暗く広い舞台に、光が灯る。
スポットライトに照らされ、金管、木棺、打楽器、弦楽器が、色を取り戻したかのように輝き始める。
綺麗に整列する楽器と奏者。
踊る様に振るわれる指揮棒に合わせ、完璧な旋律を奏でられる。
心臓を握りつぶす程の音の重層。
拡張される音響。
鼓膜だけでなく、脳を震わせ、全身の肌が粟立つ。
雑多なものは無く、過不足無く、全てが結び付き、美に昇華する。
視覚、聴覚、感覚を奪い取る圧巻の光景。
聴くほどに自分は音楽を愛していると確信し、楽器に触れる度に再認識する。
その様子に両親は最前列の特等席を宛がい、有名な教師達を呼び寄せた。
ピアノ、ヴァイオリン、トランペット、ホルン、クラリネット、フルート……多くの楽器に触れさせてもらった。
どれも上達が早いと褒められたが、手に馴染む楽器は見つからない。
楽しいが、面白くない。
基礎と理論を学び、多様なジャンルの曲を聴き、地道な練習こそが、音楽の上達への近道だ。
人々が継承し、学習と錬磨が繰り返され、蓄積され続ける技術と歴史は尊敬に値する。
けれど用意された席へ座る事に、誰かが決めた曲と楽器しか演奏できない事に、違和を感じた。
常に飢えているかのように、何かが足りない。
正常に呼吸しているのに、息苦しい。
海に浮かんだ浮き輪の様に、潮と風にただ流される。
生きている実感が無い。
このまま五体を糸で繋がれ、ご機嫌取りを続けるなんて、ごめんだ。
ある日の夏。別荘で母親の選んだ楽曲を聞かされている最中、ふと窓の外を見た。
雲一つない青空で、猛禽類が小鳥を追いかけている。
高度な飛行能力で獲物を追跡する猛禽類。鋭い鉤爪と嘴を華麗に掻い潜る小鳥。
生きるか死ぬかをせめぎ合いに、目が奪われた。
その一瞬に全霊を賭ける姿に、心惹かれた。
はじめて音楽の演奏を聞いた時のように、胸が大きく高鳴った。
星が死ぬ瞬間に最も光り輝く。
生物もまた、命を賭ける瞬間に強い光を放つと知った。
羨ましいと思った。
残念ながら、様子を見に来た母に注意され、二匹の結末を見届けられなかったが、あの光景を今も鮮明に覚えている。
やがてあの日、あの時の感情を表現するには、一つの楽器の音だけでは限界があると思い始めた。
けれど、指揮棒を振るう側ではなく、奏者でありたい。
親の目を盗み、自分に見合う楽器を探す中、インターネットの需要が高まり、動画配信者と視聴者が増加する。
情報が飛び交う世界の中、注目を集め出した音楽制作ソフトを手に取った。
直ぐに夢中になる。
扱い方が全く違うからこそ、好奇心がくすぐられる。
試行錯誤を重ねながら慣れてしまえば、多様な楽器を1人で使いこなし、自分の曲が作り出せる。
全てを取り込み、思う存分に操れる。
作り出す苦しさや停滞による苛立ちはあるが、それの比にならない程に可能性に幅に魅せられる。
時間を忘れる程に、面白い。
親の作った光から抜け出し、走り続ける様に満たされるまで音楽を追求する。
巻き起こる拍手も、歓声も、ただの通過点に過ぎず、全てを糧に自分の曲を作り上げる。
壇上の光はただ1つ。
このまま突き進み続け、自分だけの景色に至れるような気さえした。
やがて、物足りなさを感じるようになった。
まるで、親の顔色ばかり窺う教師に教わっている時に似たつまらなさ。
刺激が足りない。
ライブも繰り返され過ぎて、全てが日常に足を踏み入れ始めている。
これは挫折だ。
即座に終わらせ、次に進まなくてはいけない。
けれど現状を顧みれば、1人では変われないのは明らか。
単独である必要性は、何処にも無い。
あの鳥達の様に、一瞬に全てを賭け、刺激し合える誰かが必要だ。
同レベルの相手を探し始める。
最初に目をつけたのは、イチヤだった。
Squid Squadのリーダーのギター・ボーカル。
あの才能は天性のものであり、一等星の輝きを放っている。
津波のように全てを飲み込み、大きな壁を難なく打ち砕き、全ての色を塗り替え、新たな音楽の時代を開拓したオリジン。
手放しに尊敬できる存在だ。
作り出される曲に感銘を受け、頭の中からアイデアが湧き出す程に多くの刺激を貰った。
だからこそ今のあいつには、心底ガッカリしている。
変化がない。
何も進化しない。
相変わらず。
それ所か、今は緩さすら感じられる。
情報をせき止め、濁り始めた川の様な曲。
大衆の潮に流され、渦に飲まれ、湿気るばかりの音。
才能の殻を破れず、腐っていく。
こいつは、潰れたな。
過去の栄光に縋り、小さな箱庭の王様気取りで終わりそうだ。
だから、辞めた。
あの状況で声を掛けたって、音楽が成立しない。
幾ら刺激したって、生ぬるい曲になるのが落ち。
なあなあで終わる。絶対に嫌だ。
そんなイチヤと相反するように、ベースの音が鋭さを増していく。
はじめて聴いた時から、良い音とは思っていた。
最近の看板曲を演奏するライブ動画からでも、多くが聞き取れる。
ベースの弦から弾き出される音にブレが少なく、不動の彼を特徴づけている様に聞こえるが、時折挑戦的になる。イチヤに揺さぶりをかける音が幾つも聴こえるのに、勉強不足のあいつは聞き取れていない。
声もまた上達している。大きく張り上げる際、叫ぶように声を潰しかねない発声をしそうになる未熟なイチヤとは対照的だ。メインパートを邪魔せず、ここぞと言う時の声に音量の上げ幅に伸びがあり、安定感から技術の高さが伺える。
シンセサイザーもドラムも相変わらずの中、最年長の彼一人だけ進んでいる。
時々聴こえる牙をちらつかせる音が、燻っているのを伝えてくる。
今の状況に満足していない。
次に進みたくて仕方がない。
けれど、バンドメンバーの音は現状維持で満足している。
メンバーに言っても、変化が無いのだろうか。
何度言っても変わらないから、諦めているのか。
それとも、言っていない?
どれにしても、勿体ない。
その我慢に限界が達し、風船が破裂した時、ベースの彼は一体どんな行動を見せるのか気になった。
バンドの解散はあり得るとして、そのまま何処かに行かれては困る。
面白い人が居なくなるのは、つまらない。
声を掛けようと思った矢先に、その機会を手に入れる。
海外ツアーの途中、ガンガゼ野外音楽堂でライブを終えたその夜。
ポストSquid Squadと一部で騒がれ始めたWet Floorの曲を聞きながら、ホテルに戻る前に潮風香る町中で散歩を楽しんでいた。
SNSで集まった彼らのレベルは総じて高い。鋭くひねくれ、調を転じる中にも、意識の高さが伺える。ハイカラスクエアへとナワバリバトルの拠点が移動する頃には、彼等を中心に〈若者の音楽〉が形成されるのが容易に想像できる。
時代は動き続ける。挫折する暇は無いと再認識させられる中、足が止まった。
雑多な声と足音が無に帰し、人の波が白黒に見えるような特異な感覚。
集団に馴染めない存在が1人。
ベーシスト・イッカンを見つけた。
この機を逃せば二度と会えないと直感する。
欲しいものを目の前にして、涎を垂らしながら我慢をするペットではない。
都合が良すぎて気持ちの悪い展開でも、構うものか。
即座に追いかけ、自然な形で声を掛けた。
特に驚かず、こちらが誰か知っている様子で、相対する。
淡白な挨拶からの駄目出しに思わず、笑いそうになった。
演奏を聴いただけで、こちらの挫折が看破されている。
だからこちらも、燻る相手を挑発した。
次の瞬間には、言葉はぶつかり、意見は殴り合う。
揚げ足だろうが一言一句聞き逃さず、応戦する。
やっぱり面白い人だ。
有名俳優の息子。世間の奴らはまず親の名前を出すが、この人は俺の音楽についてしか口にしない。
音楽以外に、興味が無い。
ただ一点に命を懸ける情熱。
一歩も譲らず、一瞬の隙を突き、喉を嚙み千切りそうな闘争心。
積み上げてきた誇りに向上心。
表情が希薄なくせに、ギラギラとした眼をしている。
多くの著名のアーティストと対面したが、ここまでの人を見るのは初めてだ。
なんだ。イチヤは月だったのか。
能力を引き出し、あいつを輝かせていたのはこの人。
才能の差ではなく、得意不得意の領分の違い。
津波をいなし続けた人なだけあって、他とは一線を画す。
俺だったらこの人を活かせる。なんて、思わない。
それよりも牙を隠し続けるこの人が、どんな曲を作るのか知りたい。
しょうもなく、生ぬるい曲ではないと聞いてもいないのに、確信できる。
この人と、正面から対抗したい。殺し合いたい。
相手を殺すただ一点に命を懸け、全身全霊を持って応え、互いに喰らい付くその瞬間に昇華される音楽は、なによりも強い輝きを放つはずだ。
だから、組まないかと誘った。
案の定、答えを貰えなかった。
一瞬動揺しているのが見えたが、気づかないふりをした。
なにより、あっちはバンドの予定が詰まっている。燻る理由が解決する可能性だってまだ残っている。
こっちもツアーの途中。空きが出来るのは、早くて来年だ。
執着する気なんてない。残念がる暇なんてない。
それよりも、今の感情を曲に書き出したい。
日常に亀裂が入り、おかしな音を立てている。
絶賛の嵐に積もり続けるゴミが、一気に燃えてなくなった。
失敗に終わっても良いと思えるほどに、良い刺激を貰えた。
連絡を交換できるだけで御の字。
機会はこれから作れる。
海外ツアーが終わって間もなく、世間はSquid Squadの話題で持ち切りになった。
突然の活動休止。
リーダーはイチヤだから、そういう結果になるか。
事実以外はどうでもいい。
書き出した曲が完成間近まで差し掛かった時、彼から連絡が来た。
音楽に強い熱意を持つ人だ。都合の良く貝殻を代える馬鹿ではない。
ここで答えを聞いてしまっても構わないが、それではつまらない。
そう思っていたら、提案をされた。
面白い。本当に、この人は面白いな。
道も違えたのに、イチヤ達を信じているなんて。
泥沼から這い上がり、また音楽を続けるって確信している。
だから、腐る直前の彼等にウジ虫が集らない様に、撒餌を蒔いて釣り針を垂らす。
悪役を演じるのも、いいじゃない?
期待に応えてくれるなら、それに協力するのも悪くはない。
こちらへのリスクなんて、天秤にかける程の価値は無い。
石を投げる代わりに叫ぶしかない奴らの雑音に、時間を割く必要がどこにある。
こっちの答えは決まっている。
でも、あの人とは直接対面した方が、刺激的で楽しい。なので、落ち合う約束をした。
撒餌に群がるメディアと観客が釣り針に掛かって、踊っている。
予想通り過ぎて、つまらない。ダサい。
どこにも〈悪役〉がいないって分かった日には、奴らはどんな顔をするのか。ほんの少し気になるが、その頃にはこちらが忘れているだろう。
既に俺達は次の舞台へ上がっている。
新しいスポットライトに照らされている。