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    さやか

    こにし

    MOURNING2021.6.27発行 オーカイ本『ささやかなぼくの天国』より 小説①『よすが』のweb再録です
    再録にあたり多少加筆修正しております
    よすが 前を歩くオーエンの歩幅になんとか合わせようと大股で歩いても、彼はどんどん先へと進んでゆく。歩調はさほど変わらないのに追いつく気配がなく、私は、彼のいやみな程に長い脚を思った。椅子に座るときにはいつもすらりと組まれていて、以前みずから自慢げに披露するそぶりを見せたことがある。
     淡い色をした美しい夢の胞子が濃霧のように漂っている。加護で守られてはいるものの、その光景を見ているだけでも幻想に呑み込まれてしまうような気がして少しくらくらする。ぼんやりと歩いていると突如、隣から顔を覗き込まれ、私はうわっとなさけない声を上げた。
    「大丈夫か?」
     凛とした声。それは隣を並んで歩くカインから発されたものだった。私があわてて大丈夫ですと言うと彼はそれならよかったと朗らかに笑う。思わずほっとため息を吐きそうになった。カインは妙に他者との距離が近いところがあり、意識しなくとも時折どきりとさせるようなことを仕掛けてくるものだから、心臓に悪い。誰にでも同じように接するので、彼にとってはなんら特別なことではないのだけど、私が元居た世界だとそれはなおさらたちの悪いことだとされていただろう。
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    いずみのかな

    DONEパトレイバー ごとしの ささやかな休息と、光の休日と
    かわいいひと。「そうね……、麻布温泉とか都内なら」

     夏の嵐のあと、朝日が燦燦と照る関越道で、日帰り温泉への誘いに対してそんな風に返答したときの後藤の、あからさまにがっかりした顔を思い出すたび、しのぶは何とも言えないむずがゆさと、同時にちょっとした優越感を覚える。
     全く眠れなかったのだと素直に告白してきたことと言い、普段の人を食った言動や、避難という名目で入ったラブホテルで時折見せた、あのいかがわしい雑誌を毎週愛読しているに相応しいオヤジそのものの態度とは裏腹に、中身は臆病で、遠慮がちで、ナイーブで、驚くことになによりも愛すべき紳士なのだ、後藤という男は。
     もしあの夜、電気を消してベッドとソファでそれぞれが身体を横たえた後。相手が寝ていないと悟っていながら、互いが様子を伺いに行ったとき、どちらかが思い切って振り返ったら、そして相手の身体に手を伸ばしていたら。恐らくは一夜の情熱は手に入ったであろう。ただし、それは本当に一夜だけのもので、その後二人はそれぞれに相手の熱を振り返ったとしても、二度となにも口に出さなかったはずだ。それこそ自覚した思いでさえも。
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    桜道明寺

    DONE君閣のささやかな音楽会
    終わりなき夜のめでたさを ぱらん、という澄んだ音色が君閣に響き渡った。
    「懐かしいものを見つけてね」
     主が上階から持ち下ろしてきたのは、古いが趣深い琴だった。
    「昔は、手慰みに弾いたものだよ」
     子どもの短い指では、弦を繰るにも苦労する。けれども、ぱら、ぽろ、と爪弾く様子は、そんなことを感じさせないかのように自然で、心地よさそうに見えた。
    「そうだ諦聴。折角だから伴奏しないか。お前、笛ができたろう」
    「構いませんが——曲は何を」
    「適当でいいよ。どうせ、聴くものなど誰もいない」
    「わかりました」
     棚から愛用の笛を手に取って、軽く音を合わせる。スッと一つ息を吸って、唄口に向かい、細く長く息を吹きかけた。
     高く妙なる調べが、静まり返った夜気を鮮やかに切り裂く。一拍遅れて、七色の旋律が、色とりどりの衣を纏った乙女のように、それに寄り添う。軽やかに、踊るように音が跳ね、艶めき、ふたつの流れがひとつに纒まり、淀みなく流れていく。音楽という川面にきらめく魚のように、美しいものを垣間見たような、それでいて指先をすり抜けていくような一瞬の儚さ、互いに互いの存在をもって呼応する、その心地よさに、しばし身を任せた。
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