【曦澄】『困ります』「ねーえ、次の清談会はこれ! これを着ようよ!」
髪冠はこれね。きれいな細工でしょう? 帯留めと対になってるんだ。衣装を少しふんわりさせるから、濃い色の小物で引き締めるの。
うきうきと衣装箱から衣や装飾品を取り出しながら上機嫌の聶懐桑に江澄は遠い目になった。魂が半分抜け出そうだ。
「そんな衣装、俺に似合うわけないだろうが……」
ふんわりってなんだ、ふんわりって。そんな形容の衣が自分に似合うわけないだろう。衣装箱から出された淡い色合いの衣に呆れた口調も露骨にしたが、懐桑は訳知り顔で扇を左右に振るばかり。
「私が江兄に似合わないものを持ってくるわけないじゃない。まあ、着てみてよ。絶対大丈夫だから」
いそいそと姿見を引き寄せ、これとこれを着てねと広げていく。
「ほらぁ、着替えるんだからさっさと脱いで脱いで」
「……」
どうしてこうなった。いや、理由はわかっている。自分にまったく利がないわけでもない。わかっている、わかってはいるが、どうにも毎度無駄な抵抗をしてないと決まりが悪いのである。江澄は深々とため息をついた。
そして。いざ着付けられてみれば、そう悪くもないように見えるから不思議だ。
「ほーらー。どう? どう? 私が今まで江兄に着せたもので似合わなかったものなんてなかったでしょ?」
「……悪くはない」
「ふふーん。江兄のそれは結構いい感じに気に入ったってことだね」
「うるさい。なあ、これ、本当に清談会で着るのか? 身内の会じゃだめか?」
「だめだよ、清談会で着てもらうって約束したじゃない」
「それは……そうだが……」
「大丈夫、確かに雰囲気が今までとだいぶ変わるけど、色の濃い小物で引き締めてるから緩い印象にはならないよ」
どっちかっていうと清楚さが増す感じ。なんか座学の頃を思い出すよね。うんうんと懐桑は自身の見立てにご満悦だ。
「男に清楚っておかしいだろうが。清廉ならともかく」
「だーかーらー! それが狙いなのっ。江兄が見せる表情でどっちの印象も醸し出せるんだって。きりっとしてたら清廉に、微笑めば清楚に。男物、女物、どっちもいけるっていうのがこの色味と衣装の売りなの」
「……悪かったな、女顔で」
「何言ってるの。広告塔としてこれ以上ないよ。最高だよ、江兄」
「やかましい」
事の経緯はこうだ。
数月前、江澄は少々骨の折れる商談に手を焼いていた。衣装や装飾品の素材を扱う商人で、糸や反物など品物も良く、取引の利もあるのだが、どうにも相手が手強い。逃すわけにはいかないが、相手の言い分をあまりに呑みすぎると今後が厄介。どうしたものかと頭を抱えていたところ、聶懐桑が一枚噛みたいと手を挙げた。
独占したいだろうと踏んでいるからこそ強気な交渉をしてくるのだ、最初から独占ではなく、雲夢と清河連盟での取引としてしまえば、話は他所でもできると嘯いてもいられまい。
なるほど、どこかに行かれる前に、そのどこかの有力候補をこちら側に引き込んでしまえばいいわけか。懐桑の提案に江澄はなるほどと納得し、早速連盟での交渉に切り替え、相手を有利にしすぎない条件で取引は無事に成立した。
商談成立の手柄は聶兄にある。無事商談がまとまったことへの礼は何が良いかと問うたところ、じゃあねえと懐桑が目を細めた時に嫌な予感はしたのだ。
取引の恩は取引でと思ったのに、そんな普通の恩返しじゃつまらないよねと、懐桑は含み笑いをし。
せっかくだから、こんなことでもなきゃ聞いてもらえないようなお願いをしようと持ち出されたのが、清談会での衣装選びを自分に任せろ、だった。
その時は、変なことを言い出すなと思ったのだ。だが、江澄は深くは考えずにまあいいかと頷いた。それが良くなかった。
要は着せ替え人形になるということだったと気づいた時にはもう遅い。
江澄は、自分ではおよそ選ばないような衣装を着せられ、華美すぎない範囲ではあったが装飾品もそれなりにつけられて清談会に出席することになった。それがつい先月のこと。
「……」
着慣れない趣向の衣にどうにも座りが悪い。なにやら周りからもじろじろ見られている気がする。風雅を愛する懐桑のこと、みっともなくはないはずだが、いかんせん着慣れない格好に落ち着かない。どこに視線を向けてよいやらと視線を彷徨わせていたら、藍曦臣が直ぐ傍にやってきて視線を遮るようにしてくれたおかげで事なきを得たものの。
あれから何度か懐桑に衣装を整えられて公の場に出ているが、どうにも慣れず、落ち着かない。
「私だって江兄で遊んでるわけじゃないよ? この布、例の商人から取り寄せたものだもの。見覚えあるでしょ」
「ああ……」
そう。そうなのだ。例の商談で雲夢が仕入れた布や糸を清河で染めるなどの手を加えて衣装に仕上げたもの。雲夢と清河共同で作り上げた衣装や装飾品の広告塔として、江澄はそれらを身に纏っているのである。
それなりに手がかかっているそれらを売り込むにはそれなりの仕掛けがいる。どうせなら自ら着込んでお披露目しようというのが懐桑の出した案だった。
初めは江澄も難色を示した。着飾るなど、自分には無用だとも言った。だが、懐桑は折れなかった。
自分だけ着るのが嫌なら私も一緒に着るから。二人で広告塔になろうよと言われ。
果ては家僕たちまで、宗主もたまには実用的なお召し物だけでなく、宗主らしい華やかな装いをなさってもよいと思いますと懇願され。
だめ押しに恩を返してくれるって言ったじゃないのと言われれば、それ以上否やとは言えなかった。
こうして江澄は懐桑の見立てた衣装に身を包み、ここぞとばかりに張り切った家僕たちに飾り立てられ、清談会やら何やらに出席する羽目になっている。
頭では理解しているし、納得もしたが、それでも慣れぬものは慣れない。質実剛健、実直さで鳴らした雲夢江氏の宗主、江晩吟が急にどうしたと好奇の目を向けられている気がして落ち着かない。
「大丈夫だよ、効果は抜群だよ。清談会の後、その格好のままで酒楼にも行ってるでしょ? おかげで宣伝効果ばっちり。問い合わせもたくさん来てるし、売上も好調だよ」
「そうか……」
それは何よりだ。それがなければ何のために慣れぬことをしているのかわからない。せめてもの心の慰めである。
「あー、でもねえ」
「うん?」
「この間、曦臣義兄上に睨まれた。あんまり江兄で遊ばないでって」
「曦臣が?」
「うん」
懐桑が頷いた。扇で口元を隠し、困ったよねえと眉を下げる。
「着飾った江兄をあんまり人目に晒したくないんだって。でも、広告塔だよ? 人目についてもらわないと困るじゃない」
「まあな」
そのために懐桑に言われるまま着飾っているのだ。それもこれも雲夢と清河の商売繁盛のため。我ながら健気な宗主だとため息が出る。
「情人を独り占めしたくなる気持ちもわかるけど、これはお仕事だからね。公私混同はやめてもらわないと」
「……」
「あとは雲夢と清河だけで、姑蘇が絡んでないのも面白くないんだろうけどねぇ」
「あの人は商売には関わってこないだろう?」
「そうだよ。藍氏だもの。だから、しょうがないじゃないねえ」
曦臣義兄上も聞き分けのないこと言うんだから。懐桑も扇の向こうでため息を漏らす。
「だからね、せめて清談会の前に一度、こういう衣装だよ~って曦臣義兄上にお見せしたほうがいいかもね」
「はあ」
面倒くさい。そう言いかけたところで、宗主と扉の向こうで声がかかる。
「ご歓談の最中、申し訳ございません。来客が」
「……まさか藍宗主とは言わないだろうな」
「そのまさかでございます」
「……」
「わーお、嗅ぎつけて来られちゃった」
「嗅ぎつけたなんて人聞きの悪い」
「うわっ」
まさかすぐそこに来ているとは思わなかった。すっと扉が開けられ、気まずげに頭を下げている家僕を後目に、表面上はあくまでにこやかに、けれど明らかに気分を害していますよの気配を醸し出している藍曦臣が立っている。
「懐桑、私の言ったことを覚えているかな」
「覚えてます、覚えてますって。だからちょうど今、江兄に話してたところなんですってば」
「阿澄、それで貴方、面倒くさいって言ったね?」
「……言いかけただけだ、最後まで言ってない」
「言ったも同然だよ、それは」
扉を閉め、まるで退路を断つように藍曦臣が笑顔で迫ってくる。
「ああ、さすが懐桑だね。趣味が良い。阿澄によく似合っていますよ」
「でしょお」
「だけど、いけない。こんな清楚で儚げな姿を人前に出しては、人心を惑わせます」
「おい、言いがかりだぞ。俺が悪いような言い方をするな」
「貴方は自覚が足りない。先の清談会で、貴方を見る男たちの目がどんなだったか。私がどれだけ気を揉んだかわかりますか」
「苛烈で無粋な俺が洒落めいた格好をしていたのが物珍しかったんだろうよ」
「またそういうことを言う!」
そんな言い方をしてと詰め寄る藍曦臣に、小うるさいなと江澄が顔をしかめる。あ、これ、口喧嘩始まっちゃう? と聶懐桑は視線を逸した。
痴話喧嘩と言えばそうなのだろうけれど、商売がかかっているので知らないよで済ますのも気が引ける。どうしたものか。
「ねえ、どうせなら曦臣義兄上も広告塔やりません?」
三人でやれば仲間外れにならないし、大目に見てくれないだろうか。