キスはチョコ味。「九井の下駄箱エグ…」
朝校門で会ったクラスメイトと談笑しながら上履きを履き替えようと、靴を脱いだ所でクラスメイトが引き攣った顔をしている。
顔を上げて自らの下駄箱を見てみれば、上靴入れの扉は開け放たれ正方形の中にはみっちりと色とりどりの包みが詰め込まれていた。
「上履きどこ行ったんだ」
その惨状に驚いた様子も無く、そこに入っていた筈の上履きは何処かとそれを気にしている。
今日はバレンタインという、普通の年頃の男女達に取っては一大イベントとも呼べる日だ。
去年は高校生になってから初めてのバレンタインであったが、九井は朝からチョコ攻めにあっていた。
それを律儀に貰えない、と謝りながら断る姿に一瞬嫉妬で苛ついていた男子達も九井偉いぞ!と色めきだったものだった。
それが今年は直接受け取って貰えないとなれば、下駄箱に詰め込むという実力行使に出たらしい。
女子達は別に色良い返事が欲しいわけでは無いのだ。
憧れの男子生徒にチョコをバレンタインに渡すという、そのイベントを楽しんでいる。
押し付けがましいエゴだろうがそんなものは彼女達には関係ない。
「あった、良かった。スリッパ借りなきゃかと思った」
下駄箱の上の方に置かれていた自分の上履きをやっと見つけた九井はそれを履いた。
それから慣れた様子で持ってきていた紙袋に無造作にチョコを放り込む。
手紙も、綺麗な包装のチョコレートもいっしょくただ。
九井一は教師からの信頼も厚い優等生というやつだ。
面倒みも良いから頼まれれば男女隔て無く勉強を見てやるし、見た目も清潔感のあるイケメンタイプだ。
だからといって堅苦しい訳でもなく、年相応に友人達と悪ふざけをしたり偶に授業をサボる事もある。
それでも成績は常に上位だし、スポーツだって一通り卒無く熟す。
そんな完璧な九井一は当然のように女子からモテる。
それはもう、少女漫画のイケメンヒーローかの如く。
下の学年から上の学年まで、各クラスに一人二人は九井を好きな女子が居るし他校にまでファンが居るらしい。
最初の頃は男子達はそんな九井に嫉妬し、いけ好かない奴だと陰口を叩いたりもしたが本人の気取らない性格から直ぐに打ち解けた。
何より九井自身が女子達を誰も相手にせず、はっきりと恋人が居るからと公言しているのだ。
だから男子達は九井に嫉妬したり警戒したりする必要は無いと気を許した。
「この分だと、机やロッカーもヤバそうだな…」
「袋に入り切るかな」
「俺、無駄にビニール袋余ってるからやるよ」
バレンタインなんて母親からぐらいしか貰った事が無いというのに、毎年母親は息子がモテると思い込んでバッグにビニール袋を入れてくる。
その袋が使われる事なんて今まで無かったのに、今年はどうやら役に立てそうで何よりだ。チョコは自分宛てでは無いが…
「そんで、今年は本命チョコ貰えそうなの?…乾から」
乾、とその名を口にするとそれまで下駄箱に詰め込まれたチョコを見ても顔色一つ変えなかった九井は、はあ、と溜息を漏らす。
乾、と書いてある下駄箱は扱いが雑なせいか所々凹んでいるのが見える。
「いいんだ、イヌピーはそういうの疎いから。そういう世の中の事に鈍い所も可愛いし」
「相変わらずベタ惚れじゃん…」
若干引き気味で言ったのに九井の方は、へへっと照れ笑いしている。
乾というのは、九井の幼馴染の乾青宗の事である。
優等生で人気者の九井とは真逆に、所謂不良というやつで素行も態度もとにかく悪い。
いつも眠たそうな顔をしていて、学校には殆ど来ない。
来ても授業の殆どを寝て過ごしているし、偶に顔を見掛けても喧嘩して来たのか傷だらけだった。
登校日数は留年しないようにギリギリな所を来るようにさせている、とは九井の談だ。
そんな乾は女子からは怖がられ、とある事情から恨みも買っている。
男子達の方は案外話してみると弟感があって可愛げもあるし悪い奴では無いと評価していた。
そんな乾青宗は、学校一のモテ男である九井一の恋人なのだ。
噂等では無く、九井本人がそう公言しているのである。
九井一も乾青宗も男であるが、本人達があまりにも普通にイチャつくので今更誰もそこは気にしては居ない。
確かに、乾は綺麗な顔はしている。入学当初は金髪の王子様みたいなイケメンが居ると少しの間話題にもなった。
だが口を開けば言葉づかいも態度も悪く、素行も悪い。
直ぐに評判はガタ落ちになった。
そして一部の女子からは、あの完璧イケメンの九井くんが何であんな奴と…なんて具合に反感を買っている。
そんな女子からの反応も当の乾は気にも留めていない、というか恐らくそんな事にはなにも気付いていない。
「いくら幼馴染とはいえ、乾なんて正反対のタイプなのに付き合ってんの不思議だよなぁ」
「なんで?だってイヌピー可愛いだろ。普通に考えてあんな可愛い子と幼馴染になったら当然惚れるだろ。でもちょっとぼんやりしてて抜けてるから放っておけないっていうか。本当は優しくて凄く良い奴なのに勘違いされてよく喧嘩売られちゃうから心配にもなるし…いつも俺の目の届く所に居てほしいんだよな。でもイヌピーの事は縛り付けたくないし…」
「お、おう…」
九井一の唯一の欠点と言えるのがコレである。
乾にベタ惚れしている余り、冷静さを欠いて乾の事になると途端に饒舌になり語り出す。
それはまるでオタクが推しについてマシンガントークをかますが如く。
人は恋をするとこんなに駄目になっちゃうんだなぁ、としみじみと思うクラスメイトであった。
教室に到着すると、案の定九井の机の上も椅子も、ロッカーまでもが煌びやかな包装紙に包まれたチョコが並べ置かれている。
ここまで来ると最早女子達の執念みたいなものを感じて些か恐ろしくなる。
「ほんとモテるよな、お前は」
九井の前の席の男子生徒が呆れ気味に言う。人生一度で良いからモテてみたい、とは思うがそれはそれで大変そうだと思う。
「こんなの、一過性なものだろ。1、2年もすれば俺の事なんて直ぐ忘れるよ」
冷静に淡々とそう言いながら九井は袋にチョコを詰め込んでいく。
それを見兼ねて他のクラスメイト達もビニール袋に入れるのを手伝う。
「しかしこんな大量に貰っても食べ切れないだろうに…」
「手作りの物は捨てるし、後は寄付したりするから。欲しいのあったら後で持ってていいよ」
周囲に女子が居ないのを確認してから、九井の物言いに冷静だなと思う。
「いや、いいよ。なんか貰ったら呪われそう」
女の子からのチョコは欲しい。だけど九井が貰ったチョコに手を出すのは流石に怖い。
言うとおり、手作りなんて何が入ってるのか解らないし変な呪いでも掛かっていそうだと思う。
クラスメイトの一人がそう言うのに九井はなんだ、それと笑った。
笑うと爽やかなイケメンで狡い、と少しだけ思う。
「手作りチョコに昔髪の毛とか爪入ってたり、あと血なのか赤い液体入ってた事もあったから。みんなも差出人の解らない手作りチョコは食べない方がいいよ」
「やめろよぉ、俺まだ女の子に夢見てたいんだから怖い事言うなって…」
「普通の女の子はそこまでしないと思うし大丈夫だよ」
モテ過ぎるって楽な事じゃないんだな…と九井を見て少し考えを改めようかと思う男子生徒たちであった。
昼休みになると九井はクラスメイト達数人に誘われて屋上へと向かった。
この時期の屋上は寒いせいか、人があまり居ない。
バレンタインの日は浮足だった雰囲気と、女子達の獲物を狙うような視線に囲まれるのが怖くてなるべく教室には居たくない。
当の九井はそんなものはまるで気にも留めていない様だったが、他の男子生徒達が耐えられ無いのだ。
屋上に出ると冬とはいえ、日中は日差しが当たる場所は暖かい。
人数はそこまで多くは無いが、ここでもチラホラとあちこちでバレンタインに浮かれてイチャつくカップル達が見える。
「う〜やっぱり俺も彼女欲しいなぁ」
悔しげに呻くクラスメイトに九井はきっと出来るよ、と当たり障りない慰めの言葉を掛けてくる。
学校一のモテる男に言われても、俺の好きだったユイちゃんはお前が好きなんだよ!と絡みたくたるのを堪えた。
「そもそも九井は恋人持ちだし、分類的には俺らの敵だ」
「相手があの乾でも、恋人持ちな時点で敵だ」
「なんだよ、イヌピーは渡さないぞ」
「誰も狙わねーよ!!」
幾ら顔が良くても乾は男だし、身長もデカイし目付きも悪くてちょっと怖い。話せば悪い奴だしでは無いが。
以前にいつから乾との馴れ初めを聞いてしまった奴が居たが、それはもう口の挟む隙の無い弾丸トークだった。
要約すると、小学校低学年の時に出会い、あまりの可愛さに一目惚れをした。最初は女の子だと思っていたらしい。
男だと解って一度は諦めようと思ったが、何をしでかすか解らないエキセントリックな性格とぼんやりした所が放っておけなくてやっぱり好きだと吹っ切れた。
そこからはあの手この手で外堀を固め、親や乾家の人間達も味方につけ今では家同士公認の仲らしい。
成人したら養子縁組しようか外国で結婚しようかまで考えている…らしい。
頭の良い奴が恋に狂うとヤバイんだな、と少しばかり乾に同情したくなった。
九井と乾と同じ小学校だった奴に小学校時代の写真を見せて貰ったが、確かに乾は可愛いかった。
今みたいにデカく無いしちっちゃくて人形みたいで、これなら女の子と間違えて惚れるのも解らないでもない。
だが現実、今の乾はしっかりと男にしか見えない。
それでも九井は乾一筋、乾に夢中状態なのだ。
恋は盲目とはいったものだ。
「乾ってめちゃくちゃ可愛いお姉ちゃん居るんじゃ無かったっけ?」
「いるけど…確かに赤音さんは世界一可愛い女の人だけど…」
「同じ小学校だった奴が乾と顔そっくりだって」
「に、似てるけど…でも俺はイヌピーがちゃんと好きだし!」
「急に歯切れ悪いな」
「さては九井、乾の姉ちゃん好きだった事あんだろ〜」
「あ、あれは歳上の女性に憧れる年頃だったていうか!別にあの顔に弱いってわけじゃねーし!」
いつもはどこか大人びた落ち着いた印象のある九井がここまで焦るのはなかなかに珍しい。
もしかしてその乾姉と何かあったのだろうかと、余計に勘繰りたくなってしまう。
「九井って頭良い筈なのに、乾の事になると大分馬鹿だよな」
「恋は人を狂わせるもんなんだな…」
「お前ら俺に失礼だな。俺は正常だし、イヌピーは世界一可愛い。それが常識だろ」
「そんな常識初耳だよ…」
「乾の姉ちゃん見てみたいなぁ」
「赤音さんはもう婚約者居るからな!」
「それで失恋して乾に乗り換えたのか?」
「そんなんじゃねぇ!デリケートな部分に触れるな…」
そんな事をワイワイ話しながら持ってきた弁当をそれぞれ食べる平和な昼食風景だった。
だがそれは一人の男が現れた事によって打ち破られる事になる。
「あ、ココ」
屋上のドアが開いてその直ぐ近くに座っていた九井達のグループに誰かが近付いてきた。
ココ、とは九井のあだ名である。クラスメイト達は凄く嫌な予感がした。
「イヌピー、今来たの?」
さっきまでとは違い九井の声が弾んでいる。心無しかその表情も明るくなった。
振り向けば制服を着崩して、寝癖のついた金色の髪を揺らした男が立っている。
噂の乾青宗である。
「あー、2限目くらいから居たけど、保健室で寝てた。お腹空いたからパン食おうと思って」
欠伸混じりにそう言う乾は長身で薄い体を猫背に丸めている。
気怠げなのは相変わらずであったが、九井が隣に座るようそこに居たクラスメイトに無理矢理スペースを空けさせている。
「来てたなら言ってよ。俺も保健室行ったのに」
「ココまでサボったら駄目だろ。お前頭いいんだから授業出ろよ」
「いや、乾も授業出ろよ」
「だって眠かったから」
「眠かったんなら仕方ないよなぁ」
クラスメイトの突っ込みも九井のデレデレの肯定で台無しだった。
九井は清潔感のある爽やかなイケメンだとしたら、乾は西洋的な日本人離れしたイケメンだった。
二人が並ぶとそれだけで雑誌の撮影風景みたいになるし、女子達も目の保養だと喜ぶ。
寝癖とシーツの跡が顔に着いていてもイケメンはイケメンだから凄いなと思う。
「あ、イヌピーそんなんじゃ腹いっぱいになんないだろ。俺の弁当分けてやるから食べなよ」
「いやいいよ、ココの無くなるぞ」
「イヌピーも食べると思って多めに作って貰ってるから。ほら、あーん」
九井が自分の箸で弁当のおかずの中から玉子焼きをつまみ上げると、乾の口に運ぶ。
それを乾も素直に口を開けて食べている。
もぐもぐと頬を膨らませる様はハムスターぽい。
九井はそれを愛おしそうに見ながら指で口元を拭ってやっている。
目の前でイチャつきだしたバカップルにクソッと妬みの目を向けながら周囲を見渡しても、そこにはバレンタインムードのカップルだらけ。
「なぁ、ココ。チョコくれねーの」
唐突に会話の流れ等気にしない乾はそう言い出した。
それに対し九井の方もキョトンとした顔をしている。
それを見ていたクラスメイト達はまたもや嫌な予感を覚える。
「今日って好きな奴にチョコあげる日なんだろ?赤音が彼氏にチョコあげるって張り切ってたし」
九井が自分に対してチョコをくれるとまるで疑っていない、キラキラとした宝石のような目が見つめている。
自分の方から九井にあげようと言う発想は無いのだろうか。
そういえば去年も九井は乾からチョコを貰え無かったと言っていた。
その割に次の日とても機嫌が良かったが、何があったのかはあまり聞きたくない。
乾が九井に凭れて気怠そうに腰を擦っていたのも考えたくない。
「今日学校でイヌピーに会えるかわかんなかったから、家にある。後で渡すな」
そう言われて乾は特に不機嫌になるでもなく、相変わらず表情筋は動かないままで頷いた。
それにしてもいつにも増して眠たそうな乾の目はほぼ半目状態である。
「乾、知ってるか。九井朝から下駄箱にも机にもチョコいっぱい詰め込まれてんの。やっぱモテる奴は違うよな。俺なんて母ちゃんからしか貰えないのに…」
「そうか、ココは格好良いしモテるのは当たり前だから比べても仕方ないと思うぞ」
「クソッこのバカップルめ!」
ちょっとぐらい揶揄ってやろうという気持ちで今朝の状況を乾に言ってみたが、自分の彼氏はモテて当然だと返されてしまった。
返り討ちにあったように悔しげに奥歯を噛み締めるクラスメイトである。
「今年は俺からココにチョコやる。去年くれたし」
「え、マジで!?イヌピーがくれるの!!」
そんなの思ってもみなかったというように、九井のテンションが上がる。
クラスメイト達もまさかあのズボラな乾がバレンタインだとか気にするなんて…と意外に思う。
「んーと、どこだっけ…あった、これ」
ガサゴソと乾が制服のブレザーのポケットを手探りで漁り取り出したのは、コンビニでレジの横なんかに並べられてる20円くらいのチョコだ。
バレンタイン用のチョコですらない、極ありふれたそれがまさか九井へのバレンタインのチョコだというのか。
流石乾、雑だなとクラスメイト達は思った。
「イヌピー、これわざわざ買ってくれたの?コンビニで?俺の事思い出してくれたのか。嬉しい」
それでも九井は嬉しいらしい。恋とは何と恐ろしきものだ。
学校一のモテ男も好きな奴からのショボいチョコでこんなに喜ぶのだから。
喜んでいる九井を前に乾はあげると言った小さなチョコの包み紙を自分の手で開いていく。
それから取り出したチョコを自分の口に入れるものだから、一同自分で食べんのかよ!と内心で突っ込みを入れた。
だが次の瞬間、目の前では信じられない光景が繰り広げられたのだ。
「え、イヌピー…」
「ん」
口に挟んだチョコをそのまま直接九井の唇へと押し付けた。
驚く九井の唇に四角いチョコの角が触れた。
赤い舌先がチョコを口内へ押し込むと、最後にペロっと舐めて離れていった。
「美味いか、ココ」
何でも無いように平坦な声で言いながら自分の唇についたチョコを舐めとる。
普段の乾はガサツで男っぽくて、不良という印象なのにヤケにその仕種は艶かしく見えた。
深くにもドキっとしてしまった事にクラスメイト達はぶんぶん被りを振ってそんなわけ無い、と否定する。
「い、イヌピー…」
しかし九井の方はそうは行かなかったらしい。
こんな顔見た事が無いというくらい真っ赤になって口元を押さえ狼狽えている。
モテる男でも好きな相手からのふいの接触には弱かったようだ。
「はは、ココ顔真っ赤だ。」
いつもぼんやりとした無表情の乾はそれを見て可笑しそうに笑う。笑うとこんな幼い顔になるのだなとクラスメイト達は思った。
九井は赤い顔のままだけどちゃっかり乾から口移しされたチョコを味わっている。
「昨日の夜、寝かせてくれなかった仕返し」
九井にだけ聞こえるぐらの声量で耳元で囁く。
バッと振り向いた時には乾は立ち上がっていた。
どこに行くのだとクラスメイトに聞かれて、保健室と答える。
校舎に繋がるドアを開けると振り返る事もなくそのまま立ち去って行ってしまった。
「…俺、次の授業体調不良で休むわ」
そう言うと九井も弁当箱を手早く仕舞い、後を追うように屋上を出て行ってしまった。
残されたクラスメイト達は互いに顔を見合わせて、保健室で行われる不純同性行為について口を重たく閉した。
そして一同は思うのだった。
(やっぱバレンタインなんて嫌いだ…)
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