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    airinpeche

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    藍燐 うれしきもの

    #藍燐
    bluePhosphorus

     共有スペースから一枚の戸で隔たれた異空間。映像と音響に浸る為の防音設備。逢引には恰好のシチュエーションだというのに、巨大な液晶は平凡なバラエティを映している。内容は、出演者の幼少期はどうだっただの、今の道に進むきっかけはいつ得ただの。
     ありきたりで、つまりは需要の褪せない話題だ。隣の少年も大きな目をきらきらさせて食いついている。誰の言葉にも真剣に耳を傾けているけれど、特に、つい先日引退したアイドルがなにか喋るたび、なにくれと掠れた声で感嘆符を発していた。
     場面変わっておたよりコーナー。活力をもらうモノはなんですか。食品、映画、趣味への没頭に、ペットや友人との素朴な時間。銘々が答えを上げるなか、目当てのアイドルがとある個人店を挙げる。
    「あ、うちと近い! 偶然会っちゃったらどうしよォ!? ううん、そんなストーカーみたいなまね、しちゃだめだけどっ!」
     騒ぎながら身振りをも大きくするせいで、燐音のもたれきったソファまでぎしぎし揺れている。
     少し古いトークバラエティは、燐音にも見覚えのあるセットだった。今の司会者へ交代する以前のものを、ニキと食事時に見た記憶がある。その頃の放送回だ。引退に嘆くのを見かねた例のプロデューサーが、番組毎に彼の出演回をまとめたデモテープを何本か借し出してくれたのだとか。
     贔屓への職権濫用、或いは期待のアイドルへ、今後の為の学びとして。それらの名目で託されているだろうことは、恐らくいまの藍良の頭にはない。あの、プロデューサーを普段から頼りにしているらしいのは聞くけれど、プライベートでまで甘えているとは。あちらは、仕事の延長だろうけれど。藍良の、他人との境界線は、時々心配になほど曖昧になる。
    「MCさんとの相性もいいなァ〜、ううっ、このひととこはくっちの絡みも見てみたかった!」
    「俺っちは〜?」
    「燐音先輩は、うーん。今のMCさんとのがいいかも? だいぶ番組の毛色も変わってるし、この頃は合わなさそう」
    「へ〜。蛇ちゃんにオファーねだってみっかなァ」
     つまらない。内容には燐音も興味を向けている。参考にするまでもないというのではなく、すぐ隣にいるというのに、藍良の目がこちらを向かないことがつまらない。当初の目的を果たせていないのもあって、余計に退屈に思ってしまう。
     一人で過ごすところに踏み込んだのは燐音だが、せめてもう少し会話をしたい。今日は見守るよりもそういう気分なのだ。だからわざわざ探してみたのだけど、藍良がそんなのを知る由もなく。下品であるのを理解しつつ、プラスチックのストローをぎりりと噛み潰した。穴の開いたそれを軽くなった紙パックに押し込んで、ごみ箱に放り込む。藍良の部屋から持ち込んだ飲食物は、燐音のぶんばかりが減っている。
     藍良は、一体いつからシアタールームにいたのか、燐音が訪れた時は仕事帰りの着のみ着のままで、空っぽの小容量ペットボトル以外に水分補給などをした様子もなかった。聞けば、借りたその足で飛び込んだのだという。あのプロデューサーならば貸出期限もそう厳しくはしないだろうに、寸暇も惜しまず枯れた喉でかじりついていた。見兼ねて私室の鍵を借り、あれこれを持ち込んで口をつけろと促しても、構わず燥ぎっぱなしでアクセルべた踏み。燐音が辟易するのも無理のないことだった。
    「はァ〜、かっこいいなあ。おれもこんなふうに受け答えとか、いろいろうまくなんなきゃ。ううん、でもいまはただのファンだから! せっかくあんずさんが貸してくれたんだもん、隅々まで堪能しなきゃっ!」
     まったく盲目なことで。この勢いでは食事さえ抜きそうだ。 過集中にならぬよう、そろそろ休息を取らせなければ。
     エンディングテーマが終盤に差し掛かり始め、藍良の手がリモコンに伸びる。のを、覆いかぶせて止める。ついでに停止ボタンも押し込むと、ようやっと翡翠がこちらを向いた。
    「なぁに。退屈ならお部屋戻っていいよ?」
     片眉を上げて言う様子は、邪魔をするな、というふうではない。退屈を嫌うだけなら、手に触れなどしないで立ち上がるし、関心を引きたがって指までを絡めない。
    「燐音先輩? ねえ、くすぐったいってば」
     一回り小さな手を両の手で包んでみても、じいっと見つめてみても、燐音が案じているのは伝わっていないようだった。藍良は、こちらの隠し事をよく見抜くくせ、自分が浮かれているときはひどく鈍感だ。いつもならば愛らしい点なのだけど。
    「もう、なに? 言ってくれなきゃわかんないんだけど」
     正論ついでに捕まえていた手を取り上げられる。ほんのりと頬を赤くした藍良は興が削がれたのか、さっさと機器類の電源を落とし、散乱させていたDVDケースを紙袋に収めてから、開けっ放しで放置していた菓子をおしゃべりな口へ放り込む。箱買いしたランダムブロマイド付きの、限定フレーバーチップス。ついでに飲料もコラボパッケージ。喉を大事にしつつ推し活を推奨する、健康を促進したいのだか、搾り取りたいのだか、な、果汁100%のリンゴジュース。消費に付き合うついでに、どれをどう開封して保存するか、或いは雑に扱って構わないかも覚えてしまった。
    「んで、ぁあに? ひんねへんぱい?」
    「フッ、言えてねえ。食うか喋るかどっちかにしなよ」
     視線は燐音を向いた。菓子とはいえ自主的に食べている。目的は果たせたけれど、もう少し求めてもいいらしい。幸い話の種には困らなかった。先程のバラエティがテーマにしていたことを、いずれ聞いてみたかったのだ。割り箸で二枚チップスを摘み上げ、しけったそれを飲み込んで続ける。
    「藍ちゃんって、子供ンときどんなだったの? 写真とか持ってない?」
    「おれの? 見たいの?」
    「そ〜。今よりちっちゃい藍ちゃん、興味あるな♡」
     人の成長過程はよく知っている。弟の一彩はもちろん、生まれたばかりの子を儀式に連れ込み、年齢の節目毎に役割を持たせ、子によって故郷の繁栄を主張する民たちを様々に見てきたのだから。個体差はあれど、赤子から眼前の藍良ほどまで育つ姿はいくつも記憶に焼き付いているし、それらを参考に、彼の幼少期を想像することも容易ではある。便利なことに、こちらには写真加工して幼い頃を算出する、需要の限られたアプリだってあるらしい。
     とはいえ、サンプルはサンプル。実物があるなら見たいと思うのが自然だろう。スマートフォンを取り出して、こちらの話題に関心を示さない藍良の横顔を写し撮る。
    「えー、いまと大差ないよ。このまんま縮めた感じだし」
    「絶対アルバム埋まってるっしょ。み〜た〜い〜。お仕事のリハと思ってさァ? ど?」
    「ええ……? どうってそんな、おもしろいものでもないのに」
    「刺激求めてんじゃなくて、普通に見せて欲しいんだけどさ。ほんとにヤなら、きっぱり断ってよ」
     ぱしゃり、ぱしゃりと何度か鳴らしてみても、藍良の態度は煮えきらない。返事のないまま、だんだん眉間に皺が寄り始める。食べている様子を撮られるのが嫌らしいが、むっすりのまま食べ進める手は止まらない。あれだけ熱中し騒いでいたのだから、そりゃあ腹は減っているはずだ。落ち着いたら夕飯に連れ出してやろう。
    「良い返事くれるまで撮るけど、いいの? ハムスターみたいな藍ちゃん、俺っちのファンに見せちゃうかもよ」
    「お好きにドーゾ。おれ単体なら、あんたのSNSに上げたりしないでしょ」
     さて、どうしようかな。燐音としてはどちらでも構わなかった。こちらのファンはニキで食事風景に慣れているし、その様子をシェアするのも日常茶飯事。それを知る藍良だって、撮影自体を咎めないなら、燐音に裁量を委ねているのだ。
     少し考えて、用をなさなくなったスマートフォンを仕舞う。袋の残りを食べ切っても物足りなさそうな藍良が手を拭う間に、紙パックにストローを刺して渡してやる。慌てて吸い上げるものだから盛大にむせてしまった。ゆっくり飲むよう促しつつ、背中をさすってやる。
    「うー、またやっちゃった……。ありがと。先輩はもう食べないの?」
    「ンー、うん、もういっかな。また手伝ってやっから、今日開けんのはこれでおしまい。それ飲んだらさ、ちゃんと飯食いに行こうぜ。腹減ったっしょ?」
    「えっ、あ、うん。もうぺこぺこ。……あのさ、先輩、さっきの話だけど」
     声は消え入りそうに小さいが、掠れは少しましになった。あの部屋ならば、仕事に支障をきたさないよう世話もしてくれるだろうけど、夕食帰りにうがい薬も買い与えてやろう。漢方はどうにも嫌がるから、妥協案として。
    「りんねせんぱい、おれのこと、もっと知りたいって思ってくれてるの?」
    「そりゃア? 手に入れたら満足なんてかわいげ、燐音くんにはねえもん。よく知ってんだろ」
    「そう、なんだ……そうだったかも。……おれにも?」
     最後の言葉は、燐音への問いかけというより自問のようだった。表情まで神妙だけれど、口端にチップスのかけらがついている。からかったら怒るかな。事実を噛み締めてまで、なにを言う気だろうか。
     貼り付けた食べこぼしに気づけるか、眺めながら続きを待つ。一分。二分。三分待っても口を開かない。たぶん気づかねえな、これ。
    「……燐音先輩のと交換なら、いいよ。寮にアルバム持ってくるのはやだし、おれの実家まで見に来るんでも構わないなら」
     絞り出すように言う子の頬を掴み、柔らかなティッシュで食べ殻を拭ってやる。誘惑するなら指先で取るなり直接舐めて見せるところだが、藍良相手にはもう必要ないことだ。
    「へぇ? 藍ちゃんはなにが欲しいのよ、俺の?」
    「なにって。なにならいいの」
    「なんでもいいよ。ものじゃなくっても、藍良が欲しがるんなら」
    「じゃあ……寝顔の写真? とか?」
     決まっていないのじゃないか。承諾したとして、日和と奏汰、どちらに撮らせるつもりだろう。懇意とはいえ、まさかこはくには頼るまい。提案しながらなにを照れたのか、されるがままの頬をあやすように揉む。よく笑うから弾力がある。愛されている子の頬だ。
    「別にいいけど。プライベートの寝顔とか、藍ちゃん以外に撮らせていいの?」
    「……あっ? そ、れはだめかも!? 待って、いまのナシ、もうすこし考えるから!」
     場当たり的。目先のことしか見えていない。藍良の欠点で、可愛らしいところのひとつ。待ってやりたいところだが、そうしていてはいよいよ日が沈んでしまう。
     空袋などをまとめてごみ箱に放り込み、薄暗いシアタールームに根を張りかねない体を強引に引き上げる。持ち込んだ飲食物はすべて片付いた。持ち出すのはスマートフォンと財布、それから可愛い話し相手。二人きりで、身軽に行こうじゃないか。
    「いーよ、ゆっくりで。先に飯行こうや。俺も腹減っちまった」
    「えっ、え、いますぐ言わなきゃ無効〜とか、言わない?!」
    「なーいない。ほら、なにが食いたい? 燐音くん、気分いいから奢っちゃうぜ」
    「うー、でも、どうしよ、うぅう……?」
     まだ唸るのか。呆れないわけではないけれど、先程まで、先達のアイドルへ捧げられていた盲目さで燐音について考えている。ずいぶん気分のいいことだった。
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