★一時的サトラレ 朝から、何かおかしいような気はしていていた。
塔子さんが、朝ごはんの時に「今日の夕食はエビフライにしようかしら」と言っていたので、「今日の晩御飯、楽しみです」と返事をしたところ、はっとした顔をしていた。
何か変なことを言ったかなと思いはしたが、食事の話しかしていないし妖に関するようなことで口を滑らせたわけでもなかったのでさほど気にしなかった。
今思えば、一回目の違和感だった。
学校に行く途中、今日は暇だからついて行くと鞄に滑り込んでいた先生が「食事が楽しみだなんて珍しいな」と言ってきたが、おかしい、エビフライなら俺よりも先生の方がもっと喜ぶはずなのに。
「今日はおれのエビフライとるなよ」
「ほう、今日はエビフライなのか」
これが、二回目の違和感。
先生が重いせいか歩く速さがいつもより遅かったようで登校がぎりぎりになってしまった。
通学路にはほとんど人がおらず、同じ制服の人を数人見かけはしたものの知り合いには遭遇しなかった。つまり挨拶も交わすことなく、学校にたどり着いた。
学校に着いてからは、なにやらいつもより騒がしい気もした。
いつもより話している人が多いなという印象。
自分に話しかけられているわけではなかったので特に気にも留めていなかった。ただ皆よくしゃべっているな、程度であり違和感、とまではいかなかった。
授業が始まって、今、やっと違和感が強くなってくる。
「あーまじ眠いな」
「お腹痛い」
「教科書忘れたわ」
いつもなら静かなはずの授業中。
いつもの音と、あわせて人の話声がしっかりと聞こえる。
話声というか、独り言のようだったが独り言にしては大きい。でもそれに対する返事はどこからもない。
俺に話しかけているのかとすら思ったが、質問しているような声音でもなさそうだったので、とりあえず聞き流してその授業が終わるのを待とう。
この授業中はとりあえず様子を見ようと、冷静に、その声を聞いているとどうやら自分の前後左右のクラスメイトの声らしいことがわかった。
後ろを振り向くことは奇行に思われるだろうと、隣に座るクラスメイトの口元を盗み見る。……動いていない。
「寝てもいいかなあ。眠い」
口は動いていないが、はっきり聞こえる。これは、おそらく今見ている隣の人の声だと記憶している。
なるほど……。
今日朝から感じていた違和感にも、説明がつく。
人には聞こえないように、細く長く息を吐いた。
人の心が、聞こえるようだ。
範囲は狭いようだが、前後左右の人の声が聞こえるということは、一、二メートルの距離か。
尚も数人の声が聞こえるが、この人数ならそこまで聞き取れないほどではなかった。
どうやらそれより遠く、席の離れた西村の心の声(?)などは聞こえないので、さほど混乱がない。いや、びっくりはしているが。妖の仕業だろうと分かったからには冷静に対応した方がいいと判断したのだ。
……今のところ、俺に声が聞こえるだけで、誰かを攻撃するようなものではなさそうだし。
そういえば俺だけが聞こえているのか?俺の声が他の人に―――、とも一瞬思ったがそんなことはなさそうだ。周りの人は一切、俺に声が聞こえること以外何も、変わっていないのだから。
ひとまずこの授業が終わるのを待って、それから動こう。
授業が終わり、先生に相談しようとやっと席を立つが、先生はもちろん近くにはいなかった。
たまに学校に着いてくるがもちろん教室に先生の居る場所などないわけで、教室だけでなく学校の中でも猫が歩いて居ようものなら好奇な目で見られるわけだから先生はいつもどこかへ行っていることが多かった。
一緒に登校してきているので、近くにはいるはずだが。
外か。購買か。日当たりのいい場所で日向ぼっこの可能性もある。
教室を出て外が見えるところにでも探しに行こうとしたところで、声がかかって。
「夏目」
振り返る。
「田沼、先生みなかったか」
「見てないけど、……すごいな」
「なにが」
目を大きく開いている田沼は少し興奮しているようだった。
「今、俺声だしてなかったと思うんだけど」
廊下。
周りを、同級生達が行き来している。
いつもより少し人の声が多い程度。
目が合った田沼は笑っている。
「夏目が振り返ってくれて、嬉しい」
口が。動いていない。
「今日は元気そうだな」
ああ。
これは、田沼の。
いつもこうして心配してくれているのか、と思って有難い気持ちも少し湧いたが、それよりも。
「ごめん」
「え?」
聞いちゃいけないことを聞いた気がしたし、今から聞いてしまうかもしれないと思うと謝るしかなかった。
「なんでごめ」
「いや、ごめん、ちょっと、あとで」
「なんか変だぞ夏目」
これが本心なのか、田沼の声なのかわからなかったが顔を下げて見えないようにして、そのまま田沼と反対に向かって走る。
変だと。
田沼に、変だと言われた。
言われたのではなく、思われた、かもしれない。
「せ、先生、どこにいったんだ」
とにかく田沼からは逃げなければいけないと思ってただ走った。追いつかれてはいけない。聞きたくない。
次の授業が始まる時間が過ぎたのは分かっていた。
だがこんな気持ちで授業に戻るのは無理だ。
最近は気を遣っていたので、周囲の人に変だと思われるようなことはあまりしていなかったと思うのに。田沼にそう思われたかもしれないというショックは大きい。
さっきみたいに、しゃべってるのか心の声なのかわからず反応してしまった場合、またお互いに違和感が生まれて「お前変じゃね?」と言われるかもしれない。
呼吸が乱れて治まらない。
授業も始まって誰もいない階段の踊り場、周りからは声も足音も聞こえない。
遠くから体育で使っているのか甲高い笛のような音が響いている。
深呼吸をして、いったん今は保健室に行こうか、と決断する。
授業はサボってしまった。
今戻ったら余計目立つだろうし、それでも荷物があるから帰るわけにもいかない。もし帰れたとしても塔子さんたちに心配をかけてしまうだろうからそれは避けたかった。
呼吸が落ち着かない。……保健室に行く理由として認めてもらえるだろうか。
ゆっくりと階段を下りて保健室へ向かった。