人間だった頃のような固形物がまだ食べられない私にはいまいち使い道がないので、冷蔵庫は与えられていないが、ドラルクが買ってくれたケトルでお湯を沸かし、紅茶を入れる。教えられてたくさん与えられたティーバックはとても便利だ。こんなに楽で大丈夫なのか? 現代の日本、やっぱりちょっと怖い。
吸血鬼の弱点のひとつは当然日光だ。中には日を浴びても耐えられる者もいるらしいが、吸血鬼として目覚めたばかりの私はおそらく無理だろう。すぐに眠ってしまう私がそのまま朝日に晒されないように、ドラルクにもノースディンにも、夜であろうとカーテンは開けるなと厳命されていた。だが私は毎晩のように窓辺に椅子を寄せて、紅茶のカップを手に新横浜の町を見下ろす。とっくに夜も遅いのに、灯りが絶える気配はない。
新横浜の夜景が私は好きだ。かつては吸血鬼が這い出してきて人間を襲う時間帯だった暗い夜が、今はこんなにも明るい。ドラルクとロナルドのように、ここでは吸血鬼と人間が手を取り合っている。私はもう、吸血鬼というだけで、無垢な少年も、その子を命がけで守ろうとした保護者も傷つけようとしないでいい。そもそも私自身が今や吸血鬼なのだ。
冷えた手で温かい紅茶のカップを包み込み、私は地上から顔を上げ、夜空を仰いだ。そろそろ夜が明けてしまう。今日はもう来ないのだろうか。眠気に抗いながら、日光への恐怖と戦いながら、私はノースディンを待っていた。
毎晩のように窓から訪ねてきてくれて、惜しみなく接吻をし、抱きしめて温めてくれる彼に自分が依存しているのはわかっていた。私は外に出なければいけない。この部屋は暖かいが、風通しが悪すぎる。
「……外に出てみたいのですが。」
訪ねてきたドラルクにそう訴えると、彼はぱあっと顔を明るくした。
「ここは魔都シンヨコなのでまだ不安はありますが、あまり引きこもっているのもよくないですからね。少しずつ試していきましょうか。お供しますよ。」
ドラルクは、着古したカソックを脱いでからずっと寝間着を着ていた私が、新横浜ヴリンスホテルからこのビルに移動する時に購入してくれた服を持ってきて、とりあえずこれに着替えてください、と促した。
「いい機会ですしちゃんとした服も何着か見立てたいですね。しかし、服を買いに行くための服が。ヌニクロも決して悪くはないのですが、服飾店にもドレスコードがありますので。」
「い、いや、服なんて清潔で見苦しくなければ何でも……」
「いずれは竜の一族にも紹介したいですからね。さすがに全身ヌニクロでは連れていけません。とりあえず既製品を見繕ってきますよ。お直しはあとからでもできますし。採寸させてください。」
この人、いや吸血鬼は、優しいんだけどこういう時は私の話を一切聞いてくれないな。ドラルクはメジャーを取りに一度事務所に戻った。
私には十分着心地がよくて何ら不満もない、ヌニクロとかいうセーターとズボン、ジャケットをまとった私の身長や肩幅、腰回りなどを計りつつ、手首を手に取るとドラルクは顔をほころばせた。
「お顔から薄々察していましたが、少しはふっくらしてきましたね。よかった。」
そう言われて、思い当たるのはノースディンの接吻だけだった。自分が赤面したのがわかった。つい顔を背けてしまうと、ドラルクは数秒固まってから、憤怒の表情に切り替わり、日本語で何やら叫んだ。
「……マジで手ぇ出しやがったなあんのショタコン野郎!」
ポケットからスマートフォンというらしい薄い板を取り出して、ドラルクは部屋を飛び出していった。ドアの外から喚く声が聞こえる。彼らはふたりとも親切で優しい方なのに、どうしていつもいがみ合っているのだろう。
私が彼らに関わってしまったせいだ。彼らの厚意は素直に受け取りたいが、もうこれ以上迷惑はかけたくない。私は私で自立がしたかった。ドラルクが戻ってくるのを待たずに、私はひとりで新横浜の町に出て行った。