オレたちマブになりました マブってなんだ。
抗争が終わって一か月。残務処理も終え、ようやく生活の見通しも立ってきた。深夜にコーヒーを飲みながら、不意に思ったのだ。
マブってなんだ。
抗争のさなか、イヌピーは叫んだ。ココ、助けろ。オレたちマブだろ。
あのときは勢いに押されたし、なんとなく通じるものがあった。しかし、我に返ってみれば、マブとはなんだ。親友以上というニュアンスがあるような気がするが、そのあたりの言語化をイヌピーに求めても無理だろう。
かつて「ワカクンとベンケイクンみたいになりてぇ」と言われたこともあった。今牛と荒師は連絡先こそ知っているが、それはあくまで連絡用であって、イヌピーを通しての知り合いでしかない。つまり「ワカクンとベンケイクンみたいな関係」がオレにはわからない。
プライベートに使っているスマホに登録された連絡先は、イヌピーと花垣と松野と、その他少数。花垣や松野はイヌピーと同じ匂いがするし、当てになりそうなのは三ツ谷くらいだ。三ツ谷なら教えてくれそうだが、彼とは聖夜決戦のいざこざがあるので少々心苦しい。
三途や灰谷兄弟は論外。比較的良識のあるのは鶴蝶だが、年下の彼に頼るのはいささか心が引けた。
二杯目のブラックコーヒーを飲みながら考える。
そもそもマブに明確な定義はないのではないか。
夫婦にいろんな形があるように、マブも千差万別。マブの意味を求めるより、オレとイヌピーのマブの形を追求すべきじゃないか。そうだ。そうするべきだ。ならば決りだ。資料を作ろう。
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朝起きると、ココから「家に来てほしい」とラインが来ていた。
コンビニに寄って適当な朝ごはんを買うと、ココの部下が迎えに来た。そのままココの住処のひとつであるマンションに案内される。入り口にいるコン……、コンシェルなんとかいうのはココの部下で、オレの顔を知っているので、顔パスだ。コンシェルなんとかは先導してオレをエレベーターに案内してくれた。エレベーターに入るにも、エレベーターから出るにも暗証番号が必要なのだ。
ようやく部屋に入ると、ココが待ちかまえていた。あ、こいつ徹夜したな。目が座っているし、妙な雰囲気がある。こういう時のココは面倒くせぇんだよな。
手を引かれるままに、ソファー以外なにもない部屋に案内される。この部屋では映画を見たことがある。白い壁に画像が映るのだ。また映画を見ようなと約束したが、どうもそういう感じではない。
「イヌピー、座って」
促されるまま、ふかふかのソファーに座る。
「まず手元の資料をご覧ください」
「ん? これか?」
「順を追って説明します。まず一枚目をご覧ください」
ソファーに置いてあったホチキス止めの資料とやらを手に取る。タイトルを読むまでもなく、プロジェクターが起動した。
『1、マブとはなにか?』『2,マブの形を追求する』『3,ルームシェアの提案』『4,ルームシェアのメリットデメリット』と映し出された。
「……なんだこれ」
「このあいだ乾さんが言ったマブについて、私なりにまとめてみました」
このあいだの発言とは抗争中に言ったことだろう。
「いや、あれは……」
「質疑応答は後ほど時間を作ります。まずこちらをご覧ください」
オレはぽかんとして画面を見上げた。なんだこれ。いつの間にこんなのを作ったんだろう。ココのことだから、こんなのは朝飯前だろうけれど。いや、その前に朝飯食えよ。
ココは『1,マブとはなにか』を語り始めた。ココなりの推測や、オレが過去に言った発言などを織り交ぜて、明快に話は続く。なんだかよくわからないが、すごく説得力があるような気にさせられてきた。なるほどこれがココが言う交渉力とかいうやつだろうか。ココはこんな風に仕事をしているんだなと思うと、ちょっと面白くなってきた。
『3,ルームシェアのご提案』に入ると、話が具体的になってきたので、オレにもわかりやすくなってきた。マンションの間取りや最寄り駅などが説明される。ていうかオマエいくつマンション持ってんだよ。
「つーか、運転手とか要らねーんだけど」
「……イヌピーにも危機感を覚えてもらいたいんだけど、オレと暮らすっていうのはそういうことだから」
パワーポイントを使いながらの説明時は敬語だったのが、ようやくココの地が戻ってきてほっとする。
「さしあたって、マブの証にこれを受け取ってもらいたい」
ココが近づいてきて、天鵞絨の箱を差し出してきた。
今までいろんなものをもらったことがあるが、そのオレでも受け取るのを躊躇ってしまう代物だ。
「……マブの証? マブってなんなんだ?」
「イヌピー、オレの話聞いてた?『1,マブについて』でけっこう語ったと思うんだけど」
「難しいこと言ってんなと思って、ココの顔しか見てなかった」
「イヌピー、あのさぁ」
「難しいことはオレには分かんねーけど、オレもココに受け取ってもらいてぇものがある」
どうせなにも食ってねぇんだろ、とココにコンビニのビニール袋を差し出した。
「ココが受け取ってくれんなら、オレもそれを受け取る」
ココが差し出す天鵞絨の箱の中身と、オレが持っているコンビニの袋の中身では雲泥の差があるだろう。オレのはせいぜい千円くらいだし、ココのは、ココのはぶっちゃけよくわかんねぇな。
「オレはココに毎日ちゃんと飯を食ってほしい」
「イヌピーはそういうとこずるいよ」
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抗争から半年。やっと病院から退院できたオレは、相棒千冬に抱えられ半年ぶりの自宅に帰ってきた。
怪我は完治したが、ずっかり体力が衰えていた。元に戻るにはしばらくかかるだろう。そんなオレ待ちかまえていたのは大量のDMだった。不在の間はときどきヒナが見に来てくれてたみたいだけれど、限界がある。DMの中には請求書なんかもあったりするので、確認していったところ、一枚のはがきが滑り落ちた。
「ん? これって……」
オレたちマブになりました
どこかの海外で笑顔を見せるココくんとイヌピーくんからのハガキだった。
「……マブってそういう意味だったっけ」
「考えるな相棒」
首を横に振った千冬にオレはもういちどハガキを見た。
「元気そうだからいいか……」
もしかしてこれってハネムーンかな、とちらりと脳裏をかすめたが、千冬のアドバイスに従って、考えないことにした。