彩衣鎮にて雲夢を思う行き交う舟と、人々の声。活気のある町の様子に普段あまり見せない笑みが、江澄の口許に浮かんだ。
「彩衣鎮まで来るとなかなか賑やかだな」
姑蘇藍氏、雲夢江氏の両宗主が夜狩でもないのに連れ立って町歩きという光景は珍しいらしく、人々の関心を引いた。
「雲深不知処で過ごしていると、こうして町に出るだけでお祭りにでも来たようだよ」
「それは雲深不知処が静かすぎるからだ。うちとは真逆だな」
「蓮花塢は町と近いからね」
「これから蓮根の収穫の最盛期だ。ますます賑わうぞ。それこそ、あなたから見たら毎日が祭りだ。そうだ、あなたにも新物の蓮根を送ろうか。それとも取りに来るか?」
「人手が足りないなら手伝うよ。役に立つかわからないけれど」
藍曦臣の申し出に、江澄は一瞬子どものようにキョトンとした後で破顔した。
「これはいい。藍宗主が泥まみれになって蓮根の収穫か!そうだな、力仕事ならいくらでもある。是非、お手伝いいただこうか」
「江宗主、あの、江晩吟、私は何かおかしなことを言ったかな」
「……いや、問題ない。俺がコツを教えて差し上げるからな」
「はい。……いえ、そうではなくて、笑っていないで的外れなことを言ったなら教えてほしいのだけど」
眉を下げる藍曦臣にさすがに気の毒になったのか江澄は笑いを収め、今度は眩しいものを見るように目を細めた。
「俺が、思い至らなかっただけだ。あなたは少しもおかしなことなど言っていないし、むしろ……」
「むしろ?」
「まあいい。あなたが雲夢に来るのを、楽しみにしている」
何がいいのか、曦臣にとっては何の答えも貰えず誤魔化しにもならない返事だ。けれど楽しみだといったその江澄の言葉に偽りは見えないから、こちらもどうでもよくなってしまった。
当たり前に明日が来るとも限らないことを、約束が必ず果たせるものではないことも知っているふたりだ。こうして小さな、本当に小さな積み重ねが続くことこそがきっと、幸福なのだ。