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    岩藤美流

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    岩藤美流

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    蒼の誓約 7

    ##パラレル

    魔法使いは長い時間、罪人の胸に縋りついて泣きました。溢れ出た涙は海へと還り、泣き声は洞窟に反響して、自分の中に還って来るようです。まるで子供の泣き声だと魔法使いは思いました。
     子供の頃、魔法使いは珍しいタコの人魚であることを、それはそれはからかわれ、いじめられたのでした。人魚は純粋だと罪人は言いました。まったくその通り、純粋であるがために残酷でした。言葉でなじられるならまだよいほうで、追いかけ回されたり、閉じ込められたり、時には傷付けられました。タコは再生能力が高いから、と、足をちぎられそうになったことも有りますし、一口ぐらいとウツボの人魚にかじられかけたことも。無力で小さな稚魚にとって、どれほど恐ろしい経験だった事でしょう。深海に見つけた、誰かの住んでいただろう洞窟に閉じこもってやっと、魔法使いは安心して暮らせるようになったのでした。
     強くなれば、いじめられることもないのだ。最初は、身を守るためでした。それは次第に、彼らを見返し、同じ目に合わせてやるために変化しました。やがて全てを手に入れるほどに強くなると、今度はそれを守ることに執着しました。この海の全てが、自分の掌の中に納まっていないといけないのです。でなければ、また、いじめられるかもしれませんから。
     罪人が、魔法使いの背中をずっと撫でてくれていました。その優しさを、魔法使いは知りません。その安心を、魔法使いは初めて手に入れました。そうです。それだけでよかったのです。泣かずに済む、傷付かずに済む、怯えずに済む場所が欲しかっただけなのに、いつの間にか何もかもがおかしくなっていたのでした。
     そのことに気付いた時、魔法使いは、感情が執着を生むという罪人の言葉を思い出したのです。魔法使いは人魚でいながら、人間のように感情を、執着を持っていました。そしてそれがきっと、悪いほうに作用したのでしょう。魔法使いはただ、この愛しい人を守りたいと思っただけなのです。離れたくないと思ってしまった、それだけなのです。
     罪人の手は、魔法使いの背中に触れて、時折何か魔法を注がれているのを感じます。それがきっと、彼の言っていた治療手段なのでしょう。その感覚を頼りに、魔法使いもまた、罪人の背に手を乗せ、魔力を注ぎました。
     それは何か、酷く絡まった網や、海藻を解いていくのに似ていました。細い無数の線が絡まった世界を、ゆっくりゆっくりと開いていくのです。開かれまいと閉じようとするのを、無理にではなく、優しくなだめながら、そっとそっと、開いていきます。そうすると、中に入っている彼自身と出会えるのです。
     罪人の中に隠れていた、彼自身にそっと触れた時、魔法使いはある光景を目にしました。それは言葉や、不快な空気でもありました。恐ろしい罪の子、同族殺しと人々から怖がられ、侮蔑の眼を向けられているのが感じられました。それに、治療を施す相手からひどい言葉をかけられました。私に何をするの、あなたも私を裏切るの、殺してやる。暴力を受けることも有ります。それでも、それでも罪人は彼らを助けようとしました。まるで魔法使いにそうしたように。そこまでして救えない者を、涙を零しながら手にかけました。どうか安らかにと祈る罪人に、家族を殺したと怒声が浴びせられました。
     そんな彼の、唯一の希望。彼は大切に大切に、小さな命を2つ抱いていました。その時魔法使いは自分の大きな過ちに気付きました。
     彼を救おうと思ったのに、自分は彼の希望を奪おうとしたのだと――。



     アズールが目を覚ました時、そばにはイデアが横たわっていた。
     鉄の檻は開いたままだ。イデアは目を開いたアズールを見て、「よかった」と微笑む。アズールは首を振った。
    「どうして、逃げなかったんです。僕が眠っている間に、陸に帰ればよかったのに。目を覚ましたら、またあなたを閉じ込めるかもしれないでしょう」
    「逃げたらきっと、君が傷付くし。それに、もう僕を閉じ込めようなんて、思わない気がしたから。……契約、してるでしょ。君の言う通り、君が望んで僕を陸に帰さないと、ダメだと思ったんだ」
     イデアの声は優しい。これまで治してきた人間達にも、ずっと同じようにしてきたのだろうか。向けられた悪意にも、受けた暴力にも恨み言一つ零さずに。宿命だとそれを受け入れて来たなら、それは人魚などよりもずっとずっと純粋に過ぎるとアズールは思った。
    「……あ、あのね。僕の声は、自分で治したんだよ。それに双子の人魚には、アズールを助けるために協力してもらったから……彼らを責めないであげて、彼らは……」
    「ええ、ええ、わかっています。わかっていますよ……」
     彼らは裏切らない。わかっていたけれど、所詮は契約で結ばれた関係。それを心の何処かでずっと恐れていたのかもしれない。感情が揺らいで、自分でもどうしようもないほどに疑心暗鬼に駆られ、恐ろしいことを考えてしまったけれど。本当はわかっている。何もかも、わかっているのだ。
    「……あなたを……陸に帰します。契約は……破棄します」
    「アズール……」
    「勘違いしないでください。僕は諦めたわけではありません。これは契約の見直しです。僕は必ず、あなたを解放してみせます。その為には少し……時間が必要なだけです」
     だから、僕が契約を果たすまで、どうか消えないでください。アズールの声は僅かに震えた。その願いが叶うかどうか、誰にもわからない。だのにイデアは、柔らかく微笑んで、「わかったよ」と頷いた。
    「その時まで、僕は消えない。だから、また会おう。あの砂浜で」
     たくさんのことを話そう。星を見ながら、さざめきに耳を傾けながら、風に頬を撫でられながら。その時間の優しさを思い出して、アズールはまた胸が苦しくなるのを感じた。
     まるで胸の中に火が灯ったようだ。
     ああ、これは。これこそが、きっと、恋なのだ。
     アズールは、イデアに手を差し出した。その手を、イデアがそっと握り返す。
     檻を、洞窟を泳ぎ出て、ゆらゆらと明るい海面へと上がっていく。海流に乗れば、嘆きの島まではそう時間はかからない。無数の魚達と共に流されていきながら、二人は海を眺めていた。
     まだ陽の有る時間帯のようで、海は以前見た時とは違い、澄んで何処までも優しい蒼をたたえていた。太陽の光が差し込んで、ゆらゆらとカーテンのように揺らめいている。美しい光景だ、とアズールもまた思った。ここは純粋で、残酷で、そしてひどく美しい。
    「アズール、あのね」
     イデアの声が聞こえる。
    「僕、嬉しかったんだ。君が……僕の姿を見ても、怖がらなかったのが。人魚だから、当たり前なんだけど……人間はみんな、僕のことを嫌いだから。……君が、優しい声で、瞳で、僕に接してくれるのが嬉しくて……君とお喋りしている時間は本当に楽しくて、この時間が永遠ならいいのにって、いつも思ってたんだよ」
     それはアズールも同じだ。こんな自分を優しいと、美しいと言った者など他にいなかった。受け入れられる喜びを、共に過ごす時間の温かさを知った。できることなら、ずっとこの時間が続けばいい。そう思った。
     だからこそ、救いたいと思ったのだ。
    「……きっと、そうなります。僕らの時間を永遠にします。僕が、必ず」
     握った手に力を込めると、その手が握り返された。
     ほどなくして砂浜に戻った二人は、言葉も無く手を離した。契約は、終わったのだ。
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    岩藤美流

    DONE歌詞から着想を得て書くシリーズ①であり、ワンライの「さようなら、出会い」お題作品の続きです。参考にした歌は「A Love Suicide」です。和訳歌詞から色々考えてたんですけど、どうも予想通りタイトルは和訳すると心中だったようですが、あずいでちゃんはきっと心中とかする関係性じゃないし、どっちもヤンヤンだからなんとかなりそうだよな、と思ったらハッピーエンドの神様がゴリ押しました。イグニハイド寮は彼そのものの内面のように、薄暗く深い。青い炎の照らしだす世界は静かで、深海や、その片隅の岩陰に置かれた蛸壺の中にも少し似ている気がした。冥府をモチーフとしたなら、太陽の明かりも遠く海流も淀んだあの海底に近いのも当然かもしれない。どちらも時が止まり、死が寄り添っていることに変わりはないのだから。
     さて、ここに来るのは初めてだからどうしたものか。寮まで来たものの、人通りが無い。以前イデアが、うちの寮生は皆拙者みたいなもんでござるよ、と呟いていた。特別な用でもなければ出歩くこともないのかもしれない。さて、寮長の部屋といえばもっとも奥まっている場所か、高い場所か、あるいは入口かもしれないが、捜し歩くには広い。どうしたものかと考えていると、「あれっ」と甲高い声がかけられた。
     見れば、イデアの『弟』である、オルトの姿が有る。
    「アズール・アーシェングロットさん! こんばんは! こんな時間にどうしたの?」
     その言葉にアズールは、はたと現在の時刻について考えた。ここまで来るのに頭がいっぱいだったし、この建物が酷く暗いから失念していたけれど、夜も更けているのではないだろうか。
    「こ 5991