記者id① 世界はあと一週間後に終わります。そう初めて口にしたのは、動画投稿サイトやSNSでカルト的人気を誇っている一人の宗教家だった。緊急発表と銘打たれた動画は既に一晩のうちで何百万再生を回っており、朝起きてトレンドを確認していた僕は数秒唖然とした後にすぐスマホを手に取っていた。膨大な数の電話番号たちの中から正しく該当の番号を見つけ出した後、すぐさまタップしてからテレビをつける。ああ、もうバラエティ寄りのニュース番組では件の動画が何度も何度も報道されてしまっていた後のようだった。これ見よがしに専門家という名を冠した人々が動画の是非や真意を議論し始めていて、少し目眩を起こしかけた。
ぷつっ。電話越しにかけ続けていたコール音が止まって、がさがさと何かを擦る音がし出した。おそらく起きたてなんだろう、相手は中々喋ることなくずっと雑音だけが流れ続けていて、痺れを切らした僕は小さな溜息と共に「おはようございます」と呟いた。
「もちさん? あの動画なんなの」
『……ああ、なに……甲斐田くんか。朝からどうしたの……』
「それ僕の台詞。折角久々に早寝出来て素晴らしい朝だったってのに、何なのあの内容は。いや別に内容は構わないんだけど、何で最初に僕へ声かけてくれなかったの」
『…………』
無言。もちさんのことだ、何か言いづらい事情があるとかそういうんじゃない。この人単に眠くて頭回っていないだけだろう。また深夜まで漫画を読んでいたに違いない。
「あーもう。一時間後! 一時間後に行きます! どこ行けばいい?」
『……家。多分本部は今頃報道陣の溜まり場になってる』
「でしょうねえ! もー……ガクさん可哀想……」
『なんかさっき電話来てたな……』
「そりゃあそうでしょうよ!」
スマホを持っていないもう片手で、昨日放置したままのデスク上に散らばる紙束を適当にまとめて鞄に突っ込み、パソコンに繋いでいたボイスレコーダーも一緒に鞄へと放り込む。ああ、優雅に朝ご飯でも作って食べようと思っていたのに結局そんな予定はどこへやらで、今日も自車の中でどっかのコンビニのトマト抜きサンドイッチを食べる羽目になりそうだ。
切れた電話の画面を一旦閉じ、適当にいつも通りの服に着替えた僕はリビングでずっと流れ続けているテレビを一瞥して、ふいに立ち止まる。何の根拠もない、唐突に預言された世界の終焉。ちらりと見たSNSの書き込みは、大体の人が信じているそぶりなど見せていなかった。名が売れたことにかこつけて人々を扇っているだけだ、そんな投稿ばかりが大多数だった。──けれど。
「……もちさんは、意味のない嘘は吐かないよ」
宗教家としてはさておき、剣持刀也という人間は意味も中身もない嘘なんて吐かない。だから僕は、半信半疑ではあったけれど一旦この預言とやらを信じてみようと思ったのだ。彼は、そういう面白くもない話はしないのだから。
鞄を引っ掴んで、玄関の鏡の前で身支度をチェックしてから開いた扉の向こう。空は、変わらず青天を冠していた。
◇
もちさんとの出会いは数年前。僕は業界で働き出したばかりで、ネットを媒体に様々な記事を取り上げていることもあれば外部委託として他の大手報道社に記事を提供することもある、駆け出しの記者だった。
元々もちさんが運用していた宗教法人、虚空教は新興宗教として世間から注目され始めていた頃だった。既に様々な記者に取材を受けていたもののそのすべてが大体似たり寄ったりで、彼らが持つ動画投稿サイトのチャンネルやサイトで再三口遊んでいるような内容ばかりで溢れ返っていたため、世間からは何とも胡散臭いと噂されているばかり。だからこそ僕は自分が記者としてこれから大成したいと思うならば、件の虚空教の真の意図を聞き出せなきゃ到底無理だろうと感じていたが故に、独断で彼らへと取材アポを取ったのだった。
結果としては気付けば数年後、こんな関係になっていた。一応言い訳しておくと僕は別に虚空教に入信したわけじゃないし、どちらかと言えばそこそこ仲が良いのは教祖であるもちさんだけだ。いや、時々ガクさんとも仲良くさせてもらっているけども。教祖と教団員の中でもそこそこの地位にいる人と仲が良いったって、教団員の一人になったわけではないのだ、本当に。
まあ実際、虚空教を取材したネット記事は驚くほどに伸びたことは事実だ。取材の場でもちさんが僕の質問に何を思ったのか今でもよく分からないけど、気付けばあれやこれやと話してくれたことを書き留めて僕の言葉なりに纏め上げて出したら、虚空教の広報側からも僕の記事を推してくれたことも相俟って大変な閲覧数になった。
それからというものもちさんとは個人的に遊んだりご飯を食べたりするようになったし、多分普通に友達と言ってもいいような関係性になれていると思うし、何なら遊んでいる席で「そういえば今度こんな感じの話をメディア向けにしようと思ってるんだけど、甲斐田くん取材しに来ない?」と誘われるまでに至ったので、有難い話ではある。フリーの記者として大成出来ていると言っても過言ではない一番の功績が、もちさんとの交流にあるような気もするけれど、まあそれはそれ、これはこれ。仕事仲間であり友達であるのは、今のところ変わりやしない。
とはいえ、とはいえだ。今回の動画の内容は流石にいただけない。いや別に虚空教が何を発信したって僕には関係ない話ではあるんだけれど、あんな特大ニュース、どうして僕も噛ませてくれなかったのだろうか。別に怒ってるとか悲しんでるとかそういう気持ちはないけれど、……いやちょっと怒ってるけど。でも、それ以上にどうして、という感情の方が強かったのだ。いつもなら、声をかけてくれるのに。
「……」
「おはよ、もちさん。起きてる?」
間延びしたチャイム音の後、がちゃりと開いた扉の向こうで見慣れた部屋着を着ていたもちさんは、数秒固まったあと無言で上から下まで僕を凝視してきた。
「……着替えてきた方がいい?」
「え? ああ、いやいいよ。僕が仕事着で来ただけだし。今誰かいる?」
「居ない。上がって」
「お邪魔します」
多分、僕が仕事の格好で来たせいでもちさんの方も取材になるのかと思って思考停止したんだろう。あの感じ、今日は休みとかなんだろうなと思いつつ、もう何度も訪れたことがあるもちさんの家へと上がる。一人で暮らしているにはあまりにも大きなこの一軒家は、どうやらガクさんが見繕ったらしい。「一大新興宗教になりつつある虚空教の教祖ともあろう人が適当なアパートに住まれちゃ、何かあった時に困るんスよ。主に防犯面とかで」という話だ。
廊下の先、リビングにかかった大きなテレビでは件の動画と世界終焉の可能性について未だに議論され続けていた。視線を向けた僕の前でもちさんはぷちんとテレビを消すと、ソファーへと座り込んだ。
「で、どうしたの」
「どうしたのっていうかさあ、もちさん……何で最初に僕に言ってくれなかったの」
「世界が終わるって話?」
「そう、そう! 今まであんなに色々記事書かせてくれたのに、こんな一大ニュースは置いてきぼりにして!」
「……ああ、そっちか。当たり前のように信じてる前提なんだね、甲斐田くん」
「え? 別に嘘じゃないでしょ」
「勿論、嘘じゃないけど」
「もちさんがそんな中身のない嘘吐かないよ」
不思議なことを言うもんだなと首を傾げてみせた僕を見てか、もちさんは何度か瞬きをしてから僕を見据えるとはあ、なんて大きな溜息を吐いて俯いた。まったく、だとか、本当にさあ、とか聞こえるけど、何なんだ本当に。
「甲斐田くんは相変わらずだね」
「……どういうこと?」
「いや、僕らのところに初めて取材に来た時も、ずっとそんな感じだったからさ。変わらないんだなって」
「本当にどういう意味だよ……もちさんたちは最初から別に嘘吐いてないじゃん。まあ若干誇張されてんなとは思ってたけど」
「皆が皆、甲斐田くんみたいなじゃないんだよ。ジャーナリストっていう職業に就いている人は特にね」
その口振りを聞いて、ふと以前酒の席でガクさんが似たような話をしたことがあった。
信仰と真実は決してイコールではなく、自分たちが掲げているものはあくまで信仰にすぎない。然しジャーナリズムの眼前に横たわるのは常に真実とエンタメ性だ。それに、信仰はあまりにも不釣り合いだと。始めっから疑いに掛かる質問から入る人が多かったんスよね、なんてシャンディガフを傾けながら肩を竦めたガクさんの姿は今でもよく憶えていた。
その時は別に僕もあんまり他の記者たちとは変わらなさそうだけどな、なんてことを思いつつもあまり突っ込まずにいたけれど、実際僕の取材は目の前の人が心から信じて言っていることややっていることをピックアップするせいか、妙に取材相手に好かれやすかったりするのだ。ま、他の人と同じことやっても面白くないしいいか、と思うようになってからはあんまり気にしていないけれども。
「別に甲斐田くんに取材してもらっても良かったんだけど。でも、仕事の話ってなると結構日程調整とかしなきゃいけないでしょ。最近の甲斐田くんは売れっ子らしいし」
「ええ? 別に売れっ子とかじゃないけど……ああでも、確かに直近早めに取材日程組んでも明後日とかになっちゃうか……」
「でしょ。明後日じゃ遅いんだよ、そうしたら世界の終焉まではあと四日になるから」
もちさんの黄緑に輝く双眸は、僕をちらりと見た後にゆるくテレビの上へと移る。追うように視線の先に目を向ければ、大きく掲げられた壁掛けのオブジェが朝日に照らされて影を伸ばしていた。逆三角形に縦線の入った、虚空教の掲げるシンボルが。
ああ、とそこでようやく、もちさんが僕に連絡を入れなかった理由が分かったのだ。記事としてまとめる方法を取るならば、あまりにも遅すぎる。きっと僕がどれだけ早く仕事をしようとも、既に刻一刻と世界が終わる瞬間に近付いているのだから。
そこでようやく、僕はもちさんに問いかけることが出来た。
「もちさん、本当に世界は終わるの?」
「……疑ってる?」
「いや、具体的に聞きたくて。どういう風に、みたいな話とかは動画じゃ話してなかったから」
「……確かにしてなかったね」
一度シンボルから目を離したもちさんは、傍らに置いていた分厚い紙束をぺらりと捲った。彼の角ばって生真面目そうな字が並ぶそのノートとも言い難いものは、彼の夢見と瞑想により受け取った天啓のようなものが書き連ねられているんだという。僕も時々横から見せてもらったりしたが、山のように羅列する単語たちは意味がなさげに見えるばかりで、だけどもちさんにとってはそれがしっかりとした一本の道筋になっているらしかった。
その中でも未だスペースがある、おそらく一番新しいメモだろう紙を指でなぞってみせたもちさんは、僕の目の前でぶつぶつと呟いてみせる。
「刻……日……熱、星……多分、空。天体異常か、もしくは天災。隕石か、惑星衝突か、近年の異常気象が同時多発的に起こる可能性もある。日にちは今日から一週間後、七日後の……午後五時、丁度」
「午後五時か。結構早いな……」
「一応あの動画を以て、僕ら虚空教幹部からは救済声明を発表した形にはなるけど。甲斐田くんは、そういうんじゃないでしょ」
「え?」
「……不安で、救いが欲しいって言うなら仲間に入れてあげるけど」
突然、もちさんが声色を落としたことに気付いて、僕はメモを取っていた手元から視線を上げる。ピントが合った前髪の向こう側で、もちさんは少しばかり笑みを浮かべながら僕の方を見つめていた。友人の顔ではなく、虚空教教祖の表情で。
そうか、救いか。すべての前に無力にも死を突き付けてくる日が訪れるという、あまりにも突飛で現実味のない話のせいであまり考えられていなかったけれども。普通であれば取り乱して、絶望して、恐怖して、救いを求めるのが当たり前だ。どうしてか、僕の中ではこれを記事にしなくちゃという意識の方が強すぎて、そっちの方面の心配なんて全然していなかった。
一つ、二つ。呼吸が流れて、僕は一度惑うように視線を彷徨わせてからへらりと笑い返すことにした。
「そういうのは興味ないよ」
「……知ってる。どうせ、あんまり怖がってもないでしょ。顔に出てる」
「流石もちさん、よく分かってる」
「まあ、別に良いけどさ。どうせ甲斐田くんはそう言うと思ってたし、僕にとって甲斐田くんはそういうんじゃないし」
「そういう?」
「……教え導き、救う人じゃないってこと。勿論、友達として手を貸して欲しいとかならいくらでも貸すけど、それは虚空教教祖としてじゃないから」
「はは、確かにそう。僕もそういうのは要らないかな」
「……そうなってくれた方が、正直楽ではあったんだけど」
はあ、と大きな溜息と共に、ぱさりと紙束を机に置いたもちさんはソファーへと背を預けると、少しだけぼんやり天井を見てからもう一度僕を見る。そして、身体を起こすように前に倒しながら、ただ真っ直ぐと言った。
「甲斐田くんは最後の日まで生きて。君と僕は、きっと同じ立場の人間だろうから」
『宗教家、剣持刀也氏によってなされた世界終焉のカウントダウン。氏によれば七日後とされた迫るその日を、世間は、君たちは信じるだろうか。
そして君たちは、その日までどう生きるだろうか。』