ジャンクフードと蜜の味「報告は受けているよ、荒野のど真ん中でエンジントラブルとは災難だったね」
その知らせがロドスの私の許へと飛び込んできたのは、そろそろロドスの夜シフトへの切り替わりが終わりひとときの落ち着きを取り戻し始める、そんなさなかだった。緊急コードが添えられた通信は付き合いが浅いとも言えなくなってしまった貿易会社のもの。突発的なエンジンの不具合により走行能力に不具合が生じたため寄航の許可を、との一報を受けて矢継ぎ早に各所に指示を下し、ようやくひと段落ついたところで、本日の主役直々のお出ましとなったのだった。
「まずは何より、スタッフの食事とベッドの用意に感謝を」
「こういうのは持ちつ持たれつっていうだろう。応急処置は明日の夕方まではかかると聞いているけれど」
「ロドスのエンジニアチームの技術力には目を見張るばかりだ。引き抜きの交渉の許可をもらえないか?」
「ははは、駄目に決まっているだろう。まったく」
「ロドスが街道沿いのルートを選んでいてくれたのは幸いだった。ここ最近は天災も少ないとの報告に油断していたようだ」
「事故の正確な予測なんてことが出来たら誰も苦労はしないさ。君が移動に輸送艦を使うのは意外だったけれど」
「急ぎの商談の帰りでな。たまたま出る定期便があったから同乗させてもらった」
「いきなり社長が乗り込んで来た部下の方々の心労を想像するだけで、胃が痛くなりそうだな」
嘘だ。あまりにも白々しいが、そんなことはお互い十分に理解の上。だがこうやって立場を確認しておかねば動けないというのもまたこの肩書と立場の面倒なところではある。
砲弾の痕を見せつけながらも、いけしゃあしゃあとエンジントラブルと言い張ったのは、襲撃してきた相手がロドスが知るとまずいことになる勢力であるからだ。まあ隠している時点で大きな声で連呼しているも同然なのだけれど、建前というものは役に立つときは立つもので、当然こちらが索敵のための小部隊をいくつか出したのも彼にはお見通しではあるのだろう。
「まあ座りなよ、少し休んでいくといい。美丈夫が台無し……にはならないのが君の凄いところだとは思うが、ひどいクマだよ」
「この時ばかりはお前のその忌々しいフェイスガードを羨ましく思うな」
「馬鹿なことは言わないでくれ。もしも私のせいで君がその顔を隠すようなことにでもなってしまったら、テラ全土から刺客が送り込まれて来そうだ」
肩をすくめてみせれば、彼はようやくリラックスしたかのようにソファに腰を下ろしてくれた。その立派な尾も本日ばかりは毛並みに精彩を欠いているようにさえ見える。
「仮眠するなら毛布持ってくるけど」
「魅力的な提案だが、部下からの報告待ちだ」
「管理職はつらいねえ」
だが流石の彼でも蓄積した疲労には抗えないらしく、端末を開いていくつかを確認したのちに、ゆるりとその瞳は瞼の向こう側に隠されてしまった。
「――イーサン、お使いを頼まれてくれないか。それ終わったら今日はもう上がってくれていいから」
「社長さんいるのに、いいのか?」
「もうこの時間だから誰も来ないだろうしね」
やや逡巡する表情を見せた彼は、しかし彼の中での落としどころを見つけたのかこちらの差し出した龍門弊を受け取って、それでと首を傾げた。
「で、何を買ってこりゃあいいんだ?」
「夜食を二人前。すぐに食べなくてもいい、冷めても味が落ちないような、うん、サンドイッチとかカップ麺とかがいいかな」
「あの人、インスタントヌードルとか食うのかよ」
「食べたら面白いと思わない?」
「思う」
ならオススメのやつ買ってくるわ、と姿を消し、ほどなくして帰って来た彼の手には購買部のビニール袋が下げられていた。内容の説明を聞いてお礼を伝えると、彼はあのさ、と言葉を探しながら口を開いた。
「なあ、あの社長さん、やっぱり俺のこと気付いてた?」
「でなければあんなにわかりやすい居眠りのポーズなんて取らないだろうね」
「やっぱりかー。どうもあの人にはいつもバレるんだよな。アーツ使ってる気配もねぇのに」
ちぇっと悔しそうな舌打ちとともに丸められた尾に慰めを送りながら部屋に戻れば、雪山の色を映した双眸がしっかりとこちらをとらえていた。
「夜食はいかが? 生憎とガリア宮廷のフルコースというわけにはいかないけれど」
「私とて、移動中などにはヌードルをすすることもある」
「あれ、聞こえてた? すまなかったね。イーサンちょっと拗ねてたからさ」
彼のおすすめは新作のシラクーザ風チリヌードルらしいよ、と真っ赤なカップを手渡せば、彼は麗しい眉間に深くしわを刻んでこちらの腕の袋をゴソゴソと漁り始める。
「こちらのハムサンドイッチにしろ。どうせストックは他にもあるのだろう」
「君ねぇ、明日の出発時刻は」
「お前が聞いた通り夕方だが」
「代替艦のひとつでも呼びつけるかと思ったのに」
「せっかくの貴重な機会が飛び込んできたのだ。どうしてみすみす逃すようなことをする」
「私の恋人は逆境に強いなぁ」
隙あらば腰を抱いて膝に乗せようと画策する腕を払いのけ、応接スペースの隅にあるコーヒーメーカーの準備を始める。
「俗説だとは思うけど、ゴム越しでも気になる?」
「誰が苦しむ恋人の姿など見たいと思う」
「そっちかー。確かに私の胃腸はそんなに強いほうでもないけど」
「なによりお前のものを舌で可愛がれなくなるのは問題としては大きすぎる」
「君はどこもかしこも舐めたがるものね。なるほどそれはちょっと勘弁願いたい」
「……やはり私との関係は歓迎はされていないようだな」
「考えすぎだと思うよ。せいぜいびっくりさせたいって程度じゃないかな」
彼との関係はそれなりに多くのオペレーターに感づかれているけれど、どちらかというと見守られているというのが近いだろう。でなければ護衛すら下げての二人きりになど到底させてもらえるはずがない。それだけの信頼を、すでに彼は実力で勝ち取っている。
「少しお腹に入れて、残りの仕事を片付けて、そうすれば私たちの時間だ」
「明日の予定は?」
「残念ながら朝一で会議なので寝坊はできない」
「善処しよう」
湯気の立つカップを二人分持って戻れば、テーブルの上には二人分の夜食が並べられていた。
「あれ、チョコレートバーなんて入ってたっけ」
「忘れていたが土産だ。とはいっても私個人のものだが、デザートの代わりにはなるだろう」
「君の貴重なおやつをいただいてしまった」
「お前とのくちづけ以上に私の舌を魅了する甘露は存在しない」
「ふふ、そんなこと言ってもお仕事終わるまでは駄目だからね」
「賄賂は気に入ってもらえなかったようで残念だ」
「私は君が思っているほど我慢強くはないんだよ」
私を膝に乗せることは諦めたものの、せめてもの抵抗とばかりにぐるりと膝に立派なしっぽが巻き付けられる。しまった、向かいのソファに移動すべきだった。サンドイッチが並べられていたところからすでに策略は始まっていたとは迂闊。
「君の素敵なふさふさしっぽにパンくずが落ちても責任は取らないからな」
「案ずるな。お前が望むならばハンカチーフの代替程度、難なくこなしてみせよう」
「私が望んだわけじゃないんだよなぁ」
そうして、楽しい楽しい二人だけの時間をなるべく長く確保するために、私たちはめいめいの食事に勢いよくかぶりついたのだった。
***
「あれ、結局食べてるんだ」
「感想を聞かれた場合に困るだろう」
「君のそういう誠実なところ好きだな。私にもひとくちちょうだい」
「もうスープしか残っていないが」
「ん。パッケージほど辛くはない? ような?」
「具の腸詰らしきものはそれなりに舌が痺れたが」
「あったね、そんな名物料理。南部のほうだったかな」
「そちらに出張の際は心して向かうことにしよう」
かわしたくちづけは随分とヒリヒリするものだったので昨晩の彼の忠告は正しかったなと浮かれた頭で考えながら、悪い人間である私は横目で見た始業までの時間と舌を使わない方法を提案して了承される確率について思考を走らせ始めるのだった。