とからかいまじりに腕を肩に回してくるKKに笑い返して、その奥のノイズに気づいた。
恐らく絶対共鳴状態になったのだろうと凛子は結論付けた。
偶然肉体が密着している状態で同時に強力なエーテルを練り上げた結果、混じり合い暴発してしまった。
隠れていた焔女は倒せた上に被害もないので取り立てて騒ぐことでもない。かえって今後の戦略の幅も広がるだろう。
二人の感情があの夜のように伝わり合ってしまった以外は。
暁人にとって己は父親代わりなのだろう。とKKは紫煙を燻らせる。
仕事のために身支度を整える暁人はまだ大学生であるということを加味しても自立した成人男性で。そもそも四十になっても人間は失敗する生き物である。でなければ暁人が今この場にいる奇跡は起きなかった。
それでも暁人はまだKKの半分ほどしか生きていない。精神的な支柱を求めるのは自然な成り行きだ。
「おい、準備はできたか?」
タイミングを見て火を消すと暁人ははにかんで頷いた。
でなければ血の繋がらない四十過ぎのオジサンに、こんな顔を向けて穏やかな声を更に甘くして
「大丈夫」
と返したりはしないだろう。
邪念を振り払うようにワックスで整えた頭を掻き回すように撫で、決して華奢ではない肩を叩く。
あの夜に二心同体だったとしても、普通こんな風に馴れ馴れしいのはZ世代とやらには好かれないだろう。
それでも暁人は嫌な顔ひとつしないのだと確かめるように手を伸ばす。
「今日は割とデカめの案件だからな、頼りにしてるぞ」
「任せて」
父親か上司のような態度で接すれば暁人はできた子どもか部下のように胸を張る。
頼られるのが好きなのだ。生まれつきの性質か長男故か。そういう甘え方も愛おしいと思ってしまうのは末期症状なのだろう。
「いつも通りオレが突っ込むからオマエは」
「わかってる、サポートは任せて」
ビルの上で作戦会議をしている時も率先して動こうとする。本当は籠に閉じ込めて大事にしまいこみたいくらいなのだが、まだ自制心は働いている。未来ある若者の道を塞げるような人間ではないとKKは自覚している。
「クソがっ」
自覚していても溜まる鬱憤は化け物退治で晴らすに限る。以前は夜中に暴れる若造を補導する仕事をしていたが、今はマレビトたちが放出する霧のお陰で普通の人々は「嫌な予感がする」と避けるので遠慮する必要がない。
剛法師を中心に広範囲の攻撃をぶつけて周囲も足止めする。まだ動いている敵は逆に暁人の的でしかない。本人は卑下しているがKKでは考えられない精度だ。高揚する身体の赴くままに首を上げた剛法師の頭を掴んだ。
「オマエなんかに見せるかよ!」
今だけはKKだけの暁人なのだ。それくらいの独占欲は許してほしい。
無意識に煙草を咥え、散らばったエーテルを回収する。生きていく分には自前で賄えるが放出して戦うとなるとそうはいかない。
器用に下りてきた暁人の無事を確認しお疲れさん、と紫煙を吐き出した。
文句を言われるかと思ったが暁人は肩をすくめるだけだった。
「オマエがいると早く終わって助かるよ」
「僕がいないと危なっかしいもんな、KKは」
仕事は多少のカタルシスになっても完全に吹っ切れるわけではない。しかしこうして暁人と軽口をやりあい、その笑顔を見るだけでマレビトたちの負の感情から逃れることができた。
わざと怒ったような声を出して暁人の肩に腕を回す。笑い声を耳に感じながら
(父親でもなんでもいいから)
ビルの死角から現れた影にありったけのエーテル弾を撃ち込んだ。
しかめ面でソファーに深く座り、煙草をふかすKKからきっちり一人分の距離をとって暁人はおずおずと問いかける。
「KK……照れてる?」
「照れてねえよ」
即答する辺り図星なのだろう。何故ならKKの本心を既に暁人は知ってしまっていて、その結果がこれなのだから。暁人も以前のように恐れてはいない。気恥ずかしいのは暁人も同じだった。
「あのさ、ちゃんと話そうよ。凛子さんたちも帰ったし」
アジトに二人っきりの今こそ膝を突き合わせて話し合うべきだ。凛子たちだって知っているのは絶対共鳴した事実だけで、二人の内情を多少察していたとしてもまさかここまで拗れていたとは思うまい。
「……今更何を話すってんだよ」
「色々あるだろ。これまでのこととか、これからのこととか……」
煙草を灰皿に押しつけて、ようやく暁人の方を向いたKKは思ったよりも柔らかな目をしている。今までそんな風に見られていたことに気付いていなかった。そしてKKもまた暁人の表情に熱がこもっていることを知った。
「いいのか、オレは父親にはなれねえぞ」
「僕だって息子にはなれないからな」
KKも暁人もすぐには変われない。変わらなくてもいいのだろう。
たまらずに二人で噴き出す。
いつの間にか二人の距離は触れあうほどに近づいていた。