抜け駆けする🍷と愛煙家の💍「主様、煙草はあまり体に良くないよ」
「……寝酒もあまり体に良くないよ」
　参ったな、と溜め息を吐いた。
「1本だけですよ？」
「ありがと。ルカスも飲んでいいよ。それでお相子にしよ」
　主様は悪戯っぽく微笑んでそう言った。月明かりに照らされて、いつもと変わらない筈のその態度も、笑顔も、何処となく艶めいて見えた。

　グラスにまた一度、口を付ける。主様が煙草を吸い込むペースに合わせるようにして。
　こんな時間に2人きり、皆に内緒で悪いことをしている。それも主様の部屋で。それだけで鼓動は早まって、いつもより酔いが回るのも早かった。
　
「主様、どうすれば私だけを見てくださいますか？」
　アルコールにとろけた頭で言えば、後からいくらでも誤魔化せるだろう。
　
　主様は私を愛してくださる。悪魔執事という窮屈な立場の私を。けれどそれは1人の人間としてではない、主様は、我々17人の悪魔執事を平等に愛しているのだ。とても純粋で、高尚で、清く美しい慈愛、博愛。
　その愛を、そして主様その人を尊く思う一方でいつの間にやら、それを独り占めできたなら、なんて不純な考えに至ってしまったのだ。

　例えばここにパウンドケーキが丸ごと1本あったとしよう。ドライフルーツを沢山混ぜて焼いて、仕上げにクリームチーズのアイシングをたっぷり掛けた、特別なパウンドケーキ。
　これを皆で分けて食べるとしたら、相当慎重に、正確に等分するだろう。
　けれどそれでも、どうしたって偏りが出る。1つにはレーズンしか入っていないかも知れないし、また1つにはアイシングが他より分厚く掛かっているかもしれない。
　そうなれば当然、前者はレーズンが好きな人か、パインやマンゴーが苦手な人へ、後者はチーズや甘いものが好きな人へ渡ることだろう。
　だけどもし、1人で食べることができたなら？　レーズンの多い所も、アイシングの分厚い所も、ベリーの程よく混ざった所も、少し焦がしてしまった所さえも。全部自分1人で味わうことができたなら、どんなに満たされることだろう！

「ねえ、主様……？」
　咥えた煙草が反射して、赤い火が灯った瞳を見詰める。貴方は今、何を考えているの？
　主様が息を吸い込んだようで、煙草の先が静かに燃え立った。黒い瞳に赤い炎が良く映える。不意に首ごと目を逸らされる。丸い頭の向こうで、灰色の煙が吹き上がった。
　
「ルカス、か〜わいい」
　 振り返った主様は、妖艶に目を細めて笑っていた。私は呆気に取られて、痺れたように動けない。けれど主様から目を離せない。考える余裕も無いまま距離を詰められて、胸に、頬に、そっと触れられて……、唇を奪われた。

　初めてのキスは灰や炭より苦かった。東の大地に伝わる、薪を枕にし胆を嘗める苦行を思い起こさせた。
　けれどその苦味にこそ舌が痺れ、脳髄が痺れた。

「あは、ルカスの口の中、甘いね」
「主様は、とても苦いですね」
　主様は私の答えを聞いてからからと笑った。

「甘い言葉をくれたなら、キスしてあげる。誠意を見せるなら、体を許してあげる」
　
　手の平を此方へ差し出しながら、主様は何処か虚無主義的に言い放った。きっとこの世界の誰も知らない主様の姿、私だけが知っている主様の姿に、心が踊る。差し出された手を、何処ぞの神様が垂らした希望の糸の様に感じた。
　私はごくりと唾を飲んで、息を吸い込む。
　
「では、貴方の心を手に入れるには、何を捧げれば良いのでしょうか？」
　言ってから、その言葉の余りの女々しさに気付いて、辟易する。糸は途切れてしまったかも知れない。
「全部、賭けてみせて。そしたらきっと好きになってあげる」
　私の女神様は慈悲深く、それでいて冷酷無比だ。