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    Asahikawa_kamo

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    Asahikawa_kamo

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    世界終焉、記者をやっているidが最後の日まで世界と人々を見つめる話パート③、ラストの話です。
    今回はホストで墓守のfwの話と、終焉を前にしたidの話。

    ##世界終焉記者id

    記者id③ 徹夜明けでぼうっとした頭で付けたニュースでは、富豪たちが乗ったとされる大企業の作った宇宙船が確かに社長の言う通り、地球脱出直前でバラバラになってしまったと報じていた。出航前に希望を謳った金塗りの船は見るも無残に黒く果ててしまったそうで、どこかの海上でずっと浮かび続けている動画が報道されていた。
     どうして社長はあれが落ちると知っていたんだろうか。ふとそんなことを考えて、朝一番にリリースした記事のURLと共に仕事用の連絡用メールで社長へと問いかけると、然程待たないうちに幾つかのお礼の文と共に「勘ですよ」と付け足された返事が届いていた。勘、勘ねえ。口の中で飲み込んだカフェオレと共にその言葉を反芻して、どうしたって僕の身の回りの友人たちはこうも勘だか天啓だかが鋭いんだろうかなんてことを考えた。
     テレビの横に置いてある電子時計に目をやると、日付は既に世界の終焉まで残り二日を切ろうとしているところだった。もちさんの預言通りであれば、明後日の午後五時にはこの世界が終わるらしい。少しばかり肉薄した恐怖心にようやっと自分の命が脅かされている心地を感じたけれど、それよりも徹夜の影響で頭が痛みに支配されている方が大問題だ。いっそ寝ている間に世界が終われば楽そうだけど、なんて空になったマグカップをテーブルに置いて、絶望的なニュースを流し続けているテレビをそのままに寝室のシーツの合間に潜り込む。どろどろに落ち込んでいた意識は預けられた枕の上で思い切り沈んで、みるみるうちに僕の意識を奪っていった。

     遠くで、何かがけたたましく鳴り響いている。眠りのふちでまどろんでいた僕の意識は、一瞬リビングで付けているニュースのことを思い出してもう一度寝こけようとしたけれど、それが明確にスマホの着信音だと気付いた時急激に眠気が吹き飛んだ。勢いよく起こした上半身はスマホの所在を探そうと腕をあちこちに伸ばしているが、いつもなら枕元にあるはずのそれはどこを探しても見つからない。慌ててベッドを降りてリビングに行けば、未だ音を鳴らしているスマホはテーブルの上、空になったマグカップの隣で置き去りにされていた。
     拾い上げたスマホの画面には、先日の社長の時以上に珍しい人の名前が浮かんでいた。えっ、と一瞬声を詰まらせた僕はすぐに通話ボタンを押して耳へと押し当てる。途端、びゅうびゅうと風が吹きつけるような音がすぐさま鼓膜へと飛び込んできた。

    「も、もしもーし!」
    『あ。甲斐田ぁ? お前元気してたか』
    「不破さんこそ! っていうかどこいるんすかそれ!? めっちゃうるさっ」
    『んぁはははは、ごめんやん』

     電話越しに聞こえる不破さんの声は、どこか少し弾んで聞こえる。とはいえ本当に風の音で話が途切れ途切れにしか聞こえないのだけれど、何処にいるんだろうかあの人は。
     僕があんまりにも聞こえないです! と喚いたからか、不破さんはひどく大きな声で「お前いつ夜暇なん!?」と問いかけてきた。なんで夜限定なんだ、と僕は視線を寝室の窓の外に向けるけれど、見事に外は真っ暗だった。そもそも今が何時なのかさえ分からない。

    「今も暇っちゃあ暇ですけど……」
    『今日は俺が無理や』
    「なんなんですか本当!」
    『明日! 明日の夜空けとけ!』
    「え、明日? 明日ったって、そうしたら次の日もう世界終わ、」
    『じゃあな!』
    「は!? いや不破さ……うわあ、もう切れてる……」

     これぞ嵐ってやつか。あまりにも急にかかってきた電話は、特段用件もないうちに約束だけ取り付けられて切れてしまった。もう一度かけ直そうにもスマホの画面には既に日付が回る直前であることが書かれていて、どうやら倒れるように寝こけてから既に十二時間以上が経っていたらしかった。世界終焉が目前に迫っているっていうのに、何とも贅沢な時間の使い方だろうか。
     ぐう、と固まった身体を伸ばしてから、やはり少しばかり眠気の残る頭でそのまま寝こけようかどうか悩んで、それから自分の仕事のことをゆるやかに思い出す。既に後はリリースするだけの記事のみ、取材もなければ、書き起こしていないものもない。本格的に終わりを目前にしてやるべきことがなくなってしまったわけだけれど、世界最後の日に何をするかもまた決めていなくて。
     でも、きっと。僕は世界が終わるその瞬間まで、すべてをつぶさに目へ焼き付けているんだろう。空を見ることが叶わない誰かに向かって、今の空がどんな色なのかを伝え続けようとするんだろう。

    「……明日は長くなるかもな」

     一巡した僕の頭は、起きかけた僕の身体をもう一度ベッドへと横たえさせた。残り少ない時間を眠りに使うのは勿体ないのかもしれないけれど、今寝ずに明日の夜の予定をふいにしたり、そうでなくても世界最後の夜を起きていられないのはその方が勿体ない気がする。そう思って、僕はぱたりと意識をそのまま枕へと沈めてしまうことにしたのだった。
     ぴろん、スマホが軽快な音を鳴らす頃、僕の意識はすでに微睡んで落ち始めていた。画面には不破さんの名前。個人的に交換していた連絡用SNSには、ひとつのマップのピンが記されていた。

       ◇

     翌日の午後。見事にぐっすり眠った僕の眼前で、今日もニュースが流れていた。どうやら寝こけていた間に海外で行われていた首脳会議にテロ集団が乱入、既に終焉のごたごたでほぼ機能していなかった警察がどうにか駆け付けた時には既に首脳陣は殺された後で、テロ組織たちもその場で自決を図っていたという話だった。パトカーのサイレンが回り続けている大きな建物の前で、何か書かれた看板を持った人々が泣き喚きながら押しかけている映像に僕は手元のカフェオレを少し啜りながら、世界終焉の直前ってこういう感じなんだな、と他人事のような心地でテレビを見つめていた。
     日本国内では既にほぼすべての公共交通機関やインフラが麻痺しているのだという。警察や消防は海外同様機能していないも同然のようで、そもそも行方不明者や死亡者が後を絶たないせいで対応さえ出来ないような状況になっているらしい。SNSも書き込みが少なくなってきていて、その中でも外に出ないように努めている人々や自らの職務を最後まで全うするために未だ外で働きに出ている人たちの貴重な書き込みが、辛うじて流れている程度だった。
     スマホをぼうっと見つめていると、ぽこんと音を立てて通知が入ってきた。こんな時に連絡用SNSを送ってくる人なんていたっけ、と通知を見れば、相手はガクさんだった。このご時世、もう終わりに近付いているというのに虚空教はその結束を強固にし、外部からの新規入信者も取り込みながら急激に信者数を伸ばしているらしい。まあ、先んじてこの結末を預言した教祖の居る教団で、かつ彼らの掲げているものは「虚空」だ。流石にもちさんだって死は虚空だから死を待ちましょうだなんて話はしていなさそうだけれど、こういうどうしようもない状況の中で何かに縋りたい人の心を救うには、間違いなく信仰は効果的なんだろう。何だかんだ言ってもちさんも、自分の教団員のことは大事にしているみたいだし、彼らは最後の瞬間までそうやって生きることを選んだのだと思う。

    『甲斐田くん生きてる?』
    『生きてますよ。ガクさんとこはどうです?』
    『めーっちゃ忙しいっスよ。毎日入信者は来るし、本部開放して信者の人たちの生活拠点としてるけどあれもこれも足りないし。とはいえ外出ると物騒じゃないスか』
    『そうだね。コンビニとかそもそも人いないし、営業さえしてないんじゃ……?』
    『警備AIが居るとこ以外は全滅っスよ。大体人はいないし、壊されてめちゃめちゃになってるとかね。甲斐田くんの方はちゃんと飯食えてる?』
    『もちさんから話があった時点で備蓄買ってきてたんで大丈夫ですよ』
    『賢明すぎ! こっちももっと買っとけば良かったなー、一応刀也さんの預言が出た時点であちこち駆けずり回ったんスけどね』
    『でも明日までの辛抱だし、ガクくんも倒れないようにしてくださいね』
    『勿論っス。甲斐田くんも気を付けて』

     途切れたメッセージのやりとりをぼんやりと眺めて、一度視線を上げて部屋の中を見回す。未だニュースを流し続けるテレビ、明日の午後五時には無意味になる時計。誰かとの思い出、気に入っていた映画のディスク、本、取材で使っていた諸々。こじんまりとしたキッチンに、毎日淹れていたコーヒー。マグカップの幾つかと、安売りしていた型落ちの冷蔵庫。
     ソファは引っ越し祝いに友達が買ってくれたもので、もう長らく使い込んでいた。立ち上がって寝室へ行くと、モニターが二枚並ぶそこそこ良いパソコンとこだわって買ったベッド、クローゼットが見えた。その中へとゆっくり踏み込んだ僕は、もう使い古しかけたいつもの仕事用の鞄に物を詰め始めた。メモ帳、ペン、ボイスレコーダー。財布と充電器と諸々、スマホに繋げることの出来る無線キーボード、入らないブランケットは横に置いておくことにした。
     後は、と視線を巡らせて、ベッドの頭に置いてあるサイドテーブルからイヤリングを引き出した。昔馴染みの友人たちが就職祝いにと譲ってくれたそれをぱちんと着けて、ふと彼らのことを思い出す。夢のために海外に行ったきり連絡が稀になってしまった彼らは無事だろうか。何処かで最後の日を過ごすために生き延びていて欲しい、ただそれを小さく願った。
     リビングのテーブル上に置いてあったリモコンで、ここ数日ずっと流しっぱなしだったニュースをようやく消し、その隣にあったカーテンを大きく開く。窓の外は、朝の青空の遠く向こう側にオレンジ色の光が見えた。まるで、時間に似つかわぬ朝焼けのように。

    「あれが落ちてくるってことかな……」

     時刻は既に正午を回った頃合で、遠くとはいえ空のコントラストが変わるほどの橙色は少し違和感を覚えた。きっとあれが、衝突すると噂の小惑星なのかもしれない。
     何とも、淡く鮮やかで、美しいとさえ思えてしまうような色合いだった。

    「……さて、もう行こうかな」

     窓から離れて、全部を詰め込んだ鞄とブランケットを持った僕は玄関で一番履き慣れた靴に足を突っ込んで、薄手のコートを手に取る。振り返った部屋の中では、リビングの窓の明かりだけが煌々とフローリングを照らし出していた。
     もう、ここには帰って来ないだろう。何となく、そんな直感があった。不破さんが指定してきた場所と残り少ない時間を考えても、もう一度戻ることがあればそれは、もちさんの預言が外れた時だ。
     電気をすべて落とした、静かな部屋。きっと最後の時まで、静寂を湛えたままで終わりを迎えるんだろう。誰もいないその部屋へ僕はもう戻ることのない「行ってきます」を残して、玄関の扉を開けて外に出たのだった。

       ◇

     不破さんが指定した、とある場所。それは都内から二時間弱かけて車を走らせた先にある海だった。ビーチではあるものの、元よりあまり人が多いわけでもないらしいその場所にどうして不破さんは来て欲しいと言ったのか。それも夜更けに、世界が終わろうっていうそんな時に。
     若干の胸騒ぎさえ覚えつつ、僕は彼方此方で食料や飲み物を買い足しながら道に気を付けつつゆっくりと車を走らせた。数日前、社長の元へ行った時にはあんなに道端も騒然としていて何台もパトカーや消防車だって見たっていうのに、流石に世界が終わる前日ともなれば静かなもので、人どころか車一台さえ通っていない。世界から僕だけが取り残されたか、逆に僕以外の誰もが滅んでしまった後のような静寂の中で車の走行音だけが響いていた。
     ラジオは未だ国内外のニュースを流し続けていた。都内の某所では世界の終焉に耐え切れないと判断した人たちが数十人で無人と化した火葬場を占拠したという話で、そこに自らの幕引きを決めた人々が詰めかけ、生きたまま火葬されることを選んでいるのだという。死した後の骨は件の占拠した人たちが拾うのだろうか、なんてことをゆるやかに考えている間に、また次のニュースへと切り替わっていた。
     道行は、未だ遠い。到着する頃には少し日が傾いていることだろうと思いつつ、飛び出してくる人が居ないか気を付けつつハンドルを切る。思えばこの数日、飛び出してこようとする人はいたけれど死体なんかは見た記憶がなかったなと思い返したけれど、もしかすると誰かが片付けているのか、もしくは皆思っている以上に人に見えない死に場所を選んでいるのだろうか。どちらにせよ、最後の瞬間まで出来ればそういうものは見たくないな、と願うばかりだった。

     普通の速度であればおそらく二時間弱だったのだろう道のりは、いつもより丁寧に運転をしたせいか到着時には三時間が経とうとしているところだった。不破さんには日が落ちたらいつでも、と言われていたので時間的には良かったのだろうけれど、空は眠ることなく明るいままだった。
     夜を思わせる深い紺と、二色の混じり合ったコントラストの向こうに橙色が広がっている。小惑星の明るさはまるで太陽にも近く、既に目視できそうなほどにぽっかりと浮かんでいるのが確認できた。太陽ほど眩しいわけではないが、辺りはうっすらと靄がかった灯りを揺蕩わせていて、ぱたんと車と閉めた僕の眼前に広がった砂浜に浮かび上がった異様な光景を目視できるほどには明るかった。

    「……なにこれ、」

     確かに、事前に調べていた時の情報では小さなプライベートビーチにも近しい砂浜だと聞いていたはずだった。時折地元の人が訪れるような、人気のない場所なんだというその場所には、どうしてか今は夥しい数の十字架が所狭しと並んでいる。砂へと突き刺さったそれらは砂浜の向こう側まで続いていて、一番近い十字架を見るに盛り上がった砂の上にきちんと差し込まれたもののようだ。
     十字架へと近付いてみると、それはどうやら流木や流れ着いた板を組み合わせて作ってあるように見える。誰かが手作業で作っているのか、と考えを過ぎらせた途端、視界の端の薄い暗闇で誰かが動いた気配がした。は、と顔を上げた先、ちらりと光が揺れる。十字架の合間を縫って此方に近付いてきた影は、夜に溶けるような色合いのスーツを着ていた。

    「……不破さん?」
    「おー、早かったやん」
    「え。いや、ええ……? 不破さん、これ何……?」
    「これ? 墓」
    「……墓」
    「そ。ここで死んだ子たちの墓」
    「……不破さんが作ったの?」
    「おん」
    「何で……?」
    「そう頼まれたから」

     まるでさも当たり前かのように、不破さんは僕と彼の傍らにあった十字架の頭をそっと撫でた。けれどそんな口振りで言われようとも、僕にそれが理解できるわけもない。ぱちりと何度か瞬きして首を傾げた僕を見てか、不破さんは肩で少し笑うとゆるく振り返るように視線を自分の後ろへと向ける。彼が見る先を追うように僕も目を向けると、砂浜のもっと先、少し小高く突き出した崖が佇んでいた。

    「あれ、最近アツいスポットなんやて」
    「何の?」
    「自殺の」
    「……うわあ」
    「んははは、すげえ顔」
    「悪趣味」
    「……ま、そんで、一緒に死んで欲しいって言われたんよ」
    「……お店のお客さんにです?」
    「そう」

     あっけらかんとした口調で言うけれど、客に心中を提案されるなんて中々の話だ。不破さんは都内でも有数の歓楽街でトップの売り上げを誇るホストで、それ故に様々なやっかみやトラブルに巻き込まれた経歴だってある。元々知り合った経緯だってそういうホスト業界の取材のために僕が歓楽街に訪れた時、見事にガラの悪そうなキャッチに絡まれて右往左往していたところを助けてもらって、僕が記者だと知った不破さんが面白がって色々と面倒見てくれたからだ。
     あの頃から何かとお店のお客さんたちのいざこざで困っているような話を聞いてはいたけれど、まさかこんな時まで。いや、でもこんな時だからこそ言い出すものなんだろうか。とはいえ今不破さんが此処にいるということは、その心中は果たされなかったということで。

    「でも死ねんやん、俺ホストだから」
    「……なるほど? いや分かりませんけどその理屈は」
    「だから無理やって言ったら、じゃあ死体を見つけて埋めてくれって頼まれたんよ。あの崖から飛んだら、この砂浜に流れ着くからって。やから、墓作ってんの」
    「一応分かりましたけど、じゃあなんでこんなにいっぱい?」
    「分からん。でも、頼まれた日からずっと流れ着くから、多分姫の誰かが言ったんやないのかなあ」
    「……え、姫ってことは」
    「皆、俺の姫やね。店に来てた子」

     不破さんの言葉に、思わず顔を海へと向ける。砂浜に伸びる、夥しい数の十字架。そのひとつひとつが、不破さんのお店に来ていたお客さんたちだと言うのなら。過ぎらせた思考がふいに引っかかったのは、ちょうどここに向かっている最中に聞いたニュースだった。
     ああ、そういうことか。此処は結局のところ、火葬場と同じなのかもしれない。世界が終わる前に自らの命を引くため、そして自らが愛した男に骨を拾ってもらうための、死に場所と墓標たちだとするなら。
     今こうして死体を拾い埋める不破さんは、ホストであると同時に墓守であるのかもしれない。

    「……そういえば、どうして僕に連絡をくれたんですか?」
    「んー……分からん」
    「ええ?」
    「なんか、このまま誰とも話さんままで終わるのもなあって。あと、甲斐田ならびーびー言うても来るやん」
    「僕のことなんだと思ってんだよ……いや行きますけどね、そりゃあ呼ばれたら行きますけど!」
    「何か、好きに書いたってええよ。それ見て、拾って欲しいやつがいるなら俺やるし。もう明日には世界、終わるらしいけど」

     すい、と視線を海に漂わせた不破さんの横顔が、煌々とした小惑星の灯りに仄く照らされている。それはどこか哀愁すら感じさせて、胸の奥底が軋む心地に苛まれた。いつも会う不破さんがこんな顔をしたことはないからなのかもしれないけれど。
     いつも煌びやかな輝きと喧騒を身に纏っていた不夜城の王が、こんな寂しいところで結末を迎えるのか。そう思うと、ゆるく寂しさを覚えてしまった。

    「……書きませんよ」
    「書かんの?」
    「だって、死にたい人を僕の記事で増やしたくないし」
    「にゃはは、そか。それもそうやな」
    「でも……不破さんが此処で、皆のことを看取っているのは、きちんと僕が最後まで憶えておきますから」
    「……ん。じゃあ、ええかあ」
    「……アニキ、」

     僕が発した声が、海風にさらわれて霞む。夜はとうとうと深くなり、けれど宵闇はこれ以上濃くなることはない。空に冠した小惑星は少しずつ大きく、色濃く、鮮やかにかたちを増していた。
     ざあ、と波が立つ音で辺りが支配された頃、長い長い間の後不破さんは僕を見て、へらりと見覚えのある表情で笑った。

    「お前は死ぬなよ、ハル。最期まで、全部憶えておけよ」

       ◇

     眩しさに目をゆるく開くと、気付けば朝が来ていたようだった。ああ、世界が終わる日の朝ってこんな景色してるんだ、そんなことを考えつつ、僕は固まった身体を車の中でぐっと大きく伸ばす。膝に掛かっていたブランケットは、いつの間にか座席の奥で丸まっていた。
     あの後、夜更けまで色々な話を不破さんとしてから、ふと不破さんが「もう行かな」と言い出してふらりと消えてしまったことで唐突にお開きになってしまった。どこに、と去っていく背中に声をかけたけど不破さんは答えることもなくて、結局後を追うのも憚られたせいで、不破さんが何処に消えてしまったのか知ることなど出来なかった。
     車の後部座席から外に這い出て、海風の満ちた空気を肺いっぱいに吸い込む。波の音が心地よく頬を撫でて、明るくなった砂浜にはやはり沢山の十字架が突き刺さっていた。その合間にも、遠くに見える件の崖にも、不破さんの姿は見当たらない。あの後何処に行ってしまったのか、見当さえつかなかった。
     スマホに表示される時刻は既に正午を越える間近だ。この世界の寿命があと五時間を切ろうとする中、僕は何の気なしにスマホで見られるテレビをつけてみる。が、昨日まではずっと流れ続けていたニュースさえ今日はついていないようで、どこの放送局もカラーバーと砂嵐で埋め尽くされてしまっていた。
     海辺のすぐそばにあった自販機は運良くカフェオレだけが残っていたので、それを三本買って車へと戻る。一本片手間に開けて、ラジオのつまみを回すけれど、どこもサーという砂嵐の音しか鳴らず、色々と迷った挙句僕は自分の鞄からボイスレコーダーを取り出して、車のスピーカーへと繋ぐことにした。レコーダーに残っている履歴は二件のみ、世界終焉を預言したもちさんのところに行った時のものと、社長のところに行った時のもの。そのうち古い方を流してから、口へとカフェオレを運んで、慣れた味を一口飲んだ。
     世界が終わる。それがあと、数時間という短い間に。眼前に広がる何度見ても異様だと思えてしまう光景に瞬きを幾つかした僕は、それを目に焼き付けるように数分眺めた後、ふっと呼吸をひとつ吐き出してシートベルトをしてからサイドバーを握りしめた。
     ここから都心に戻るまで、二時間弱。その時点で世界の寿命は残り三時間ほど。戻ってすぐ行きたい場所が二つあって、それらを回っていればきっと残り一時間になってしまうだろう。僕に残された時間は然程多くない、けれど。
     目の前に迫り来る終わりに、僕は、僕という一人の記者は、何が出来るだろう。そんなことを考える度に、何かまだしなくてはならないんじゃないかという衝動に頭が搔き乱された。最後の最後まで足掻くことだって、きっと悪くはないはずなのだから。

    「……終わるなよ、世界」

     今の今まで考えたことさえない一言が、無意識に僕の口から零れたことさえ気づかずに、僕は車を走らせるのだった。

     二時間をかけて戻った都内はひどく静かで、海へと行く前よりも無音で満ちていた。その中でエンジン音を響かせた僕の車だけが、アスファルトの上を滑るように走っていた。
     既に残り三時間になろうというところで、僕はようやっと目的地のひとつだったもちさんの家へと辿り着いていた。とはいえこんな時に彼を訪ねるつもりもなく、ただ外から家を静かに眺めるだけ眺めてから、今度は然程離れていない虚空教本部へと車を向ける。大きなビルを丸々一つ買い取ったという虚空教本部の出入り口に人気は無く、当たり前のように静寂が支配するばかりだった。
     今頃、もちさんは本部でガクさんや他の信徒の人たちと一緒にいるんだろうか。彼らは初めに終焉を預言した宗教としてその終わりを粛々と待っているのだという話を聞き及んだけれど、そうだとしても沢山の人が集まれば自然と不安や恐怖は伝播するものだろう。そんな最中を、もちさんは宥めるかのように説いて回っているのかもしれない。
     視線を少しだけ下げた僕は、時計を一度見てからまた車を走らせ始めた。今度はここから一時間ほど離れた場所にある、社長の会社まで。彼方も兎角大きなビルで、加賀美インダストリアルがどれほどの大企業かを毎度行く度に感じさせられた。多分、そっちも今は無人だろうけれども。
     ボイスレコーダーは気付かぬうちにもちさんとの会話を終わらせていて、社長の声へと既に変わっていた。あの時の社長は一際カッコよかったなあ、なんてことを考えつつ、なにひとつ動くものなど見止められない車道を走る。大通りにも、交差点にも、路地裏にも、誰も何もいない。世界から僕以外いなくなったような心地になりながら、車は思っている以上に時間もかからないで加賀美インダストリアル本社へと到着した。
     予想通り、会社周りには誰も居やしない。遠くから目を凝らして玄関の方も見遣ったけれど、毎度訪ねる度に会釈してくれた警備員さんらしき人も居やしなかったし、その自動ドアは固く閉ざされていて、向こう側も無人だった。そりゃあそうだ、いたら大問題だもんな、なんてことを考えつつビルを大きく見上げて、先日社長とした会話を少しだけ思い出した。

    「……」

     もちさん、社長、そして不破さん。世界が終わると知ってから会った、三人の友人たち。彼らは彼らの立場と責任と願いを以てして、その終焉の際まで誰かに手を差し伸べていた。もちさんは自分の教徒たちに、社長は子供たちに、不破さんは自分のお客さんたちに。
     彼らの意志を、僕は記者としてきちんと憶えていられただろうか。きちんと書けただろうか。終わるという現実を前にして、記者である僕が出来ることは何があるんだろうか。
     僕が、最後の瞬間に、出来ることって。

    「……ああ、」

     不意に、脳裏へと何かが過ぎった。

    「行かなきゃ」

     どこか無意識にも近しい意志が、僕にアクセルを踏ませた。車を走らせ曲がり角を曲がり、そうしてここから然程遠くもないとある場所へと向かう。きっとこんな状況で、街中に出ている人なんて僕くらいしか居ないだろうし、あんな場所を最後の死に場所に選ぶ人も、それこそ僕くらいしか居ないだろうけれど。
     幾らかの角を曲がった後、交差点のど真ん中で車を降りた僕は鞄とコートを腕に引っ掛けて建物へと駆け込んだ。普通であればチケットを払って入らなければならないエレベーターを、今だけは心の中で謝りつつも乗り込んで最上階のボタンを押す。電気が通っているかどうかの方が若干不安だったけれど、エレベーターは問題なさそうにぐっと重力を感じさせながら上に上にと僕を引き上げていった。
     一分もしないうちだろうか、小気味良い音を立てて開いたエレベーターの先もまた人なんていなくて、僕はあたりを見回してスタッフ用の扉を見つけると躊躇いなくそこもまた開けて、階段を少し上がっていく。上へ上へと登り続けていくと関係者立ち入り禁止の白い扉にまた行き着いて、そこから先に行く旨についての注意事項がいくつか書かれていた。それを数秒だけ目を通してから、扉をがちゃりと開ける。その瞬間、ぶわりと一陣の強い風がばたばたと手元のコートをはためかせた。

    「う、わー……高っかぁ……」

     螺旋になった階段に、フェンスと手すり。そして未だ続く、上へあがるための階段。辺りは橙に侵食された青ばかりが見えていて、下は出来る限り見たくないくらいに高かった。
     一瞬恐怖からひゅ、と喉が鳴るけれど、ここまで来たんだから今更引き返せるわけもない。少しだけ震える足で鉄製の階段を上がると、背後でぱたんと風に煽られて扉が閉まる音がした。ということは、僕にはもう帰る選択肢もないわけで。
     意を決して、この国で一番高いだろう電波塔をカンカンと音を立てて登っていく。人の身が行ける場所は、この階段の先にある電波塔の点検所までだと聞いたことがあった。なら、最後に見るのは僕が知る中で一番高い場所から見るあの小惑星が良い。ただ、そう思っただけだった。
     何十分経ったろうか、長らく登ってきた階段は少し広いエリアで打ち止めになっていた。他にはつるりとした塔がまだ上に聳えているが、ざっと見た感じだと上に行く方法はなさそうに見える。ということは、ここがこの国で一番高い場所のはずだ。何かから手を離せばすぐに全部飛んでいきそうな風の中、かろうじて取り付けられているフェンスの内側で下を見下ろした僕は、うわあと思わずひどい声を上げる。此処から落ちたら間違いなく命なんてない。いや、落ちなくったってもうあと数十分では無くなる命なんだろうけど。
     地上から一番離れたこの場所で、僕はずっと握り締めていたスマホを取り出してSNSを開いた。終焉が告げられるより前はあんなに流れていたポストはひどく少なくなっていて、それでも終焉を前に恐怖から震える人々の声で溢れ返っている。

    『怖い』
    『本当に死ぬのか』
    『こんな終わりは嫌だ』
    『耐えられないよ』
    『こんなの、』

    「……現実じゃない、か」

     これがもし夢だったら、どれほど良かったんだろう。空を埋め尽くす橙色も、衝突しようとしている小惑星も、消し炭になるかもしれない建物たちも、消え往くかもしれない命も、既に失われてしまった命も、すべて、すべて、すべてが、現実じゃなければ。
     ああ、けれど、僕がそれを否定してしまったら、きっとどうしようもなくて。

    『甲斐田くんは最後の日まで生きて。君と僕は、きっと同じ立場の人間だろうから』

     もちさんがああ言った意味が、ずっと分からなかった。僕は宗教家でもなければ預言者でもないし教祖でもない。僕が出来ることなんて限られているだろうにと思っていた。

    『甲斐田さんこそ、死なないでくださいね。私の個人的な願いでしかないですが、貴方には最後まで空を見ていて欲しい。その刹那に目に映したものを、貴方だけの言葉で書き記して欲しいから』

     社長がああ言ったことが、不思議だった。僕は僕の言葉で描けるものには限界があると思っていた。僕が伝えようとしたところで、伝わらないことだって沢山あるだろうにと思っていた。

    『お前は死ぬなよ、ハル。最期まで、全部憶えておけよ』

     不破さんがああ言った理由が、理解出来なかった。最期まで全部憶えていたって、死んだら何もかもなくなるのに。僕が憶えていたって仕様がないのにどうしてそんなことを言うんだろうと、ずっと思っていた。

    「……だけど、」

     あの時、三人がそう言ったこと。今、空の向こうからやってくる橙色の美しさを目の当たりにして、そして眼下に広がる街並みを見て、何となく分かった気がした。
     世界は、あと三十分後に終わる。この世界における約九十五パーセントの生命が死滅する。けれどそれは、残りの五パーセントは生き残る可能性があるということだ。地球に小惑星が衝突したとて、かろうじて命が、ほんの少し続くのならば。
     手に持ったスマホを操作して、僕はポスト画面を開いた。幾らか迷うように言葉を頭の中で巡らせた後、どうせならばと飾ることさえ取り払った言葉を書き込んでいく。世界が終わったとてネットの海が潰えることはないのだから、いつか生き永らえた人の先でこのポストが見つかればいいと、そんなことを考えて。

     その誰かが僕の見ることが出来なかった先で、空を確かめてくれたら良い。そう、心から思った。



    『東京都市部、明日の天気。
     未だ残暑の続く都市部では、明日も三十度を超える予定です。
     熱中症対策をしっかりとして、体調に気を付けて過ごしてください。』
    Tap to full screen .Repost is prohibited
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    Replies from the creator

    Asahikawa_kamo

    DONE
    第四本目 加賀美ハヤト 「ホテルの最上階」 昔、まだライバーになる前の話をひとつ、話させてください。
     仕事の出張の折に、とある地方のビジネスホテルへ滞在したことがありまして。一泊二日程度の短いものだったんですが、いかんせん地方ということもあってホテルが少なかったようで、少し駅から離れたところに取っていただいたんですね。総務の方がせめてと最上階の部屋を抑えてくださって、チェックインしてエレベーターを降りると部屋が一部屋しかなかったんです。
     実際広くて綺麗ないいホテルでしたよ。眺めも良くて、よく手入れが行き届いているなと感じました。……ただ、少し不自然なところがいくつかありまして。
     まずひとつすぐに思ったのは、廊下の広さと部屋の広がり方がおかしいと感じたんです。私が当時泊まった部屋はエレベーターを出て真横に伸びた廊下の右突き当たりにありました。部屋の扉を開くと目の前に部屋があるわけですが、扉がある壁が扉に対して平行に伸びてるんですよね。四角形の面にある、と言えばいいでしょうか。扉の横の空間がへこんでいて、そこにまた部屋があるなら構造上理解出来るんですが、最上階はテラスなどもなかったので、不思議な形をしているなと思ったんです。
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