お風呂に入る赤黒恋人が多忙過ぎて心配なのですが。
そう某知恵袋に相談したくなるくらい、赤司は多忙を極めていた。平日は朝早くから夜遅くまで仕事をしているし、休日出勤も多い。たまの休みでも仕事関連の電話が鳴れば取るし、対応もしてしまう。社長が忙しいのは仕方がないといえども心配だった。
だって彼はどんなに忙しくても黒子のいる家に帰ってくるし、食事だってなるべく一緒に食べたがる。黒子の前ではいつも疲れた顔一つ見せず、むしろ黒子の作家としての仕事はどうかと気遣ってくれる。忙しい赤司のためにも、時間の融通がきく黒子のほうがなるべく家事や料理をしようと思っているけれど、人には向き不向きがあるのか一緒に暮らし始めてしばらく経つのになかなか上達しない。逆に赤司は、たまの休みにはあっという間に掃除洗濯をし、お昼ご飯にささっとパスタやオムライスなんかを作る。しかもそれがとても美味しいのだから不公平だ。黒子はいまだにゆで卵と、レタスをちぎって並べるサラダくらいしかまともに作れないというのに。
忙し過ぎる恋人のために、せめて何か出来ることはないだろうか。黒子にも出来るような、そんなに難しくないこと。執筆の休憩がてらネットで検索をかけてみる。『ベッドの中で恋人を癒すテク♡』はとりあえず置いておいて…。他に何かないだろうかとスクロールしていたら、一つ、これなら出来そうだというものを発見した。
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「赤司くん、今日は一緒にお風呂に入りましょう」
夕食を食べ終え、食器を片付けてから、ソファに座ってお茶を飲む赤司に黒子は言った。赤司は珍しく驚いたような顔をして、ぱちりと大きく瞬きをする。
「黒子がそう言うなんて、珍しいね」
「たまには一緒に入りたくて。ダメですか?」
「もちろん良いよ。入ろ」
嬉しそうに顔を緩める赤司を見て、黒子もほっとひと安心する。お風呂掃除も終えたし、いつもより少しぬるめのお湯をためて、リラックス効果のある入浴剤も準備した。恋人同士…。ではあるものの恥ずかしさはまだ残るので、お湯の中が見えない、乳白色のものである。
「今日はボクがシャンプーしてあげます」
先に赤司に湯船に浸かってもらって、黒子は腰にタオルを巻きバスチェアに腰掛ける。ぴちゃん、とお湯が揺れる音がして、赤司はくすくすと笑いながら身体の向きを変えた。
「急にどうしたんだ」
そう言いながらも、赤司は黒子に身を委ねるようにコテンと頭をバスタブの縁に乗せた。シャワーコックを捻り、温度を確認して赤司の髪を濡らす。
「熱くないですか」
「うん。大丈夫」
髪全体を濡らして、シャンプーのボトルをプッシュする。身の回りのことに特に頓着のない黒子は、赤司が買ってきたシャンプーを一緒に使わせてもらっていた。質の良し悪しはいまいちよくわからないが、このシャンプーは彼によく似合う香りをしている。甘すぎず、爽やかだけど高貴な香り。入浴剤の匂いと混ざって、浴室が一気に華やかな香りになった。シャンプーを泡立てて、そっと赤司の頭に指を差し込む。
「かゆいところはないですか」
「はい。大丈夫です」
美容院で聞かれるお決まりの台詞を言ってみる。赤司は鼻歌でも歌いそうなくらいご機嫌だ。喜んでもらえたならよかった。少しでも日頃の疲れが取れるように、ぐぐ、と指の腹で地肌をほぐす。赤い髪が白い泡に覆われて、まるで練乳いちごみたいな色合いになった。
「ネットでちょっと調べてみたんです。マッサージのやり方」
「そうなんだ」
「赤司くん、毎日忙しいから…。力加減大丈夫ですか?痛くないです?」
「ん、大丈夫…気持ちいいよ」
耳の下から首の後ろにかけても指で少しずつ押してゆく。それから、こめかみから頭頂部に向けて押し上げながらほぐしていった。素人がネット情報を見ただけのやり方だけど、痛がっていないならまあ大丈夫だろう。少し力を入れて、手のひらで側頭部もぐりぐりとほぐす。
「何かもっと、ボクにも出来ることがあれば良いんですけど、他に思いつかなくて…」
「ううん。嬉しいよ。ありがとう」
「頑張ってる赤司くんもかっこいいですけど、頑張り過ぎないでくださいね。キミはすぐ無茶をするから心配です」
「うん…」
ひと通りマッサージを終えて、シャンプーの泡をシャワーで流す。次はトリートメントのボトルをプッシュして、手のひらに馴染ませて毛先に揉み込んだ。それからもう一度、頭全体を指の腹で押してゆく。
「それにしても、赤司くんって髪の毛つやつやですね…」
「……」
「赤司くん?」
さっきまであんなに機嫌良さそうにしていた赤司が急に静かになってしまった。どうしたんだ、やっぱり痛かったのかと心配になって後ろからそっと覗き込む。
バスタブの縁に頭を乗せた赤司は、目を閉じて、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。
「えっ…あかしくん…」
まさか。黒子は今までも何度かお風呂で寝落ちしたことはあるけれど、あの赤司が。まさかの寝落ち。驚いて手が止まってしまった。
トリートメントを流そうとシャワーを当てても、赤司はぴくりとも動かず目を閉じたままだった。起こすのも申し訳ないと思いつつ、ひかえめに、「赤司くん、赤司くん」と身体を揺する。それでも起きない。どれだけ疲れていたんだろう。
「困りましたね…」
黒子が風呂場で寝落ちした時は赤司がベッドまで運んでくれたけれど、あいにく黒子には赤司を持ち上げる力がない。どうしようか。彼のことだからさすがに一晩このまま眠ることはないだろうし、しばらく様子を見ようか。そう思って、黒子も自分のシャンプーを済ませ身体を洗い、バスタブの中へと足をつける。
「失礼しまーす…」
ちゃぽん、と乳白色のお湯がたゆたう。男二人だとさすがに狭く、足を小さく折って空いたスペースに身体を押し込んだ。お湯が溢れて、入浴剤の香りが立ちこめる。
うつらうつらと船を漕ぐ赤司のこめかみに、まだ少し泡が残っていた。指で拭っても起きることはない。
彼の寝顔を見ることが出来る人は、この世界にどれくらいいるんだろう、と思った。常に気を張っている赤司が少しでもリラックス出来たなら、それで良いかと結論づける。
「いつもお疲れさまです、赤司くん」
濡れた唇にちゅっとキスをする。軽くしたつもりが、浴室内でリップ音が思った以上に響いてしまった。恥ずかしいけれど、それでも赤司は目覚めない。
次第に黒子まで眠くなってきた。赤司の胸に背中を預けて、うとうとと目を閉じる。ぬるめのお湯が心地良かった。
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「んぅ…。…はっ!!」
目が覚めて飛び起きるとそこはいつものベッドの上で、髪も乾かされ、パジャマも綺麗に着せられている。
「あれ?ボク…」
「ああ、起きた?おはよう。と言ってももう寝る時間だけど」
「赤司くん!」
肩にタオルを掛けたまま、赤司はペットボトルの水を飲んでいた。時計を見ればもうすぐ日付が変わる時間で、一緒にお風呂に入った時間から既に二時間以上は経っている。どういうことだ。空白の二時間に、一体何が…。
「風呂で寝落ちなんて初めてした」
「やっぱり!赤司くん寝てましたよね!?」
「黒子もね。二人で寝てたから目が覚めて血の気が引いたよ。二人して溺れ死ななくてよかった」
「うっ…」
想像して黒子も顔が青くなる。黒子だけならともかく、あの赤司征十郎が、同性の恋人とお風呂で寝落ちして溺死なんて笑えない。
「まあすぐ起きたから良かったけど…。オレも気が抜けてたな。黒子がすごく気持ちいいサービスしてくれたから」
「言い方…」
「ふふっ」
タオルを洗濯かごに入れて、赤司もベッドの中に潜り込んできた。二人で寝てもまだ余裕のあるサイズのベッドだけれど、でも一緒に眠る時はなぜかぴったりくっついて眠る。弱冷房の空調が、少し火照ってしまった身体にちょうど良かった。
「明日も一緒に入ろう」
「良いですよ」
「というか、これからは入れる時は毎日一緒に入ろう。オレも黒子のシャンプーしてあげたい」
「赤司くんのシャンプーも気持ちよさそうですね。ぜひお願いします」
電気を消して、ぴったりくっついて、こそこそおしゃべりしながら眠くなったら眠る。黒子があくびをすれば、それが移ったように赤司もあくびをした。赤司くんもあくびとかするんだ、と思ったのは、ずいぶん前のことである。
眠る間際に、明日からもがんばれそうだ、と赤司がぽつりと呟いた。それなら良かった。夢うつつで手を伸ばし、赤司の頭をよしよしと撫でてあげる。二人は同じシャンプーの匂いがするし、同じ入浴剤の匂いがした。