とあるリリィの人魚劇 その港町は白夜が空と海を支配していた。
夜と言うには明るく、朝というには暗く、そんな薄暗い世界が数十年と続いており、太陽が海を照らす昼や、月が空を輝かすを知る者は老人ばかりで、今は昔話として語り継がれているような伝説となっていた。
昔は夏になれば暑く、冬になれば寒かったらしいが、今は一年を通して、いや一日を通してずっと肌寒く、涼しくて過ごしやすいが、油断すると手足が冷えてしまうような気候が続いていた。
日照や寡照で人体や家畜、作物等にも様々な問題が起きるはずなのだが、不思議な事にその港町にはそれらの弊害は起きていなかった。
ただ日照が多い地域にありがちな明るさは落とされ、暗く淀んだとまではいかないが静かで凪いだ営みが港を包んでいた。
そんな港町にカルデア一行がレイシフトしてきたのは五日ほど前だ。
この天候不良は聖杯絡みかそれとも魔術師がらみか、事情聴取をするものの、これといった成果は得られない。
陽気ではないが穏やかな住人達、天候以外は異常がない港町。
常に戦闘の気配に気を張る必要はないが、まるで霧の中をただ歩いているような感覚に、焦りと気の緩みもでてきた。
こんな時だからこそ、気を引き締めなくてはと、単騎、情報収集に勤しんでいたパーシヴァル。だがやはり、情報を得られず、通常なら地平線に夕日が沈む時間、頭を整理しようと砂浜を歩いていた。
じゃり、じゃりと貝殻や小石が混じった砂浜を歩く。
もうそろそろ宿に帰ろうかと踵を返そうとして、
「〜〜♪」
歌が聞こえた。
男性の高い音、よく通る耳に心地よい声は、優しい調べを紡いでいた。
その声があまりに懐かしく、恋しかったものだから、パーシヴァルは宿に向けていた足を、じゃり、とそちらに向けていた。
音に誘われて歩き、海にまで足を入れ、たどり着いた場所は岩が幾つか海面に迫り出した所だった。
パーシヴァルの長身を持ってしても胸元まである海面。
低くはあるが確かにある波は、岩やパーシヴァルの顔を容赦なく海水で浸していた。
高波が襲ってきたら一気に沖合までもっていかれるなと分かっていたものの、パーシヴァルは歌の主を探すのをやめられない。
薄く明るい空の下、薄く暗い海の岩の上に、パーシヴァルが求める者はいた。
パーシヴァルに背を向けている身体は薄明かりでもはっきりと見えた。
ゆるくウェーブがかかった黒い髪、毛先は痛んで白くなっている。
何も身につけていない上半身は肌の色がよく見え、彼の身長の割に線の細い身体を惜しげもなく晒していた。
まさか、そんな、とパーシヴァルは気がついたら声をかけていた。
「……バーソロミュー?」
歌がやむ。
ゆっくりと振り返った顔はまさしく彼で、ずっと見たかった青の瞳は驚いたように見開かれ、ドポンと止める間もなく、海にへと消えていった。
「待ってくれ!」
海水をかきわけ追いかけるが、もう声の一音も聞こえはしない。
パーシヴァルはまた間に合わなかった手をきつく握りしめ、下半身が人魚のようになっていたバーソロミューが消えていった海を見つめていた。
「……はい。人魚の姿をしていましたが、声や顔は間違いなくバーソロミュー・ロバーツでした」
宿へと帰ったパーシヴァルは、身体を拭く事すら忘れた彼に驚きタオルをかけてくれるマスターに、礼を言いながら、先ほどあった事を報告した。
モニターの先で報告を聞いていたダ・ヴィンチは、『う〜ん』と腕を組む。
『人魚……マーメイドと言おうか、えーと、パーシヴァル卿、念の為確認するけど、バーソロミューは男のままだったよね?』
「は? はい」
質問の意図が分からず困惑するが、パーシヴァルはとりあえず返事をする。ダ・ヴィンチは困惑するのは織り込み済みだったらしく、だよねーと言った。
『人魚っていったらマーメイドを連想するんだけどさ、綺麗な女性の上半身と魚の尾の下半身なんだよね。男の場合はマーマン。で、マーマンの場合、容姿は醜いってされてるんだよね。で、バーソロミュー。パーシヴァル卿、君の目から見ても、彼の容姿はどうだい?』
「とても、整っているかと」
『そうなんだよ。とても綺麗な容姿のマーマン。普通と違うマーマン。調査する過程で発見できなかったのかなぁって。民間伝承だから、この地域のマーマンが美形で、まだ淘汰されてないでもおかしくはないんだけどさ……』
ダ・ヴィンチはそれから、民間伝承の妖精やその土地の化け物とか妖怪って、人々の交流が発達するほど混じり合い、平均化して、個性を失っていくからね。その地域で別の呼び方の別の妖怪だったとしても、上は人間、下は魚なら人魚だろうと、じゃぁこれから人魚でって統合されちゃう事もあるぐらいだ。その失われた個性を失われたと認識できてる場合はいいけれど、それすらできない伝承がどれほどあるか。とぶつぶつ語った後、でも方針は決まったね! と明るく言った。
『人魚について調べよう。伝説や昔話、目撃談でもいい。特異点解決のきっかけになるかもだ』
夜も遅いので解散となり、ちょっと残ってくれと頼まれたパーシヴァルだけがダ・ヴィンチの前に立つ。
呼び止めたのはダ・ヴィンチ。だが切り出したのはパーシヴァルだ。
「……ダ・ヴィンチ殿、人魚の歌声は人を惑わすと言われています。私が惑わされ、バーソロミューの幻影を見た可能性は?」
『それも込みで調べていくつもりさ。それでパーシヴァル卿……』
ダ・ヴィンチの口調や表情が変わり、気遣わしげなものになる。
『大丈夫かい?』
「……それは私などより、マスターにかける言葉かと」
視線を少し伏したパーシヴァルに、ダ・ヴィンチは困ったように笑う。
『それはそうなんだけどさ、マスターはマシュや他のサーヴァント達がフォローするから。私ぐらいは君を気遣おうかなって』
「貴殿の心遣いに感謝を。だがこれは自業自得で、受け入れるべき傷と痛みで……傷になっているという事すら無恥なのです」
ダ・ヴィンチは悲しそうに目を細めると、それ以上は何も言わずに、通信は終わった。
静かになった室内で、パーシヴァルは細く長く息を吸い、そして吐く。
そして窓から薄暗い外を眺め、海を見た。
——もしバーソロミューがこの海を見たらどんな反応をするだろうか。
夜があけず、朝がこないなど、なんと退屈なと言うだろうか。
それとも面白い! とすぐに海に出たがるだろうか。
どちらにしろ、ちょっと船で出てみないとなんとも、と海にでたがるだろう。
白夜の中、嬉しそうに操舵する彼を想像し、緩みかけた頬に力を入れる。
カルデアで笑うのはいい。和むのも。
だが彼に関してだけはダメだ。そんな資格は自分にはない。
彼の恋を知りつつ友にと望み、聡い彼に告白すらさせなかったくせに、今更、彼を恋しがるなど。
パーシヴァルは彼の最期、マスターを庇って敵の砲弾を受けた彼の姿を思いだす。
弾丸により横腹に穴が開き、それでも衝撃を消しきれず、船から弾き出された身体。
もう消失は指先から始まっており、海に到達する前に、抱きしめて救済の光をと、足を踏み込み手を伸ばそうとして、「マスターを!!」という怒声で踏みとどまる。
それを見て満足そうに微笑み、彼は海に消えていった。
人魚の伝説は空振り、だが悲恋から海に身を投げたという女性の言い伝えを知り、そこから聖杯の力を得てこの港町を白夜に閉じ込めている悪霊を発見。
海上での戦闘となり、天候を操る悪霊に苦戦したものの、討つ事ができた。
だがその最中、パーシヴァルが海に落下。
いくら大荒れの海でもサーヴァントの身、すぐに浮上できるはずが、海水は魔力を帯びており、うまく泳ぐ事ができない。
しかも黒い触手のようなものが身体に絡みつくように泳ぎを妨害する。
パーシヴァルは息を全て吐き出し、身をジワジワと攻撃してくる海水に意識がぼやけていく。
目を閉じた時、触手とは違う何かに腕を引かれる。
目を開ければ遠ざかっていく触手と、海底が見え、驚いている間に顔に空気が当たる。
海面に出たのだ。
身体が勝手にゴホゴホと海水を吐き出し、空気を吸おうとする。
何が起こったか理解する前にグイグイと砂浜まで引っ張られる。
「ちょっと、ま、ゴホゴホッ」
足がつくほど浅瀬にくれば、自分の腕からするりと解けた腕をパーシヴァルは反射的に掴んだ。
「ま、待ってくれ!!」
パーシヴァルを荒れる海から助けてくれた者は、自分の腕を掴む手とパーシヴァルを交互に見比べ、その海色の瞳に警戒の色を滲ませる。
そんな顔をさせたいわけではないのに。
「お礼を、そう、お礼をしたいんだ。それに貴方の歌と、話も聞きたくて、だから」
——騎士様は褒め言葉がうまくてらっしゃる。私が純朴な村人だったらころりと惚れてしまう所だよ。
いつか彼が冗談混じりに言った言葉が過ぎる。
彼は褒めてくれたが、今は褒め言葉の一つもでてきやしない。ただ真っ直ぐに、彼と同じ顔を持つ人魚に話をしたいと伝えるだけで精一杯。
辿々しい言葉で伝え続ければ、白夜はいつしか開け、数十年ぶりの夜が終わる。
朝日が海と二人を包み、人魚は警戒の色は薄くなったものの、ただ不思議そうに「きゅる」と鳴き、パーシヴァルを見上げていた。