待ち合わせの時間より早めに来てしまった炎博の話 ずいぶんと待っていたような、そうでもないような。体感時間などというものはひどくあやふやな代物で、ぱちんと瞬きひとつの間に針が見たこともない角度まで進んでしまって大慌てしたこともあれば、億劫な会議中に振り返った時計はちっとも数字が進まない。だから私にわかるのは、私が待ち合わせ時間よりほんの少しだけはやく来てしまったということだけだった。
「やあ、もう来てしまったのかい」
「お前は、」
見慣れた大刀を手に向こうから現れた彼に、ひらりひらりと手を振る。あれ、グローブはどこにやってしまったのだっけ。フードもフェイスガードも、ちゃんと着用しておけとあれだけ怒られたのにいつの間にやらどこかに置いてきてしまったらしい。まあいいや、このほうが彼の顔がよく見えることだし。
「君も、少し早すぎやしないか」
「お前には言われたくない」
そういえばそうだった。早く来すぎてしまったのは私のほうなのでとても言い返すことばがない。長いコンパスであっという間に距離を詰めた彼は、いつもの高さから私のことを見下ろす。黒い角、黒い髪、炎の瞳。どうして彼は私の好きなものばかりで作られているんだろう。テラでも最大級の謎のひとつだと思う。
彼のわななく唇が何かを言いかけ、しかしいくら待ってもその先が紡がれることはなかった。早く着いてしまったのだから時間はたっぷりとあるというのに、彼はといえば言葉を作ることすら諦めてしまったようだった。
「ねえ、エンカク」
「どうした」
だから私は、彼が諦めた言葉たちの代わりに彼の名前を呼んだ。そうすればたちどころに短い返答がかえってくるのだから、私の心には満たされた思いでいっぱいになる。一体いつぶりだろう。私が地面に倒れ伏したところまではおぼえているのだけれど。
「ふたりっきりだね」
「お前が言ったんだろうが。地獄で待ってると」
「こんなに静かだなんて思わなかったんだよ」
「お前のような人間が普通の地獄に行けると思うなよ」
「え、ここそんなひどいところだったの」
あわてて見渡せども、周囲は私の意識のようにぼんやりとしていて何があるのかすらわからない。ただひとつ確かなのは、彼が一緒にいるということだけだった。
「お前を探すのには骨が折れた」
「そっか、ごめんね。でも君もちょっと早すぎると思う」
「お前の周囲の連中も、お前に同じことを言っていたぞ」
「私はまあ、仕方がなかったから」
そうだ、仕方がなかったのだ。そもそも石棺から目覚められたこと自体が余生のようなものなのだし。だが彼は、戦場にしか生きられない彼は、最後の最後の瞬間まで刀を手放さなかった彼は。
「おかげで満足もできずにこんなところまで来る羽目になった。責任をとれ」
「えー」
無茶苦茶な理論だが、彼の中ではもう決まってしまったことらしい。ならばその手を取って一緒に踊るのが、私にできる唯一の役割というものだろう。じっと見つめてくる彼の瞳には炎が灯っていた。うつくしい炎だった。何度その炎に助けられただろう。何度その炎に焼かれたいと願っただろう。どうしたって叶わない願いなどあちらへ置いてきてしまえばよかったのに。
「言っておくが、お前の遺体を焼いたのは俺だ」
「え、ほんと? やったあ」
なんだ、もう叶ってた。やった。じゃあもう思い残すことはないな。だって隣に彼がいるのだもの。
「そろそろ行こうか。手をつないでもらってもいい?」
「お前のそののたのたしたオリジムシよりも遅い歩調に合わせろと」
「足の長さが違うんだから無理言うなよ、って、わ」
いきなり抱え上げられて、高くなった視界にぐるりと目が回る。そういえば危なくなったらいつもこうやって抱えられて撤退してたっけ。懐かしいけれど事前に一声かけてほしかった。
背に回された腕には、ぎゅうぎゅうと必要以上の力がこもっていた。無言のまま顔も見せてくれない彼に、ようやく私はふはっと笑みをこぼしたのだった。