互いに仕事を終え店に集えばカウンター席に隣り合わせ、あれが食べたい、これが食べたいと、次々料理を決めていく。もちろん互いの好みは把握している。十何年も共に過ごし、その年月の中で幾度となく一緒に食事をしたのだから。
サニーはノンアルコールを、浮奇はカクテルをオーダーし、ぽつぽつと近況報告を重ねていく中、浮奇の端末が共通の友人からの年末の集まりの誘いを受信した。それに目を通しサニーにも内容を確認させようとそちらへ身体を傾けた瞬間、店内の照明が落ち暗闇に包まれ、突然の事に身動ぎひとつ出来ず固まる浮奇の唇に、そっと何かが触れた。
少しざらりとした、乾いた柔らかな熱。目の下を擽る毛先。僅かに掠めた、鼻先。
直ぐ離れたそれに、なに、と混乱する浮奇の唇を、ふたたびあたたかいものが覆う。先程より少し長く触れたそれは微かに啄むように動き、ちゅ、と微かな音を響かせ離れていく。
その音を聞いた瞬間一気に心臓が爆発しそうなほど跳ね上がり、薄く開いた唇から息を吸い込んだと同時に奥から煌々としたロウソクが立てられたケーキを運んで来た店員の声に我を取り戻すも、既に唇に触れた温もりは離れていた。
サプライズに盛り上がる隣のテーブルの男女をぼんやりと眺めるサニーを見上げた後、きょろきょろと周りを見渡す。当然ながら周りに他人の姿があるわけもなく、まさか盛大な勘違いか何かかと自分を疑い始めた浮奇の耳に「どこ見てんの。俺以外いないだろ」という呆れた声音が届き、また大きく心臓が暴れた。
なぜ、どうして、と浮かぶ疑問は浮奇の口から出る事はなく、隣の騒がしさに眉根を寄せたサニーが「出よう」と告げて立ち上がるのに続き会計を済ませる。
店から一歩出ると、アルコールで程良く火照った浮奇の身体を包み込む冷気にコートの前をかき合わせ、マフラーを巻き直しつつ別れを告げるべく隣に立つ長身の彼を見上げた瞬間、じっと探る様に見つめる瞳に射抜かれてしまい、身動きが取れなくなる。
「なんでキスしたかとか、訊かないの」
「…サニーにしては、あんまり面白くない冗談だったね」
「なに、逃げてんの?」
少し苛立ち混じりの問いを聞いた瞬間、浮奇の口元に微かに浮かんでいた笑みが消え去る。
「冗談以外の何だって言うの?ノンケの男が突然男にキスするなんて…しかも、俺に」
「浮奇だからしたんだよ。なんかもう、いいかなって思ったから」
「はぁ?何がいいって?何なの、俺と縁切りたいとかそういう話?」
「そんなわけ無いだろ!浮奇と付き合いたいんだよ!…この十何年の間ずっと見てきたから確信持って言うけど、浮奇さ、学生の頃から俺の事好きだったでしょ。綺麗で可愛くて、負けず嫌いで、真っ直ぐで、たまに死ぬほど格好良い。そんな人のそばに居て惚れない訳がないのに、男だし、ってたったそれだけの事なのになんか逃げてて…でももう、やめる。ちゃんと向き合うって決めた。…浮奇が好きだから、恋人になりたい」
次第にヒートアップし、叩きつけるように互いの声のボリュームもあがっていく中、不意の告白を受け頭に血が登っていた浮奇も思わずぽかんとしてしまう。
そんな浮奇の少しの変化すら見逃すまいと射抜く様に見つめ、浮奇の冷えた手を取りほっそりとした指先をあたためようと擦るサニーに、呆然とした、それでいて何処か冷めた声音で問いが投げられる。
「…そう、バレてたんだ……でも、なんで今更?」
「あー…なんて言うか、最近浮奇色んな人と出掛けてるだろ。なんか、そのうちの誰かがいつか彼氏になったりするのかもなって思ったら、すっごいやだなーって想像の相手に嫉妬してて…それに、なんか最近俺に向ける視線が少し、…変わった?っていうか…」
「あぁ……サニーの洞察力って本当にすごいね?最近やっと本気で諦めて、他の人と一緒になる事を考え始めてたからじゃない」
「は?いや、なんで諦めるの?俺の事もう好きじゃないってこと?」
悪気なく放たれた、浮奇が苦しみながら積み重ねてきた数十年を踏みにじるような、好かれる人間特有の傲慢さ。
サニーは学生時代からモテていて、沢山の人から秋波を送られていた。それにいち早く気付き適切な距離を取ったり、時にはそれを上手く利用する事すらあって、好かれることに慣れていた。昔から変わらないその言動に思わず笑ってしまうと、なぜ笑うのかと言いたげに顰められた顔を見上げ、呆れた顔を返してやる。
「普通、見込みがない不毛な恋なんてそのうち諦めるでしょ。それに、俺サニーとどうにかなろうなんて思った事ないし。なのにずるずる抱え込んでた、重苦しくて、歪で、どうしようもないものを、最近やっと捨てたの。なのに…なんでかなぁ」
「そんな大事なもの、勝手に捨てないでくれる?もし浮奇が本当に捨てたいなら、俺が拾うから。今度は俺が大事に抱えるから、だから、もう一回ちゃんと俺の事好きになって。他の男なんか許さないから」
浮奇が悪い事をしたと責めるような言葉。傲慢で、我儘で、勝手すぎる主張なのに、浮奇を見つめる瞳は懇願を灯し、僅かに情けなく眉尻も下がっている。
そんな姿に耐えきれず肩を震わせ大きく笑うと、道行く人がその声にびくりと肩を揺らし訝しげに振り返る。そんな視線も気にすること無く、一頻り笑い終えサニーを眩しげに見る細められた双眸が、笑い過ぎか寒さ故か、いつもより潤んでいるように見えた。
「俺さ、学生の頃からずっと自分にありえないって言い聞かせ続けてきて、最近本当に諦めつけた所なんだよね。この想いを受け入れてもらえる日なんて絶対に無いし、サニーが俺を好きになるなんて以ての外だ、って。…でもね、サニーを好きなのをやめた事は、一度だって無いんだよ」