きんぎょのむすめ ふと見下ろせば、俺の視界に泣きじゃくる幼女の姿があった。
歳の頃は五つあたり……まだ「かみ」の手元に居るくらいだろうか。
どんどんひゃらら……
ぴぃひゃらら……
「うわぁーん!あーんあーん」
あたりに響くは祭囃子と人波が生む喧噪。
誰ひとりとしてこの娘に気付くわけもなく。
頭に揺れる大きな赤い花の髪飾りと、ゆらゆらとひらめく兵児帯。
ああ、まるでこの子は大きな水槽を泳がされ迷子になった金魚すくいの金魚のようだ。
「おい、どうした」
金魚すくいなら、今ここですくってしまおうか。
俺はそんな事を考えながら、娘のそばにしゃがみ込む。
「……ふぇ……?」
我に返った娘は俺を見上げると突然「うひゃあ!」と声を上げた。
…その理由は、何となく見当がついた。
「そんなに驚かせてしまったか?すまない。だが俺もこれ以上小さくなるのは無理なのだ」
「……ふぇ…ぅ…え、と……」
俺のかけた言葉に戸惑っていてようだが、どうやら娘は少しずつ落ち着きを取り戻してくれているらしい。
「ああ、そうか。俺は大包平。お前が泣いているのが気になってこうして今話しかけた所だ」
「おおかね、ひら?」
「そうとも、大包平だ。で…お前は何か困った事でもあったのか?」
暫し娘は俺の顔を不思議そうにじっと見つめていた。
まぁ、無理もあるまい。
「あのね、まいごになっちゃったの……おかあさん、いなくなっちゃったの……」
そしてこの言葉も案の定。
「お前の母は、この祭の中に居るのか?」
俺は祭囃子の方を向く。
「……うん」
娘は小さく……だが確信をもって頷いた。
「ならば、やれる事はこの位か」
俺は娘に立ち上がるよう促した。
そして。
「うわぁ!」
「この位置ならお前の母も見つけやすかろう。心配するな、この大包平が付いている。頑張って探すぞ」
俺は娘を肩車すると祭の喧騒の中へと足を踏み出した。
すれ違う家族連れや、若者たち。
木製、これはせるろいど製…だろうか。皆それぞれ思い思いに面をかぶり、そのいでだちも浴衣であったり今様であったりと様々だ。
突き当りに差し掛かればそこには広場があり、小ぢんまりとはしているものの…この場に居るものたちで協力し飾り立てたのであろうか。素朴だが明るく華やぐような雰囲気に包まれた祭櫓がそのど真ん中に組まれていた。
―続いては東京音頭。炭坑節。ドンパン節の三曲となります。
祭櫓につ萎えつけられた拡声器からそんな言葉が響き、続いて音楽が流れだす。
「ここにはいるか?」
俺の問いに娘は小さく首を振った。
「まぁ、皆面をかぶっている。見つけにくいのは当然やもしれんな」
娘は俺の頭にひしと縋り付いてきた。
顔は見えぬが、きっと今にも泣きそうになっている。俺はそう感じた。
……すぅ。
「おかあさーん」
俺はありったけの声で叫んだ。
「」
「どうした?見つけにくいのであればいっそ大声で呼べ。そしてお前の母に気付いてもらおう」
娘は暫し沈黙した。が、やがて俺に負けじと声をあげる。
「おかぁさぁーん」
「そうだ!おかあさーん」
祭囃子にも。盆踊りの音楽にも。祭に溢れる喧騒にも。
この大包平、絶対にこの娘をかき消させたりはしない。
声を上げ、辺りを練り歩き。俺と娘は呼びかけ続けた。
それから、どのくらいたっただろうか。
広場の片隅に佇む朝顔柄の浴衣の女性の姿が俺の目に留まった。
多くのものが面を被っている中で、その女性は狐面を頭の上にあげている。
ああ。彼女こそが、この娘の母親か。
俺はそう確信した。
「おかあさん!」
娘もその存在に気が付いたらしい。
「ああ、そうだな。行こう」
俺はその女性へと近づいた。
「ああ、すまない」
「はい?なんでしょうか」
「この娘は、あなたの子ではないだろうか?」
「!」
「誰にも気づかれず泣いていたのを偶々俺が見つけた。ずっと、ずっとあなたを探していたようだ」
「……」
「どうか自分を責めないで欲しい。盆踊りでは皆が面をかぶる。生者も死者の境界が曖昧になるから」
「………」
「あなたの娘は勇気のある子だった。蹲るのをやめ、最後には俺と共に声を上げた。そして」
「……はい」
「その言霊があなたの方へと導き…そしてあの子は気が付いたのだ」
「………」
「……迎えて、やりなさい。今度はあなたが気が付く番だ」
母親は両手に真っ赤な髪飾りを握り締め、その場で声を殺し涙を流す。
ちいさく「おかえりなさい」そう呟いて。
おおかねひら、ありがとう。
どこかで小さな声がきこえる。
「ああ。縁があったら……いずれどこかでまた会おう。この大包平、地味な仕事と待つことには慣れている」
軽やかな笑い声と共に、心の片隅で小さな赤い金魚が弧を描いた。
そんな気がした。
了