猫一匹に期す朝、身支度を整えて居室を出ると、鶴丸国永とばったり行き会った。
否、ばったりと言うのは正しくないかもしれない。鶴丸は吹き曝しの渡り廊下で桟にもたれ掛かって、何かを待っているような風体だった。まだ早い時間だが戦衣装をきっちり着込んだ姿は、すっかり色づいた庭の紅葉の中で白く浮き上がって一層目を惹いた。金鎖が薄い朝日を弾いて光る。
刀剣男士の居室が並ぶ棟は廻廊になっていて、一本の渡り廊下で他の棟へ続いている。彼はそこに居た。
鶴丸はこちらと目が合うと、思いがけず面白いものが現れたように笑う。
「お、三日月か。なるほどな」
「お早う、鶴丸。俺になにか用か」
「早起きのきみにこいつをやろう」
軽い動作で近寄ってきた鶴丸は、三日月の目線の高さに何かを掲げた。白い指がつまみ上げているのは体を丸めて眠る猫の根付だった。象牙を削ったもので温かみを感じる色をしている。それほど精巧な造りではないからこそ、間の抜けた姿は見るものをほっと和ませる力がある。
「愛嬌があるなぁ。どこで見つけてきたのだ」
「遠征の土産だ」
三日月は意外に思って根付から鶴丸へ視線を戻した。確かに昨夜、鶴丸国永が編成された部隊が遠征から戻ったことは三日月も知っていた。その遠征先で入手したものなのだろう。過去から物を持ち帰る行為は制限されている。拾うでも買うでも、管狐の精査が必要だ。さして手間という程でもないが、逐一確認しなければならないのでやはり面倒ではある。
やると言う宣言通りに根付を掌に乗せられたが三日月は戸惑った。特に土産を貰う訳もなかっただろうと思う。
「なぜ俺に?」
「遠征に出たら土産を買って帰るもんだと部隊のやつらが言うから、そんなものかと思って買ってみたんだが、別に渡したい相手がいるわけでもないと気が付いてな」
鶴丸は自分の迂闊さを笑うように肩をすくめた。
「それで今日最初に会ったやつに渡そうと決めたんだ」
それでこのような場所で誰かを待ち構えていたらしい。三日月は頷いた。
「無理に買わずともよかっただろうに」
「土産を持っていくと喜んでくれるから楽しいと、皆言うからどんなものかと思ったんだ。そんなに良いものかと」
そこでまじまじと三日月の様子を観察した鶴丸は怪訝そうだ。
「きみは嬉しそうには見えないな」
鶴丸国永はつい最近励起されたばかりの刀だ。土産を買うのは贈りたいものが居るからであり、貰って喜ぶのは心遣いが嬉しいからだ。そもそもの順序が逆であることに鶴丸は気が付いていない。いや、まだ経験が伴っていないだけだろう。
皆が楽しいということを真似してみる素直さに微笑ましささえ感じたが、笑っては気を悪くさせるかと口元を引き締める。
「いいや、嬉しいぞ。今日は運がよかったな。礼を言おう」
礼を言葉にしたのは、まるきり社交辞令というわけでもなかったが、鶴丸はそうは受け取らなかったようだ。不服そうな面持ちをして、それでも頷いた。仕掛けた悪戯に思ったような反応が得られなかった子供のようである。
「ま、いいか。印籠か財布にでも付けたらいいさ」
刀が財布を持つのも驚いたがなぁ。主殿も律儀なことだ。と、本殿へ向かって歩き出すから三日月も続く。
「俺が使うには些か可愛らしいような気もするな」
「いやいや、きみみたいな美人の懐からこいつが出てきたらきっとウケがいいぞ。女子供に大ウケだ」
「そんなものか?」
「そんなものだ」
贈り物の機微も理解していないくせに、可笑しなところだけ心得たようなことを言う。そんな適当なことを言った後は渡した根付にも受け取った三日月にも大して感慨もなさそうにして、以降猫の根付のことが話題に上ることはなかった。
折角なら使ってみるかと赤い組紐をつけて、言われるまま財布に付けてみる。折角の道具、仕舞われたままでは哀れだ。だが、出し入れの際にうっかり落としてしまってはこ(・)と(・)だと思い、根付は箪笥に入ったりやっぱり財布に戻ったりしながら、最終的に審神者から賜ったお守り袋の番に落ち着いた。これならばそう出し入れもしない。
随分と長らく眠り猫は三日月の懐を守ってきた。以来、象牙の猫が三日月の元を離れたのは二度きりである。
ひとり本丸を後にしたあの時。修行の旅に出た日。
本丸へ帰り着き、自室の箪笥の上から二番目の抽斗を引いて、自分の所有者に起こった変化など知らぬ顔で眠り続ける猫を見た時に、三日月の胸に去来した想いを鶴丸は知る由もないだろう。
あれからすっかりひとの情理に染まった鶴丸は土産を渡す意味も貰う喜びも理解できたようだ。
そうして、審神者が亡くなり、賜った守り袋が意味を無くした今、役目を終えた愛らしい猫は抽斗の中で休んでいる。
障子を開けるとそこに広がっていたのは、嵐が過ぎ去った後のような、酷く散らかった一室であった。
否、散らかったというのでは生ぬるい。物取りが押し入って、ありとあらゆるものを床にぶちまけてからそのうえ牛が暴れまわったかの様相、とでも言えば伝わるだろうか。伝わらなさそうだ。
兎にも角にも、鶴丸の目の前には足の踏み場もない私室がある。
「こいつは、なんというか……酷いな」
得意の「驚き」の一言も出ないほどの有様に鶴丸は唸る。その一歩後ろで手に持ったごみ袋をガサガサ言わせながら所在なさそうにしているのは三日月だ。
先ほど、本丸裏のごみ捨て場でしおれたごみ袋を力なくぶら提げている三日月を見かけた鶴丸は、当然声を掛けた。理無い仲だ。その背中があんまりにも途方に暮れているようだったので、何か重大なことが起こったのかと聞いたのだが。
真剣な顔で部屋が片付かないと言うので、そんなことかと鶴丸は、なら自分が一緒に片付けようと安請け合いをしたのである。しかし、想像より遥かに散らかっている。半分だけ引っ張りだされたままの和箪笥の抽斗、選別を試みたらしい着物たち、茶器でも入っていそうな桐箱が数えきれないほど畳に出ている。中途半端に片付けようとした形跡のせいで整理整頓どころか物取りの現場になってしまっているのだ。
それでも、時間は掛かるだろうが、一緒に片付けてやることは構わない。問題は別にある。
「きみがここを出るまであと何日だ?」
「……三日だ」
そう、三日だ。この部屋の主である三日月宗近がここを引き払うまで後三日。本丸を去るまで、三日、である。致命的に時間が無い。
「少しは片付けようとしたのだが、より悪くなってしまった」
鶴丸は、まずもって片付けようと思い始めるのが遅いと言いそうになるのをぐっとこらえた。所有物の総数に対して致命的な遅さだ。普段は身の回りのことは手伝い慣れた者が手遅れになる前に何くれとは無く世話を焼いているはずだ。三日月自身が出来ない、というより皆が手伝いを申し出る方が早いということだが。引っ越しのために今回も誰か声を掛けていたような気がする。
「前に若いのが声を掛けてくれていただろう」
「……うむ」
手伝いの申し出をわざわざ断ったということだろうか。あの三日月が。自分の置かれた状況が非常にまずいことは自覚しているようで、まるで童子のように項垂れるしかしない三日月の姿は、いつもより一回り程小さく見える。
鶴丸はふうと息を吐いて笑った。
「これを片付けるのは骨だぜ。持っていける数は限られてるんだ。まず大雑把に要るのと要らないのとに分けるぞ」
「良いのか?」
「他の奴には頼りたくないんだろう? 大体、いいのか、なんて全く今更だぜ」
二人で手際よくやれば三日でも終わるかもしれない。とりあえず『要るもの』と『要らないもの』を置く場所を何とか確保して、作業を開始した。手あたり次第、目についたものから要不要と確認する。
「これは?」
「要るぞ」
「じゃあこっち」
「要る」
「それならこれは要らんだろう」
「要るなぁ」
あのなぁと思わず声を上げる。
「きみ。片付ける気があるのか」
三日月は、鶴丸が箱から取り出した湯呑をにこやかに『要る』のほうへ分けてしまう。これで『要る』湯呑は三つ目だ。正直二つ目あたりで要らないだろうと思っていた。ひとつで十分だ。
開始早々にこれである。
「まだ使えるではないか」
「そりゃあ使えはするだろうが。捨てるのが嫌なら市へでも流せばいいだろう。どうしても数が必要なら向こうで落ち着いたら揃えな」
鶴丸の正論に、三日月は渋々「そうだなぁ」と湯呑のうち美濃焼きの一つだけ選んであとは『要らない』方へ移した。横顔がどことなく寂しそうだ。『要らない』方の湯呑たちへ「良い者に貰われるのだぞ」と声までかけるせいで、『要らない』湯呑たちもなんだか哀愁漂う雰囲気がある。鶴丸も物であるので気持ちはわからなくはないが、これらに付喪神は憑いていないし、イチイチそんなことをやっていたら日が暮れる。なにせ本当に、物が、多い。
こりゃ本当に骨が折れるぞ、と鶴丸は密かに嘆息する。だが、この刀と居られる残り少ない時間を、共に過ごす良い口実に成るとも言えた。
三日月は三日後にこの本丸を出て、別の本丸へ配属になる。この本丸は審神者を失い閉じることになった。鶴丸もまだ日程は決まっていないが、ここを去る予定だ。刀は皆別の本丸へ移る手はずなのだ。審神者が病死した時、時の政府が出した命令である。恐らくは、審神者を替えて本丸を存続させるには刀の数が多すぎた。主は若いころから従軍し此度は大往生だ。人にとっては一生と同じくらいの年数の中で顕現した刀は百を超える。それを、そっくりそのまま新たな主に付けたとして、余計な不和、更に言えば政府への謀反を企てられては困る、と言う決定だったのではないかと、鶴丸は推察している。審神者の生前の意向は、刀を解かないことだったため、仕方がなく、別々にほかの本丸へ移すようにしたのだろう。勿論、できて日が浅い本丸へ経験を積んだ男士を配属することにも戦力増強の意味がある。
思惑は交錯したものの、残って役立てというのならそうする。もしかすると殉じたいものもあったかもしれないが、それが刀の性だ。
あちらへ持っていけるのは両手で抱えた箱一つと最低限の身の回り品だけだ。相当厳選せねばならない。
今度は着物の仕分けに取り掛かりながら鶴丸が言う。
「しかし三日月がこんなに物を持っているとは知らなかった。きみ、部屋に俺を絶対に入れなかったもんな」
「それはすまなかったが……。流石にこれを見せるのは気が引ける」
三日月は恥じ入るように言ったが、そんな些事であまり部屋に立ち入らせて貰えなかったのかと、鶴丸は密かに落胆した。ひっかき回したからこの有様だったのであって、収納さえされていれば本当に気にしなかったのに。今言っても遅いが薄情だとさえ思う。
「なぁ、いつからこんな有様なんだ? 随分前にはきみの部屋は殺風景だったじゃないか」
悔しさついでに尋ねてみる。三日月宗近がそれほど所有物に固執するとは鶴丸にとって意外なことだった。お互いをよく知っているからこそ、驚いている。
恋仲になる以前に時折訪れた時は、三日月の自室は何も無かった。顕現したてで与えられたばかりの頃のように素っ気ない様子で、鶴丸は「らしい」と好感すら抱いた。身一つで在るような刀だ。
手に負えなくなるまで、自分で買い集めたのだろうか。あまりそういう場面は見たことが無い気がする。鶴丸もいくつか物を贈った覚えはあるが、部屋いっぱいになるほどではない。となれば長い本丸暮らしで人から貰ったものを後生大事にしていたのだろう。
三日月は言葉を整えるように間をおいてからこう答えた。
「修行から戻ったあたりからだな」
「へぇ」
「心境の変化、というと何やら気恥ずかしいが、多分そういう類のものだったのだろう。溜め込みすぎだと自覚はあったが」
三日月は一度言葉を区切ると少し苦笑して、それから愛おしげに部屋を見渡した。
「どれも、由縁あってここへ来た物だ。そう思うとどうも、要らぬとは思えん」
「思い入れがあって捨てられないと」
「そんなところだ」
話しながら、箪笥から取り出した着物を一度広げて、そのままごみ袋に突っ込む。三日月が視線で良いのかと問いかけてくる。
「俺の横以外で着る必要ないだろ」
随分と前になるが、鶴丸がやった着物だった。度々これを着た三日月と連れ立って歩いたりもした。
三日月はごみ袋の底でくしゃくしゃになっている布地に懐かしむような一瞥を向ける。
「では、今度の時のためには別のものを誂えねばならんな」
「そう、だな」
今度、と三日月が発した単語に胸が重くなる。今度があるのかどうか、鶴丸には分らない。三日月にだって確かなことはわからないはずだ。受肉していようといまいと、己の舵取りを己で出来ないのはいつだって変わらなかったはずだ。
鶴丸は黙々と手を動かした。三日月も慣れてきたようで、惜しむような手つきで何とか仕分けられるようになってきた。
時折、出てきたものの由縁を三日月が語るのに耳を傾ける。他愛ないものは、格別に美味かった菓子の缶から、高級品では主から褒美で賜った鋳物の風鈴まで、何でも出てきた。よくも捨てずに取っておいたものだ。ともすると、些細なもの一つも捨てられないのかもしれなかった。
次第に部屋は片付き、ひとまず床に転がっていたものはあらかた終わったので、まだ奥に仕舞っていたものを取り出し始める。こういう時、押し入れは魔境だ。案の定、布団以外にもいろいろ詰まっている。
「これはなんだい?」
「それは明石国行と出陣を替わってやった時に礼に貰ったものだなぁ。あいや、明石はさぼりではないぞ。あの時は、直前の出陣で重症になったばかりの愛染がまたすぐに戦に出ねばならない時で、明石は心配だったのだろう。同じ部隊の俺と交代してくれと言ったのだ」
「ふぅん。あ、これは聞いたことがあるような気がするぞ」
「それは、あの時通っていた茶屋で給仕の娘から貰ったものだな。それを言ったら面白くなさそうな顔をしていた」
「思い出した。うん、面白くなかったな」
あの時の気分を思い出して苦い顔をすると、三日月が声を立てて笑った。捨てろと言わなかったことは褒められて然るべきだし、そもそも横恋慕されている相手から貰ったものについて話す神経についても物申したいところだ。鼻を鳴らしてごみ袋に入れた。
「これは?」
今度は象牙で出来た猫の根付だった。くるり丸まって眠っている。手に取ると、つるりとした感触が心地よかった。少し草臥れた赤い組紐が付いている。細めた目で愛らしく眠る姿を見ていると、此方までどこか眠くなるようだ。
鶴丸が摘まみ上げたそれを見て三日月は破顔した。
「それはお前が初めて遠征に出た時に貰った土産だ」
「……そうだったか?」
「そうであったとも」
鶴丸は首を捻る。そう言われてもはっきりと思い出せなかった。どんなことを考えこれを買い求め、何を言って三日月に渡したのだったか。記憶に残らないくらいだから、特別ではない日常の一幕だったはずだ。初の遠征と言うくらいだから、相当前である。まだ、お互いに只の同輩だった頃。
「こうして眺めていると、これを手に取った時に思ったことをよくよく思い出せるものだ」
根付をてのひらに取って慈しむように微笑む三日月は、一体何を思い出しているのだろう。彼にしかわからない、彼の内側にしかない光景だ。
「なら、きみはこれから町でこれと似たような細工を見た時に、きっと今日のことも、今日要らなくなったこいつのことも思い出すだろう」
それは数年に一度かもしれないし、この先に一回きりかもしれない。しかし、思い出はそういうものだ。記憶も思い出も物に託していけるから、明日のことを考えられる。
「だから、置いていけ」
自分でも思いがけず柔らかい口調になった。
軽くなるための術ならば、心得ているつもりだ。放っておくと、どこまでも重く深く沈みそうなほどのこの太刀に、少しは身を軽くすることを教えてやらなければならない。それがその重さの一端を担う鶴丸が出来る、せめてもの手向けだろう。
三日月の手から根付を奪って『不要』に積んであった小箱の中へ入れる。三日月はそれを目線で追ってから、しかし何も言わずにいた。
気が付けば『要らない』の場所には、山のように物が積みあがっていた。日が落ちて、もうじき夕餉の時間だ。この調子なら明日中にはすべて片付けられそうだ。せめて最後の日くらいはゆっくり過ごさせてやれる。
鶴丸は屈みすぎて固まった背中を伸ばした。
「今日はこれくらいにして飯にするか」
「いやぁ、腹が減ったな。献立はなんであろうな」
人数の少なくなってきた食堂で残った面子で固まって食事を取り、その日は二人で鶴丸の部屋で眠った。三日月の部屋を見た後だと、鶴丸の部屋は物が殆ど無いので、同じ間取りだが広く感じる。二人で寝るために広く場所を取っている節もあるが、もともと物を集めることには興味を惹かれない性質だった。それを意外だと評したのは誰だったか。
それでも長く一つ所にとどまっていれば、自然と物が集まるものだ。鶴丸は審神者が亡くなった直後から、少しずつ片付けている。気が早いと燭台切には苦笑されたが、どうせしなければならないことは早くとも良いだろう。その燭台切も今はもう別の本丸へ旅立った。
三日月が行くところはどんな場所だろうか。比較的若い本丸へ配属されると聞いた。きっと頼りにされる。すぐに仲間が増えてここに負けないくらい賑やかになる。つらつらと考えているうちに眠りに落ちた。
翌日も朝から部屋の片付けに精を出したお陰で、夕方前には仕分けは殆ど終わった。不要としたものの中でまだ十分使えるものを選んで箱に入れる。
向かったのは、本丸の掲示板前だ。その日の当番などを貼りだす用のものだが堅苦しくなく、個々に企画した催しのお知らせなども貼ってある。緑色の布地に画鋲を刺しては外した跡があちこちに残っていて経年を感じる。
その掲示板前のスペース横に満載の段ボールがいくつも置いてある。本丸の処遇が決まってから出来た『ご自由にどうぞ』コーナーだ。
「結構置いてあるな」
「考えることは皆同じだな」
皆、持ち物を整理するときに手放すしかないが、捨てるには惜しい品をここへ置いていく。行く末を自分の目で見届けることが無くとも、仲間の誰かが持って行ってどこかで大切にしているかもしれないと思えば気が晴れるだろう。いつの間にか誰かが始めて皆真似するようになった。
箱の中には古いが大事に使われていたのだと解るものも多い。捨てられなかったもの達だ。
「ここへ置いておいて、誰が持っていけば捨てるよりはいいだろう。余ったものはこんのすけがどうにかしてくれるさ」
「ほう、色々なものがあるな。面白そうだ」
「こら、物色するな。減ったのに増やしてどうする」
まじまじと残された品を眺めて箱の中を確認しようとする三日月を、鶴丸は引っ掴んで押しとどめる。押しやった背中が楽しそうに笑って震えた。
じゃれあっていると同じく不用品を持ち込んできたらしい鯰尾藤四郎が現れた。手に段ボールを抱えている。
「あれ、ふたりも部屋の整理? そっか、三日月さん、明後日だもんな」
「鯰尾聞いてくれ。三日月は物持ちが良すぎて呆れるくらいだ」
「うむ、鶴丸に叱られておるところだ」
「相変わらずだなぁ」
「鯰尾はまだ出る日は決まらないのか?」
気遣うように三日月が尋ねる。鯰尾の兄弟刀たちは殆ど移ってしまった後だ。鯰尾は心配そうな三日月に向かって笑って見せる。
「俺、三番目に来た刀だからね。みんなが出ていくまで見守ろうかなって思ってるんだ。蜂須賀もそのつもりみたいだし。前田にかっこいいところ取られちゃったしな~」
一番最初に本丸を出たのは、二番目の刀である前田藤四郎だった。まるでその背中を離れ行く仲間たちに見せることが己の使命とばかりに、本丸の処遇が決まった後、すぐに手を挙げた。これからの自分の活躍が、自分を喚んだ主の名誉になると。今頃は武勲を上げていることだろう。
「だから早く皆には行き先決めて貰わないと。鶴丸さんはまだ見つからないの?」
「いくつか話は来ているのではなったか?」
「そうなんだが、自分で行く先を決めるのも変な気がしてなぁ」
「そうかな? 選べるなら好きなところ選べばいいのに」
「鶴は変なところが古臭い」
「三日月に古臭いなんて言われた日にはおしまいだ」
「期限だって決まってるんだからさ」
「まぁきちんと間に合うようにはする」
主を失った本丸に残された猶予は左程多くは無い。もし決められた期限内に身の振り方を決められなければ政府預かりの刀となる。これでも大所帯だからと融通してくれている方らしい。案外温情だ。
「あっ、ごめん。片付け中に引き留めちゃって。何か手伝えることあったら言って」
じゃあ、と鯰尾は行ってしまう。忙しいのかもしれない。出陣や遠征は無いが、人数が少なくなったせいで案外やることが多いのだ。
「さて、戻って俺たちも続きをやるか」
「あぁ、あともう少しだな」
二人してやれやれと息を吐いて笑いながら部屋へ戻る。慣れないことなものだから、下手をすると戦仕事より疲れるかもしれない。もうひと踏ん張りしてゆっくり休みたいものである。
二人で精を出した甲斐あって、旅立ちの日には三日月の部屋はすっかり片付いてがらりとなった。物が減っただけで、やけに寒々しく感じる。近頃は本丸全体がそのような具合だ。在ったものが無くなり隙間が増え、満ち満ちていた声が減った。片付けられ清められた部屋はどこかよそよそしささえ感じる。
見送りは、気を遣われたか鶴丸一人だった。
残っている仲間たちに挨拶を終えた三日月を伴って、本丸の正門前に出た。三日月はここから管狐の案内で次の住処となる本丸へ向かうのだ。
「なんとか間に合ったな」
「ははは、世話を掛けた」
「向こうでは物を増やさないようにしろよ」
片付け終わらないかと思ったが案外なんとかなるものだ。一応釘を刺すと、三日月は笑って「善処しよう」と答えた。達成されなさそうである。
「お主も行先が決まって落ち着いたら文をくれ。あて先はわかるだろう?」
「お、いいな。そういえばきみに文を出したことはなかった。驚きの文面で楽しませると誓おう」
「楽しみにしておくぞ」
未来の約束に気持ちが少し上向いた。今は離れても言葉を交わす方法はいくらでもある。
「それと、これを」
てのひらを取られて何かを握らされる。指を開くと、不要に仕分けたはずの、あの猫の根付だった。いつの間にか赤い組紐が新しくなっている。
「俺の手元に無くとも、俺は覚えている。お前が持っていてくれ。俺を忘れるなよ」
「俺にそんなことが出来ると思うかい?」
酷い言葉だ。思わず声を漏らして笑った。そんなこと折れたって出来そうにはない。
三日月は人の気も知らないで憎らしいほどに柔らかく微笑む。
「では、また会おう」
「あぁ、息災で」
素っ気ない別れの言葉しか告げられない。また、と紡がれた約束に応える声を持たなかった。離れたことは何度もある。しかし、結局いつも彼はここへ戻ってきた。帰る場所は本丸で、鶴丸の帰る場所は三日月の居る場所だった。これからはお互いの居場所が交わらない。簡単な事実にずっと酷く動揺している。
二度とここへは戻らない背中が遠ざかっていく。
握った手の中でつるりとした根付の、少しだけ盛り上がった猫の耳の部分を感じ取る。これを贈った時の覚えてもいない記憶に、背中を押された気がした。
「三日月!」
声を張り上げる。振り向いた貌は離れてしまって判然としない。それでもいい。追いかける必要はない。
「またな!」
子供みたいに大きく手を振った。三日月は少し立ち止まって同じように手を振り返してくる。それからまた前を向いて、他本丸へ続く転送装置への轍を進みだした。
いつか見たような色づいた紅葉にぽつりと浮かぶ濃紺を、視