ぴかぴか バベルがロドス・アイランドという陸上艦を拠点として運用し始め、しかしいまだそこでの生活に慣れるまでには至っていない頃。久方ぶりの休みをもらったScoutは、しかしドクターの執務室で居心地悪く尾を揺らしながら立っていた。
無論のこと狙撃兵でもあるScoutは命令があれば一日でも一週間でもその場で身じろぎひとつせずに静止し続けることは可能だった。だが今の彼はオフであったため、先ほど提出した書類とScoutをチラチラと往復するドクターの視線にとうとう耐え切れずに口を開いた。
「何か不備があっただろうか」
「あ、あぁ、いや。報告書は大丈夫だ」
とは言いつつもドクターの視線はScoutから、厳密に言えばScoutのやや頭上から外されることはない。何か粗相をしでかしてしまっただろうかと内心冷や汗をかきつつ、現在のおのれの恰好を思い返してみる。とはいえ私服というものを所持していないScoutの現在の姿はといえば、いつもの恰好から上着と装備を外しただけでしかなく、別段おかしなものでもないはずである。帽子だっていつもかぶっている愛用の品であり、目立つ穴やほつれがあったわけではなかったはずだ。ひょっとして同僚の誰かに恥ずかしいいたずらでも仕掛けられているのだろうかと不安になって来たScoutは――なにせ同僚は一癖も二癖もある連中が勢ぞろいしているため何をされてもおかしくはないのである――後ろ手に組んだ腕を握りしめ、言葉を発した。
「熱烈すぎて、そろそろ穴が空きそうなんだが」
「すまない。その、少し気になってしまって」
やはり何か仕掛けられてしまったのだろうか。休暇に浮かれて気を抜きすぎだと叱責を食らうのかもしれない。サングラスの下で視線を落としながらScoutはドクターの次の言葉を待っていたのだが、しかし聞こえてきたのは意外なひとことだった。
「君の角が、いつもよりピカピカだな、と」
「ピカピカ」
語彙が死んだドクターはかわいい。いやそんなことを考えている場合ではない。ピカピカとはどういうことだろうか。やはり何か光系のアーツでも仕掛けられたかとおのれの頭上に手を伸ばしてみるも、当然ながらよくわからない。そこにあるのはいつも通りの硬質な自身の角でしかなく、困り果てたScoutが視線でドクターに続きを促すと、恥ずかしそうな咳払いとともに彼は答えてくれた。
「今日の君の角がいつもより輝いているように見えて、いつもはもっと鈍い輝きというか、君の角はあまり光を反射しないものだと思っていたから少し驚いてしまったんだ」
「? 別段何か使ってるわけではないんだが、光の反射……あー、そういうことか」
彼の言葉を数秒かけて理解し、安堵に思わず脱力してしまった。へたりこみそうになるのをぐっとこらえて、Scoutは目の前の疑問符を浮かべる彼にどう説明したものかと言葉を探す。
「いつもは砂をかぶってるんだ。あんまりピカピカしてると遠くからでも敵に見つかるからな」
語彙が伝染った。自分のような冴えない傭兵が言ってもなにもかわいらしくはないのだが、この場では意味が伝わることが最優先である。
「本当は専用の塗料とか、襤褸切れ巻いたりとかあるんだが、あそこじゃそんなものいちいち用意できんからな。とはいっても隠蔽系のアーツでもないから、単なる気休めに過ぎないが」
それでも一瞬、何のことを言われているのかわからなくなる程度には身に染み付いた習慣であった。小さい頃からの、誰に教えられるでもなく身に着けた、少しでも長く生き延びるための作法。おのれの欠けた片角がまだ幸運であったと言える程度には、死というものは常にScoutの一歩隣にあるものだったのだ。
「そうだったのか、身綺麗にしているからてっきり……」
「ん? 何か言ったか」
「いいや、何も。ここへ来るまでそれなりに長く一緒にいると思っていたんだが、まだまだ知らないことがあるという当たり前のことに驚いただけだ」
「まあ、人間だからな。俺だってあんたについては知らないことばかりだ」
覗き込んだ彼の眼はにこりとわかりやすい作り笑顔を浮かべていて、その奥にあるものをいつも通り何ひとつ見せてはくれなかった。おそらく、一生かかってさえ彼のことを理解するのは不可能なのだろう。彼はScoutのことをこんなにも丸裸にしてしまえるのに、奥底に沈めたたったひとつの思慕でさえ隠し通せているのかどうか。だがそんなScoutの内心を知ってか知らずか、疑問が解消した彼は穏やかな口調で話題を変えた。
「休みなのに呼び出して悪かったな。この後の予定に差し障りはなかったか?」
「予定というほどのものはないが、少し艦内を見て回ろうと思っている。あいにく、今までの人生で陸上艦というものには縁がなかったもんでな」
「工事中の場所も多いから気を付けて、というのは君には不要な言葉か」
「どこかの誰かさんが工事中の区画で二度ほどすでに足を滑らせたと聞いている。心して散策することにするよ」
「その話はどこから漏れたんだ? まったく、医療部がそこまで口が軽いとは思わなかったな」
そうして少しの間の雑談ののちに、ドクターの仕事の邪魔にならぬようScoutは退室し、ぶらぶらと目的地も決めずに歩くことにした。そんな彼が数年後には『今日のScout隊長は角と尻尾がピカピカだからこれからドクターに会いに行くんだな』とこっそり見守られるようになるなどとは、その時のScoutにはとうてい知りようもないのだった。