nightcap「まだ終わらないのか」
「先に寝てていいって言ったのに」
薄い夜着に腰の刀だけの姿で現れたエンカクに、男はため息をついた。時刻はとっくに夜シフトの時間に切り替わっており、最低限に抑えられた照明が執務机につく男のこけた頬を照らしている。自分と違いいつまでも年齢をとらないと思っていたが、よく見ればその顔には年月の影がある。彼とて月日の前では置いて行かれる者でしかないのだという当たり前の現実に気がつくまで、もうこんなにも時間がたってしまった。
「眠いんだろう?」
「眠くない」
「もう、そんな顔で言われてもね」
実際、本当に眠くはないのだ。どころか眠気が通り過ぎて行ってしまって困った結果、わざわざ彼の執務室にまで来てしまったのだから。彼の言葉を無視して勝手知ったる執務室へと足を踏み入れる。机の上は昼間より数段片付いていて、彼があまり現在の作業を続けるつもりはないのだということが見て取れた。
「ちょっとだけだよ、これだけ終わらせれば明日少しだけ楽になるから」
「そう言って前も徹夜だったな」
「ふふ、一人寝はそんなに寂しかった?」
「下らん」
以前、そう以前はどうやって眠っていたのだろう。勝手に潜り込んでくる低い体温に煩わされることもなく、ましてや人間の気配に熟睡することなどなかった頃。かぶりを振って思い出そうとしてみても、あまりにも静かな寝息しか思い出せないのだから重症だった。
「コーヒーでいいな」
「そこまでの作業じゃない」
無視して棚からカップを取り出そうとしていると、どすんと背中にぶつかってくる軽い質量があった。その心音が規則正しく動いていることを確認した途端に、ふありとエンカクの口からあくびが零れる。
「ほら、やっぱり眠いんじゃないか。いいよ、帰る。君のコーヒーが必要なほどの作業じゃないんだ」
「コーヒーくらいいつでも淹れてやるが」
「私にとっては特別なんだよ。ほら、もう行こう」
彼がそういうのならば、ここにとどまっている理由はない。戸棚を閉めて振り返れば、くちびるをどこかむずがゆそうに歪めた男が立っている。その様子が非常に気に食わなかったので、エンカクはひょいと軽すぎる男の身体を持ち上げて、肩に担ぎ上げた。
「うわっ、ちょっと! 誰かに見られたらどうするんだ」
「執務室で寝落ちたお前を、何度部屋まで運んだと思っている」
ずいぶんと増えてしまった表面の源石結晶が当たらないように抱えるのにももう慣れた。そして抱えられ慣れた男も暴れても無駄だと悟ったのかぴたりと抵抗にもならない抵抗をやめ、大人しく耳元で文句を言うだけとなっている。
「明日は会議が多くてほとんど執務室に戻れないんだよ、あーあ」
「朝にやれ」
「その朝が早いんだよ。なんで時差ってものがあるんだろうね」
「なら余計にさっさと寝ろ」
中身のない会話を繰り広げていれば、あっという間に自分の――そして同時に彼のものでもある――部屋に辿り着く。扉を開ければ出てきたときのまま、乱れた毛布だけが主人たちの帰りを待っていた。床に下ろした男から手早く服を脱がし、代わりに新調したばかりの寝巻を投げてやる。なにやら悲鳴が聞こえた気もするが、すでに眠気が限界なエンカクにはどうでもいいことだった。
「ん」
両腕を広げる男を抱き上げ、ごろりと一緒に寝台へと転がる。引き上げた毛布の中でごそごそと就寝姿勢を整えていた男は、やがて満足したのか、ぴたりとエンカクの胸に頬を押し当てながらくふりと笑う。
「さっさと寝ろ」
「はあい」
行儀のよい返事は後半があくびにほどけていた。その自分よりわずかに低い体温を抱き込みながら、ようやくエンカクは眠りに就いたのだった。