戦化粧 卓上の鏡に映る顔は、いかにもつまらなさそうに歪んでいる。
ジェイミーはアイブロウで眉を描き足しながら唇を尖らせた。最近はどうも面白い出来事がない。平和、という意味ではない。いつも通り諍いを適度になだめたり、小規模な試合やストリートファイトで小銭を稼ぐ日々を送っている。その相手に張り合いを感じないのだ。
トラブル続きで大々的な大会が開かれていないから。それも理由の一つだ。だが元凶ではない。
記憶の片隅で、ツーブロックの上に金の髪を揺らした男が嘲笑う。
生温い血を滾らせられたときから、ずっと彼の影を追いかけてしまう。あの野生に満ちた眼光で睨まれなければ満たれない欲を抱いている。そんな相手に出会ったのは幸運であり不幸でもあった。それ以外の刺激がこうして物足りない日々に変わってしまったからだ。
何だかんだある程度は会話を交わし、相手の名前も勤務先も知っている。だからといって素直に出向くのも気に食わない。面倒な感情を抱えつつ、ジェイミーの手がアイライナーに伸びた。何本か転がったそれらから一つを選ぶ。取ったのは明るい水色だ。
「たまにはこいつでいくか」
普段使っている紅と真逆のそれを入れたのは、単なる気分転換だった。こんな風に鬱屈とした日にはメイクくらい楽しまなければやっていられない。鮮やかな空色に浮かされるまま唇にもあまり使っていないサーモンピンクのリップグロスを塗った。上品な黄みの赤が浅黒い肌に艶を放つ。
「この色も似合うな、オレ」
独り言を溢しているのは一種の照れ隠しだ。化粧と気合いを入れなければ行けない場所へ、これから出ようとしている。
結局、ショート丈のダウンジャケットを羽織ったジェイミーはMCトレーニングセンターの近くを歩いていた。今日は職場まで押しかける気はない。近くに居ればちょっかいをかけるし、居なければ諦めて新しい靴でも見て帰ろうとしていた。
そんな日に限って――願いは叶うものだ。
青いキャップ帽を後ろに被り、迷彩柄のジャケットを白いシャツの上に羽織った男が裏通りを歩いていた。ジェイミーはすぐに後をつけた。軽やかなステップが一つ二つ、コンクリートを打ち鳴らす。それだけで男は振り向いた。期待通りの顔がそこにあった。
「やっぱりお前かよ」
思い切り眉と口をひしゃげて不愉快を示す男が、探していたルークその人だ。ジェイミーは対照的な笑顔でわざとらしく歩み寄った。
「よう。今日は休みか?」
「ゲームの発売日だから半休とってんの。お前に構ってる暇ないの。わかる?」
「いっつもゲームしてんなぁお前……」
「余計なお世話だ!」
ルークは腰を落とし、自分よりも背が低いジェイミーを睨み上げた。姿勢良く立つ彼の顔は癪なほど涼しい色をしている。見るからに冷ややかな、色――。そこでルークは違和感に気付いた。
「って、なんだ。今日はやりにきたんじゃねえのか」
臨戦態勢がぱっと解除される。ジェイミーはかえって動揺し、少しだけ足のバランスを崩した。
「ん?」
「デートならさっさと行けよ、色男」
「いや、別にそういうわけじゃねえけど」
「違ぇの?」
澄んだ瞳がまじまじと碧いアイラインを見つめる。困惑で一歩退かれた距離をルークは無意識に詰めた。
「見たことない化粧してっから、てっきり大事な日かと思ったじゃねーか。あ、よく見たら口紅も違うじゃん」
「べっ……つに、気分だ気分! 脳筋のくせに変なとこ見てるんじゃねえぞ!」
「何で怒んだよそこで。戦う相手のことはよく見るだろ、普通」
「うるっせえ、いいから一杯付き合え!」
ジェイミーは鼻息を荒げながらちゃぽんと水音の鳴る瓢箪を掲げた。この血の騒ぎ方は、違う。求めていたものではない。既に熱い頬を薬湯の火照りで上書きする。
「しょーがねえな。さっさと終わらせて帰るからな」
そう言って、溜息をついても逃げないルークがありがたくも恨めしい。
今となっては、早く終わらせたいのはジェイミーも同じだった。さっさと帰って化粧を落としてしまいたい。この男のために選んでいたという無自覚の事実を帳消しにしたい。
自分で指をかけた引き金はそう簡単に止めることもできず、短絡的だった己を憎んで殴りかかった。この顔を隠せるものなら痣でも何でも貰いたい。心底、そう願った。