こんなのさあ、最近先輩が優しい。
うちに入ってきたとき、あんなに他人に鉄のバリア張ってたのに。みんなで一緒の布団で寝てから、みんなでオズ公演をやり切ってから、先輩は血の通った人間らしくなった。完璧チートと思われた先輩は、どうやら思っていたよりも人間として不器用なところもあるらしく、仕事はなんでも片っ端からあんなに器用にこなすくせに、我が劇団の面々のあふれんばかりの優しさというかおせっかいというかはうまく受け取れずに、なかなかぎこちない部分もあったりするが、しかし、先輩なりに劇団のみんなには優しくいたいという気持ちはあるみたい。
それはみんなと交わすおはようの挨拶の柔らかさだとか、ただいまとおかえりを欠かさなくなったこととか、細かい会話ひとつとってもそうだし、箱馬とか家電とかなんかが壊れたとか調子悪いとかだとそういうの直すの得意らしく、なんでも進んで修理を引き受けたり、この場所で何か自分ができることがあればなんでもするよという、温かいオーラを漂わせてすらいる。
「おまえ今日部屋片付けるって言っただろ」
「まだ今日の25時なんで俺たちの今日はここからだ、………アッ待って黙ってゴミ袋取り出さないで待ってそれゴミじゃない未開封のランブロ!」
俺にはちょっと優しくないが、まあ、よきかな。
■
………最近、先輩が俺にも優しい。
ていうか、甘やかしてくれてる、と言いますか。
「へ?ナイランBAR予約してくれたんですか?」
「定時であがれよ」
「えっ神神神神神神神神神」
俺も甘えてる自覚はある。
頼れる年上というのは、ありがたいもので。
俺も弟属性ということか。
てか、ナイランの前説に先輩引っ張り出したあれ、いやあれ自体は今思っても観客の気持ちを盛り上げて初の舞台化の意味を俺だからこそ、俺らだからこそ体現できたってことでいい案だったと思うけど、いきなりやったのは先輩を信頼してるというか、まあ先輩なら、って甘えてる部分があったのかもしれない。あの時は打ち合わせしない方が嘘がなくていいじゃん、なんて思っていたのだが、よくよく冷静になって考えたら先輩の側からしたらたまったもんじゃないよな、まあでもチート先輩ならソツなくこなしてくれるに決まってるし。と、この思考回路が先輩に甘えてるからなのかもと最近になって自覚した。
でもま、先輩もやれやれムーブかましながらも、なんだかんだまんざらでも無さそうだし。
相変わらず春組では俺だけ扱い雑いけど、いまや103号室で眠るようになった先輩との気の置けない軽口の応酬も、先輩独特のユーモアも、愛ある(と信じたい)小言も、部屋で見せる意外な雑さも、俺がどんだけぐうたらでゲー廃でもほんとのところぜんぜん気にしてないところも、俺がほんとにメンタルやられてるときは心配してくれるわかりにくい優しさも、なんつうか、尊い。あんなに他人と関わりません、寄らば切る。みたいなオーラ出してた人が。ねえ。
とか思ったらちょっとずつ、先輩に甘やかされるのがいちいち嬉しくなってきて、最近は自分から甘えにいっている。いってしまっている。
だって最初敵キャラポジのくせして仲間になったら情が厚いなんてみんな好きなやつじゃん常考。
スーツをほったらかし続けると、自分の分と一緒にクリーニングに出しておいてくれる。
会社で昼休憩がまともな時間に取れる時に連絡してみると、けっこう時間を合わせてくれようとする。先輩が昼ご飯ぶっ飛ばして働きがちなのもあって一緒にお昼いけない時も多いけど、一緒に行けた時はなんだかんだ奢ってくれたりする。
それから、会社で本気で理不尽なことがあった時、鬱すぎてスーツのままで部屋のソファの端っこで丸まっていたら、スーツ姿の先輩におもむろによしよしと雑に頭を撫でられて、えらいえらい。おつかれ。と言われたときは、なんというか、嬉しいのを通り越して、その、ときめかざるをえなかった。
先輩に甘やかされると、先輩に甘えるのを許されると、なんと言いますか、心の柔らかい部分と呼ばれるあたりが、なんとも、ぎゅっとして、あたたかくなって、ヤバい。
先輩と二人でソファに座って週末に春組でご飯を食べる店を探してる時、先輩の携帯に表示されたおいしそうな店のページを覗き込むのに先輩にくっついて、俺の頭を先輩の肩に乗っけても、先輩は何も言わない。当たり前のようにそのままページをスクロールしてこの店でいいか訊いてくる。
俺は、良さそう、とか答えながら、先輩の体温に神経を集中させている。
■
…………最近先輩が、俺に甘えてくる。
いやたしかに、俺が、俺が最初に甘えた。
だって、甘えさせてくれるから。
くっついてもなんにも言われないなら、じゃあくっついてもいいかなって、パソコンいじる先輩によっかかってソシャゲ回したり、ソファから起き上がりたくないと先輩に両手を差し出して起こしてくださいと駄々をこねたり、なんやり、かんやり、甘え続けた結果、なんか、先輩にもそれが……うつった。
俺よりはぜんぜんレアなんだけど、でもたしかに、日々の中でその瞬間は訪れる。
先輩がほんとに疲れてる日。ただいまと普段より覇気のない声と共に音をたてて103号室のドアが開く日がその合図。
先輩はいつも通りクローゼットの前でジャケットを脱いで、ベストを脱いで、ネクタイを外して、ベルトを抜いて、きちんとハンガーにかけて、部屋着に着替えて、それから、こちらにやってくる、俺の座るソファにやってきて、俺のぴったり隣に腰掛ける。そして、俺の肩に頭をあずける。
先輩の体温が伝わってくる。あたたかい。
嗚呼。
これを甘えられていると言わずになんと形容すればいいのですか神よ。
「疲れた」
先輩が小さな声でそうこぼす。
「……本日も、おつかれさまでした」
俺は前を向いたままそう返す。
いつもなら、先輩も疲れることあるんですねえ、とか言ってみるけれど、先輩がくっついてきた時は茶化さないようにしようと、てか茶化すとか、無理だから、無理になってしまうのだ。だってもし茶化してそのあと千景さんがどっか行ってしまったり、もうこうしてくれなくなったらと思うと!
何を隠そう俺はこの甘えた先輩チャンスをぜったいに逃すまいと、先輩が遅くに疲れて帰って来そうな日はソファでスタンバるようになっている。
俺の言葉に先輩は素直に
「うん」
とか言って、それで、そのままあとは黙ってしまう。
ぴったりくっついた先輩の身体から、先輩の呼吸が伝わる。
俺の隣で、先輩が安心しきって、ぺたりと俺に頭を預けて、
……………あああああああ………。
…………もう、死ぬほど、かわいい!
今すぐに先輩をぎゅって抱きしめてワーって頭撫でて今日もがんばってえらいですね!って言ってもっかい抱きしめてから両手握ってその目を見ながら無理しないでくださいねって言って俺にできることありますかって言ってそしたらないよって笑われるかもしれないけどそんなこと言わないでくださいって返してやっぱりもう一回抱きしめてあのさらさらツルツルの後頭部の髪の毛をよしよしして首の後ろの気持ちのいいうなじのあたりを撫でて背中をさすってもっともっともっともっっと甘やかしてあげたいてか甘やかしたい!!(ここまで一息)
え、それってありですか?
てかありかなしかの問題なの?
とか俺が煩悶していることを知ってか知らずか、先輩はしばらく俺にくっついて、頭を預けてじっとしたままで、でもそのあとはあっさり俺から離れてしまう。
ああ、もっとくっついてくれてて大丈夫です!
そして、みんなの前と同じあのいつもの雰囲気で「おまえも早く風呂入れよ」とか言って、ひとりで風呂とか行っちゃう。
はあ。……かわいい。
そんなとき俺はちょっとだけ自分の肩に残る先輩の体温を噛み締めて独りごちている。
■
先輩の帰りがてっぺんを回ると聞いた日、俺は万里と地面などを塗り潰すゲームに勤しみつつ、最近脳内を占拠していることがらを口からこぼす。
「……なあ万里…………なんでツンデレってたまらないんだろうな」
「え なんすか急に」
「やっぱギャップだよな…………すべては」
「はあ……なんかまたアニメハマってんですか?」
「いや攻略したくて」
「ギャルゲの新作なんかいいのありましたっけ?」
■
俺は先輩を甘やかしたい。
甘やかすことを許されたい。
俺は機会をうかがっている。
■
「ただいま」
終電か、もしかしてタクシー乗ったかなという時刻のご帰宅。ため息まじりのただいま。金曜日。
これは、疲れてる。
……いける。今日だ至。今日こそ作戦決行のその日だ。イエス・サー。
先輩はいつも通りクローゼットの前でネクタイをほどき、ジャケットを脱ぎ始める。ベスト、スラックス。そして部屋着に袖を通す。
俺は何事もないかのように、しかしその実タイミングを見計らって、手にしていたスマホを仕舞って、パ、と立ち上がる。先輩が脱いだシャツやらをまとめようとしている背中に、後ろから、えい、と抱きつく。まあやや冗談としても成立する感じのテンション、になっていたらいい。
「本日もおつかれさまです」
先輩の背中とお腹を俺の腕でぎゅ、と抱き締める。
「……………………………」
先輩は俺の腕の中でワイシャツを手にしたまま固まっている。表情はもちろんうかがえない。
…………………これはなんの沈黙だ、ああ、からかうなら早くからかってくれ、ください、嫌なら嫌と言ってくれいや勝手すぎてすみません、先輩あったかいかわいい、いやもう沈黙たえられんすみませんなんかいっ、
「………うん。茅ヶ崎もおつかれ」
先輩はたっぷりの沈黙のあと、そうつぶやいた。
…………この「うん」は、甘えてくれる時の「うん」だ!!??キタコレセーフ。
「………久しぶりにタクシー使っちゃった」
「うわおつです」
「最近経費精算うるさいからタクシー乗ると面倒なんだよな」
「わかる」
そんなどうでもいい会話の間、先輩は俺に抱きしめられており、会話が一瞬途切れたところで俺がまたぎゅ、と抱きしめ直すと、先輩が小さく笑ったのがわかる。
う゛。かわいい。
とか思っていたら先輩は俺の腕からあっさり抜け出てしまう。
「飯も食えてない。晩御飯あるかな」
そう言っていつも通りに話しかけてくる先輩の顔は、いつも通りに整っている。
「あ……ると思います。カレーだったんで」
「やった。食ってくるよ」
整った顔がほんとうに嬉しそうに小さく微笑んで、そして先輩は部屋を出て行く。
あ〜。
帰ってきたら、もう一回抱きしめてもいいかな。だめかな。だめか。
■
なんかハグしてもいいっぽい。
まあ先輩海外育ちですし俺とは感覚も違うのかもしれないですしおすし、いや、でもやっぱ俺は、嬉しい。
■
「ぅあ〜、ただいまです」
俺はヨロヨロと103号室の扉を開ける。
この日は俺の方が帰りが遅かった。
散々先輩にも愚痴っているのだが、ふつうにしてても忙しい時期なのに、新しく同じチームに配属された同期が非常識を絵に描いたような人間で、仕事を1任せるたびに尻拭いが5発生する事態が続いており、本日はチームを上げての尻拭い総決算、関係部署への釈明会的なものが開催され、HPもMPも赤ゲージ瀕死であった。ポケモンセンターどこ。回復アイテムどこ。
「おかえり」
先輩が自分のスペースの椅子に腰掛けて読んでいた何かから顔を上げてそう言ってくれるだけで黄色ゲージくらいには回復します。あざます。
「いやもうマジであいつヤバいマジでヤバいなんで採用した人事無能すぎワロえん笑うしかないマジ無理クビにしてくれ」
俺は呪詛を吐きながら雑にジャケットをソファ脱ぎ捨てる。
「マジで係長有能だからなんとかなってるけどあいつのせいでどんだけ仕事増えてるか俺かわいそすぎるやってられん一ミリも反省しとらんしこっちがどんだけ」
先輩が椅子から立ち上がってスタスタとまっすぐこちらにやってくる。それで、グダグダ文句を言い続ける俺を、
「おつかれ」
と言いながら、先輩が正面から抱きしめてきた。それから、そのままよしよしと後頭部をなでられた。
……………………は?
なんで?あ、こないだ俺がやったから?
は?そうなの?え?
これは癒されますわ、てか、
え、てか、
俺は抱きしめられ続けている。先輩の表情は、もちろん伺えない。
………………………え?
てか、………………………………
……………………………。
……………………………。
……………………………、
いや………………………、
いや、………………………かわいい!!!!
こんなの、こんなの、こんなの!
こんなのさあ!!
俺は先輩に抱きしめられている状態を自ら手放すのを惜しいと思いつつ、しかし、先輩の腕をほどいて、そして先輩の両手を握る。
先輩の顔はよく見えないてか見れないてか、
俺は俺の手を、先輩の手を握っている俺の手を見つめる。
「あの俺先輩に甘やかされたら嬉しいですしいまもぎゅってされてめちゃくちゃ嬉しかったっていうかてか俺も先輩のこともっと甘やかしたいです甘やかさせてくださいお願いしますそしてできたら俺のことももっと甘やかしてください」
脳内でも実際の会話でも一息で言ってしまうこのオタクの性質よ、はい欲望ぜんぶ言っちゃいましたはいこの後どうすればいいですか待ってくださいバッドエンドは嫌だおれはハピエン厨なんだ待ってこのルートもっと確認してから分岐させたかったてかこれ分岐戻れないやつじゃんセーブデータ一個しかないもんこれどう、
「それってさ、」
先輩の声が俺の思考を遮る。
「俺の勘違いだったら、忘れてほしいんだけど、」
そう言って今度は先輩が俺の手を解いて、それから、先輩は俺のことを両手でぎゅ、と抱きしめた。それから、俺の頭を撫でてくれて、そのあとで今度は先輩が俺の両手を握って、俺のことを見つめてくる。
はひ。
俺の脳内擬音はいつでも古典的漫画表現である。
先輩は、右手だけ俺の手から離して俺のうなじを優しく撫でてから背中にその手のひらを添わせた。
このひと、エスパーなんだろうか。
「俺はいつでも茅ヶ崎にこうしていいってこと?」
………このひと、俺をどうしたいんだ。
「はい365日24時間受付中です」
「ふは、俺の気が向いたらね」
先輩はあっさり俺から手を離して、その手で俺のほっぺたを柔らかくつねった。その表情は、あんまりに柔らかく。
ぐぅ、
かわいい。
■
「ツンデレ最難ルートいけましたわ……」
「いやだからなんのゲームの話してんすか?」
■
こんなのさあ、
惚れない方が無理だって。