Δノスクラ出会い編1 すまない、父を止められなかった。そう、涙目で震える歳上の友人の姿に呆れたような気分と、何故止めてくれなかったのかという気持ちと、いや無理もないお前は頑張ったと肩を叩いて慰めたい衝動が一気に湧き上がったものの、ノースディンがそれら全てをぐっと腹の中に抑え込む事に成功したのは数日前の昼だった。
「じゃそういう訳だからシクヨロ。ドラウス、私が留守の間は代理頑張ってね」
「解っています頑張ります俺はできる子努力の子!うぇーんミラさーーーん!!」
えーんと大きく悲痛な叫び声をあげて執務机に突っ伏す友人の姿は悲痛なものであったが、純白の制服の背が昼の明るさに眩く煌めいていたのが奇妙に瞼の裏に焼き付いている。
友人の父でありノースディンにとってはかけがえのない恩人にして誰よりも敬愛する人物は、嘆く息子の姿を何処か微笑ましげに眺めている。と言っても彼は極端に表情に乏しいため、おそらく他人から見ればひどく冷淡な男に見えているのだろうが。
「しかし俺……わ、私が参加しても良いのですか? その、私はまだ入隊したばかりの新人で……」
「うん、ノースディンも一緒に行くよ」
こっくりと頷く仕草はまるで子供のように邪気が無いが、ノースディンもドラウスも目の前の彼が邪気無くありとあらゆる想定を覆し万難の脅威を手繰り寄せてバラ撒き、その癖けろりとした様子で一人解決できてしまう事を熟知している。
生きるハリケーン、加減を知らぬ竜の化身、破天荒の寵児……様々な二つ名を持つ、吸血鬼対策課という人間が得た新たな牙の創立者である“D”は、うん、ともう一度軽い調子で頷いた。
「ルーマニア。構えないでオーケーオーケー、吸血鬼の灰を回収するだけの簡単なお仕事。時間余ったら観光もしていいよ、美味しいクルトシュ食べよう」
「お父様の言う『簡単』が簡単であった試しがありませんが!?」
がばっ、と音がしそうな勢いで跳ね起きたドラウスの声は、やはり焦りと涙に満ちている。三十を間近に控えた男の涙目など見ていられないが、泣き出したい気持ちはノースディンにも良く解る。“D”は滅茶苦茶に手足が生えて服を着て歩いているような存在で、それに振り回されて平穏無事でいられる者など皆無であり、息子という立場ゆえに一番の被害者になりがちなドラウスの脳裏にはノースディンでさえ思いつかないあらゆる被害の予測と、それを斜め上に軽々と飛び越えて行く“D”の姿が目まぐるしく駆け巡っているのだろう。
しかしノースディンの胸の内には、確かに言いしれぬ不安も警戒も生じていたそれ以上に、浮足立つにも似た高揚がぽこぽこと湧き水のように湧き上がり内側を満たしつつある。
期待されているのだと、心臓がどくどくと力強く脈を打つのを感じられた。
「……観光、はともかくルーマニアへの渡航任務、お受けさせていただきます」
制服の胸元に手を当て、丁寧に頭を下げる。さら、と体の動きにそって流れ落ちた前髪の奥で、表情筋がひきつり口角が持ち上がりそうになるのを堪える。
ノースディンは正真正銘、吸血鬼対策課に所属してまだ一年に満たない十代の新人だ。吸血鬼という人外の脅威に対する組織の特性として年齢は重要視されにくいとはいえ、他者と比べ実戦経験に乏しいという自覚は嫌になるほど思い知っている。
それが、例え限りなく身内に近い扱いゆえの手軽さからくる抜擢であっても、“D”が直接指揮を取る部隊に編成されての海外任務(それもルーマニア! “大真祖”が居を構えるという伝説の地!)もなれば、むざむざと好機を逃すのは愚か者のする事だ。
「ノース……ごめんな、本当なら俺も同行すべきなのに」
「ミラ嬢の体調が思わしくないのだろう? ドラルクの事もあるし、気にしなくていい」
しょぼしょぼと肩を落とすドラウスに気にするな、と首を横に振って見せた。最近ようやくよちよちと歩き回れるようになったばかりの赤子を持つ父親に無理をさせるのは、流石に気が引ける。
不安と高揚、相反する二つの感情が身の内で荒ぶりそうになるのを抑えるよう、静かに息を吐く。支給されて数ヶ月、ようやく手に馴染みきったサーベルが腰元でずしりとその存在感を増したような錯覚に、ノースディンはきゅっと唇を引き結んだ。
「じゃあ出発は明日ね」
「「流石に急すぎやしませんか!?!!!??」」
このやり取りから十八時間後、ノースディンは本当に機上の人となった。
なお、飛行機に搭乗するまでの記憶がほぼ失われているが、同じく“D”直々に率いられる事となった同部隊のおよそ全員が同じであったため、半数が初対面であるにも関わらず奇妙だが強固な連帯感を得られたのは、想定外の僥倖だと言えただろう。