この日のかわいいあなたは十歳くらいの頃から見た目の成長が格段に遅くなったし、身長は全く伸びなくなったのだが、水木さんはそれまでと変わらず誕生日を祝ってくれた。ばらばらに暮らすようになってからもその日は一緒に食事をして、誕生日を祝った。それから何がほしい?と聞く。
二十歳の誕生日には意を決していちばん欲しいものを伝えてみた。
「水木さんから大人のキスがほしいです」
あっけに取られた水木さんは無表情になり、卓の上の煙草を手に取った。一本吸い、二本吸う。吸っている煙草が短くなると、次の一本を箱から取り出し、煙草で机を軽く叩いてリズムを取った。考えごとをしている時の癖だ。トントントトン。
こんなに答えあぐねているってことはやっぱり駄目なんだろうか。好きだと伝えたことはあるけれど、当たり前に冗談だと思われた。そこで食い下がるような性格ではない自分が残念だったし、いまだに少し後悔している。果たして気持ちは伝わったんだろうか。
水木さんは天井を見つめながら煙草を吸い続け、四本本吸ったところで箱が空になった。クシャと箱を優しく潰し、それからようやく自分の方を見た。
「いいぞ」
怒ったり困ったりしていてるような声音ではなく、平坦なごくありふれた答えだった。クレヨンをねだって買ってくれた時のようだ。あまり大袈裟に感情を込めた返事をされても野暮なような気がするのでいつも通りの答えなことが嬉しかった。でも、水木さんの返事に対して「はい」とだけ答えた自分は、初めてのキスをするにしてはいつも通りすぎて、それはそれで野暮だったのかもしれない。本当は心臓が口から飛び出そうになっていたから、はいとだけ言うのが精一杯だったのだけど。
いつまでも水木さんを見つめているわけにはいかない。自分だけが必死なようで恥ずかしい。怒っているわけでもないし、笑っているわけでもない水木さんの顔から感情は伝わってこない。生まれた時から見ている大好きな顔だけど、最近特に格好いいと思うようになった。バランスの良い鼻も、凛々しい眉毛も、水木さんにしかない目や耳の傷も好きだし、などと考えながら見つめていたら耳が明らかに赤くなっていることに気がついた。なんだ。この人も緊張しているんだ。
手を伸ばして赤い耳を覆うと熱かった。かわいい。
なんだよ、と尖らせた唇を食むように、しかしそっと口付けた。柔らかくて温かい。隙間から息が漏れてくすぐったい。自分の鼻息と彼の吐息が混ざって温かく湿った風が口周りを漂った。なんか淫靡な気がする。
ぬるり、と唇が濡れ、口内に柔らかな生き物が入り込んできた。ゆっくりと慎重に進み、確かめるように僕の舌先をなぞった。あ、気持ちいい。
水木さんの舌が入ってきたことに驚いてしまったせいで最初の数秒の記憶が曖昧だ。もったいない。刹那も忘れたくない。
でも、水木さんが「僕のほしいもの」を約束どおりに与えてくれたことが泣きたくなるほど嬉しかったので、予告なしにキスを開始したことに文句は言わないことにした。
彼の舌は相変わらずゆっくりと、やや辿々しく、僕の舌をなぞり壁をつたい歯を確かめた。もしかしたらあまり慣れていないのかな、と思った瞬間に僕の唇を噛んだから初めてではないのかもしれない。ひさしぶりなのかな。本当は初めてなのかな。どうなんだろう。
自分が余計な邪念に気を取られているうちに、彼は僕の唇を吸ったり噛んだり捏ねたりした。口端から盛大に唾液が漏れる。もっと苦いものだとおもっていた。もちろん煙草の臭いはするのだけれど、それはそれとして彼の唾液は甘かった。蜜みたいに美味しくてもっともっと追いかけたくなる。
「…………ぅぁっ」
僕が水木さんを吸い返すと、油断していたらしい彼は甘く鳴いた。かわいくてちゅっちゅっちゅっと舌を吸う。ふっ、あっ、んっ、といちいち反応する水木さんは咥内が敏感なのかもしれない。困った人だ。
「おまっ……もういいだろ」
僕の胸を押して離れた水木さんは耳だけでなく、顔全体が赤く、唇は吸われすぎたのか赤みが強く、やや腫れていた。はあ、本当に困ったな。
「かわいいですよね」
気がついたら口にしていた。黙っているなんてできなかった。格好いいし素敵な人だと思っていたけど、可愛さが随一だ。
おまえこそ、と言い返されると身構えたがいつまでも彼の声は聞こえない。俯いているところを下から覗くと水木さんはまだ顔を赤くしていたから、そっと口をつけ、舌を押しつける。唇の隙間から迎えの舌が現れ、絡み、結び合ってまた離れた。そしてやはり苦くて甘くてとびきり美味しい。
水木さん。この先、僕が何百年生きても、二十歳の誕生日は忘れないから。この日のかわいいあなたはずっと何百年でも僕の中に生きるから。