仲間外れは、いや「なあ真一郎、一緒にツーリング行かねえ?」
「俺たち今日は海の方に走りに行くんスよ」
朝食が並んだ佐野家の食卓に今日は龍宮寺も同席していた。すっかり馴染みの光景に万作は微笑ましく思いながら茶を飲み、今日の新聞の端にあった情報から「今日は天気もいいしな」と優しく声をかける。
万次郎と龍宮寺は休みの日になると決まって朝からバイクを走らせていた。が、今日はその誘いが真一郎にもやってきた。「ほう?」とコーヒーを飲みながら真一郎は言った。
「珍しいじゃん、誘ってくるの」
「だってさー真一郎も最近忙しそうじゃん? たまには息抜きも大事だぜー、みたいな?」
「なるほどねぇ。リフレッシュ的な?」
そうそう、と頷く万次郎に真一郎は「アリだな」と前向きな表情を見せていた。しかし一方で不服そうにしていたのがその隣に座っていたエマだった。
「ねえ、ソレ、ウチも行きたい」
「え?」
想像していなかったその言葉に皆が一斉にエマに視線を向けた。それに一瞬怯んだエマだったが、やはり不機嫌を隠せずついには唇を尖らせてしまっていた。
「う、ウチも行きたい!」
本当なら龍宮寺に「後ろ乗ってみるか?」なんて言われてデートをしてみたいとか思ってる。願望を拗らせすぎて夢で見たこともある。でもその度にゼファー?が自我をもち「ドラケンはアタシに跨ってる時が1番イイオトコなの」だなんて悪夢に変えてくるのだ。そんなことも思い出してしまいなおさらエマの声は大きくなる。
「真にいを誘うなら、ウチの事も誘ってよお!」
「えー? だって日焼けするぅ〜とか髪型崩れるぅ〜とか文句言いそうじゃん」
しかし万次郎にそう返されてしまえば、確かに、そうである。
「なんだよエマ〜。仲間はずれが気に食わねえ?」
「……ウン」
「可愛いとこあんだな〜」
真一郎が隣にいるエマの頭をポンと手を置こうとすれば。
「やめてよ!」
「おぉ……悪ぃ」
と咄嗟にキレかかってくる。こんな扱いの難しい年頃の女の子を果たして野郎のツーリングに連れて行っていいものなのか。真一郎と万次郎はむっと同じような顔をして悩んでいるようだったが、しばらくの沈黙の後に言葉を発したのは万作だった。
「……真一郎、エマを後ろに乗せれんか? ワシはこのあと出かけるから、家にひとりでおってもつまらんだろ」
そう言って椅子を立つ万作は「長袖長ズボンで行くんだぞエマ」と部屋を出ていった。
「や、やったぁ……!」
「まあ、そうだわな。行くとしたら俺の後ろだわな」
「うーん……じゃあ仕方ない。エマも一緒に行くか」
真一郎は立ち上がり「ヘルメットとか用意してくるわ!」と食器を流しに突っ込んで鼻歌を歌いながら部屋を出た。そんな姿を見て万次郎は穏やかに笑う。
「真一郎も嬉しそう」
「兄妹揃って出かけるってのもあんま無えだろ? 邪魔しちゃ悪いか?」
「いいのいいの、ケンちんは俺の横走って道案内よろしく」
「とか言っていつも追い越してくだろ」
龍宮寺は万次郎の分の食器も一緒流しに突っ込む。その後食事を終えたエマの分の食器を持つと、もう片方の手がエマの頭へ伸びる。
「よかったなエマ。今日は仲間はずれじゃなく、仲間だな」
「あ……! あ、ありがとう……!」
ポンポン、と優しくその頭に触れる。もうエマの心臓は口から出そうな程に身体の中で暴れ狂っていた。さっきは尖らせていた口も今ではへにゃへにゃと力を失いだらしなく緩んでいる。それを見て万次郎も「よかったじゃん」とまた穏やかに笑った。
そうして万次郎と龍宮寺のツーリングには真一郎とエマが加わり、4人でのお出かけとなった。
──────
「ッキャァァーー!!」
そんな甲高い叫びがすぐ真後ろから聞こえてくる。険しい峠を攻めている訳でもなく、一般道の少し急なカーブを曲がるだけでコレだ。先頭を走る龍宮寺、万次郎はサイドミラーで後ろの様子を見ながら時折顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
真一郎はと言うと、エマの腕力によって腹が締め付けられ朝飯が何度か這い上がってきたりしていた。だがハンドルを握る以上そんなことには構っていられず、後ろに座り怖がる女の子を振り落とさないようそれでも「ちゃんと捕まって」と声をかけることしかできなかった。
必死にしがみついてるエマはついさっきまでは意中の男に頭をポンポンされ胸がドキドキしてたと言うのに、今はもうそんなことすら吹き飛んでしまい身体を掠める風の強さにひたすら情けない声を出すことしかできないのだった。
それから目的地───まであと半分という所で真一郎のタバコ休憩に入る。コンビニの喫煙所から少し離れた駐輪場でエマは1度バイクから降りると万次郎の元へとよろよろ近づき、ぐったりと体重をかけてもたれかかっていた。
「マイキー……ドラケン……いつもこんなデンジャラスなことを……」
「慣れだよ慣れ。大袈裟だなーエマは。そんなに怖がってさぁ、本当に俺らの妹か〜?」
「もー!半分は同じだもん! 女の子だし怖がりでもいいじゃん、もう!」
ギリギリ笑える冗談をいう万次郎に呆れつつ、龍宮寺はぷんすかと怒るエマを見ておもしろい兄妹だな思っていた。
「つーか長袖長ズボン、ちゃんと着てきたけど、バイクから降りるとチョー暑い……。乗ってる間は風が気持ちいいんだけどさ……」
デニムのパンツにラフなTシャツ、薄手のパーカーは確かに直射日光を避けるから日焼け対策には丁度いいなとは思いつつ、夏日にじっと空の下に居ればどんどんと熱さを感じる。自身の格好を2人に見せるように言うと「そりゃそうだ」と2人から同情の目を向けられた。
「真一郎くんが事故るとは思えねぇけど、何かあった時に少しは身体を守れるしな。本当ならライダースーツとか来て欲しいくれぇだが……」
「……心配してくれてんの?」
「そりゃ気にするだろ」
「……ふーん」
「ま、現地に着いたら脱げばいいんじゃね?」
「ぬ、脱げ……!? あっ、いや、そうだね、運転中は着た方がいいからね……うん、脱ぐ脱ぐ、海着いたらね……」
挙動不審に若干頬を染めるエマに万次郎はおもしれーなとにやけつつ、相変わらず空気を読まない真一郎がタバコ休憩を終え戻ってくる。「よしあと半分だ!海だ海!」と気合いを入れて、そうしてまたエマは少しだけボリュームが小さくなった悲鳴を上げることになった。
─────
海に到着する頃には太陽が真上にやってきていた。落ちる影の面積は少なくて、砂浜の白色がより1層際立つ。空、海、砂浜。青、青、白の色が強烈に視界に入ってくる。じりりと感じる太陽の熱が見える景色の彩度を上げているようにも思えた。バイクに乗っていた時とは違う海の香りを乗せた軽い風がパーカーを脱いだ素肌を包み、柔らかい髪をふわりと揺らしていた。
「わー……めっちゃイイじゃん……」
「快晴で良かったぜ」
2人して独り言のように言いながら、不規則に聞こえる波の音に耳を澄ませ駐輪場から少し離れた防波堤をゆっくり歩く。エマ後ろを歩く真一郎も辺りの景色をみてその目を細めている、その目線の先は砂浜で子供みたいにはしゃぐ万次郎と龍宮寺の姿。
「……眩しいな」
「たしかに。砂浜めっちゃ白いから目痛いかも」
「……そうだな。大人になるとな、視界もそうだけど、若い子たちの楽しそうな姿ってのは、眩しくてたまんねーんだわ……」
「まーたおっさんみたいなこと言ってる」
「お兄さんもアラサー突入ですからねぇ」
カチリ、とライターの音がして、それから海の匂いに混ざってタバコの匂いが微かにする。いつもは臭いな、と思うけれど、普段来ない慣れない場所にいるとなんだかその匂いに安心したりもした。
それから会話は無く、エマと真一郎は遠くではしゃく2人を眺めていた。ただ、穏やかだなと思った。
「……なぁ、エマ」
「なに?」
「……あとちょっとで、万次郎の誕生日だろ? なんかお祝い考えなきゃだよなー」
「あー、うん、そうだね」
どっかりと胡座をかいて座った真一郎の横で、エマも膝を抱えて座った。
「夏って忙しいよなぁ」
「真にいの誕生日もあったし。豪華な夕飯作るのも大変なんだから」
「ははっ。いつも美味しいご飯、ありがとうな」
「……どーいたしまして」
改めて感謝をされると、照れくさくなってしまうものだ。幸い真一郎はエマの事を見ていない。ちょっとだけ口角を緩めて小さく「ふふん」と得意げに笑ったりした。
「……なんか、色んなこと、あっという間だな」
「真にい、ここ数年でそればっか言ってる」
「えー?まじか、口癖……?」
嫌だなぁ〜なんて言いながらも、満更でもない。
「ほんとさぁ。世の中のおっさんってこんなすぐ感傷的になっちまうのかなぁ? 自分が歳とるのも、お前たちの誕生日を祝えるのも……なんか、すげー幸せだなって思うんだ」
「……ふーん」
防波堤の少し下でよちよちと歩く小さなカニを見つけたエマは真一郎の言葉に薄らと返事をする。それでも真一郎は妙に真剣に言葉を続けていた。
「……うまく言葉に出来ねぇんだけど、当たり前のような幸せって実は手に入れるのって、めちゃくちゃ難しいんだよな、とか思ったり。今は簡単に過去を振り返ることができても、たぶん、だって当時の俺だってそれなりに悩んだり不満抱えたり、色んなことやったりしてたしさ」
真一郎がぼんやりと頭に浮かべたのは両親の死、腹違いの妹、繋がりのないもう1人の弟……それから、青春を共に駆け抜けた仲間と、大好きなバイクと……それからそれから、今の穏やかな日常へと繋がって……。
「……エマは、夢とかあんの?」
吸い終えたタバコをグリグリと地面に押し付け消すと空になったタバコの箱へ入れる。横にいる妹はぼーっと砂浜を見つめている。
「……んー、んー? なに、急に」
カニは波に飲まれて姿を消してしまい、必然と真一郎に意識が戻る。
「いや、なんとなく。……こないだ万次郎がさ、バイクのレーサーってかっけぇな〜とか言ってたし。エマにもそういう憧れってあんのかなって」
「うーん……ウチの、将来の、夢〜?」
悩むように言葉を伸ばしていても、今、エマの頭に咄嗟に浮かんだのは「お嫁さん」という実に可愛らしいモノだ。真一郎の言う将来の夢が職業的な意味だとは理解しているが、恋する乙女の夢と言えば、好きな人のお嫁さんになることが何よりも憧れなのである。
「……内緒」
「そっかぁ、内緒か」
「うん。でも、夢叶えるまでは修行するもん」
花嫁修行……なんて考えながら、エマは龍宮寺を目で追いかけながらふふ、と笑ってしまう。エマの目線が龍宮寺に向いてるとわかった真一郎は、一途で可愛い妹の頭をつい撫でたくなって手を伸ばすが、今朝のエマの態度を思い出して、躊躇う。
「…………ウチの将来の夢、応援してくれてもいいんだよ?」
膝を抱え微笑みながら横を向き目線を合わせてくるエマに、ついに真一郎の父性は爆発した。
「あーあー! かわいい妹だ。ほんとお嫁に出すのが惜しいくらいだ。でもいいよ、アイツはイイオトコだ。アイツは死ぬまで……いや、死んでもエマを愛し続けてくれそうだもんな。うんうん、あ、なんか涙出そう……」
「ちょ!わー! なん……い、言わなくていいし! ちょ、髪の毛ボサボサになる!もうやめてー!」
わしゃわしゃと激しく頭を撫でられて、ムカつく気持ちと、兄に大切にされて嬉しい気持ちと、自分の密かな夢がバレて恥ずかしい気持ちと……こんな風にはしゃげることが楽しいなと思う気持ちと。涙目の真一郎に「ダサい」なんて言って笑うのも、「あんなマセガキが今じゃこんなかわいい女の子に成長しちまって……」って妹の成長をしみじみ感じるのも、どこかずっと憧れていたような幸せな形な気がして胸が締め付けられるようだった。
「真一郎ー!! 見てー!! カニ、げっと!!! 食えるかなー!? 」
遠くから声がする。万次郎が手をブンブンと降ってその手には、おそらくカニを持っているのだろう。その少し離れた場所で龍宮寺は必死に何かを砂で作り……まるで、本当に小学生の子供のようだ。だいぶ大きな声で言ってるだろうから、周りの人は万次郎を見て笑っていて、こっちまで恥ずかしくなる。
「……真にいもあんな感じだった?」
「うーん……あんな感じだった。以外と武臣もあんな感じだぜ」
「えー、そうなの? ワカくんとかベンケイくんは?」
「アイツらは……ほら、女にナンパされてっから……」
「あ〜ね」
「そこで納得すんなよ〜……」
しおしお……と項垂れる真一郎。エマは立ち上がると、そんな真一郎の頭をわしゃわしゃと荒く撫でた。
「ウチのお兄さんも、黙ってればかっこいいのにな〜」
「いっつもソレ言うな……」
真一郎は少し照れくさそうに笑いながら立ち上がり尻に着いた砂を払うと、2人はまたゆっくりと潮風を受けながら砂浜の方へ向い歩き始める。
「……まあ、ウチらからしたら、大事なお兄ちゃんだからさ。いつか、真にいも誰かと一緒になる時が来たら……だいぶ寂しいかもなぁ」
「…………ふーん、そっかぁ。そうだなぁ」
前を歩いているエマは後ろを歩く真一郎の姿は見えないけれど、その声には嬉しさで滲み出ていて、きっといつものように微笑んでいるんだろうなと思った。今自分の目には見えないけれど見守ってくれる存在が確かにいる、って感覚にまた安心感を覚えて、妙にむず痒くなったりもした。
少し歩いて砂浜に到着する頃にドラケンは少し歪なフォルムをした砂の塊に「ゼファー!」と言い目を輝かせて自慢してきたし、万次郎は「あいつ俺の指挟みやがった……許せねえ……」と波に消えていくカニを黒いオーラが出るほど睨みつけていた。
───────
海から戻り、真一郎は相変わらず夜は友達と飲みに出かけて、龍宮寺と解散して、家に帰った。しばらく時間が経って風呂から上がった万次郎はエマに話しかけた。
「……バイク乗るの、どうだった?」
どっかりと胡座をかいて座った万次郎の横で、エマは口角が緩むのを隠すことなく万次郎に顔を向けた。
「ちょっと日焼けしちゃったし、叫びすぎて喉痛いし、バイクは怖いし……でも幸せな時間だったよ」
「……そっか、良かった」
1個しか歳が離れてないのに、万次郎は随分年の離れた兄のように大人びた声音で、また穏やかに笑った。
「……わがままでついていってごめんね。ウチ、邪魔だったよね?」
朝、不機嫌のまま子供っぽくわがままを言ってしまった事にエマは罪悪感を感じていた。本当は真一郎だけを誘い男だけでもっとバイクを走らせたかったに違いない。そう思い素直に謝ったけれど、万次郎は変わらず笑顔のまま「気にすんな」と返した。
「……遠くでさ、真一郎とエマが防波堤で座ってなんか話してたじゃん?」
「うん」
「なんていうか……大きくなっても兄弟で出かけてさ、こういうの凄く良いなって思う……っていうか。こういうの続いたらいいなー……みたいな」
兄妹みんなして似たようなこと考えちゃって。
「……マイキー、家族のこと、好き?」
「あたりまえだろ。……もー、真一郎みたいなこと言うなよ」
冗談っぽく聞いたつもりが即答されてい少し驚く。照れ隠しなのか頬を指でかいて視線を逸らすのも、なんだか……。
「真にいとマイキー、年々似てる……」
「えー? ……それっていいこと、悪いこと?」
「んー……良いこと! 」
そう言うとエマは勢いよく立ち上がり部屋を出たかと思えばドライヤーを手にして戻ってくる。コンセントを繋げてマイキーの後ろに立つと「髪の毛乾かしてあげる!」と嬉しそうな声で言う。
「やったー手間が省ける」
「ねえねえ、ヘアオイルもつけていい?」
「んー、なんでもいいよ」
「じゃあサラサラにしてあげる!」
エマは楽しそうに鼻歌を歌いながら、万次郎の頭をわしゃわしゃと撫でる。部屋の前を通りがかった万作さんも二人を見て微笑ましく思い、万次郎も女子っぽいお節介をするエマを可愛らしいなと思ったりした。
ドライヤーの熱風がごうごうと音を鳴らして髪の毛から水気を奪い、小さく優しい手が労わるようにその髪を撫でていく。
日常の中にある、こういう些細な温かい気持ち。
「……こういうのでいいんだよ。こういうのがいい」
「ん?なんか言った?」
「……なんも」
元気なエマの声を聞いて、万次郎はまた穏やかな笑みを浮かべていた。
───────
「は?俺、誘われてねえし」
「わりーわりー。そうかぁ、イザナも誘えば良かったか」
「はぁ?なんか言い方がウザすぎるだろ」
「……まあまあ、今度は誘ってやるから今回は許せって」
「なんで上から目線なんだよてめえは」
──佐野家+龍宮寺のツーリング話を耳にしたイザナが佐野家に乗り込んでマイキーと喧嘩したのは、また数日先の事だ。