しきざき草むしりさえご自身でやってもらえれば、室内はこちらで清掃しますよ。
なんて、甘い言葉に騙されたのが悪かった。
「はあ、疲れた……」、朝から開始した新居クリーニング大作戦は午前中をゆうにぶっ潰し、太陽はとっくにてっぺんを過ぎている。
大学からほど近くにある、長年空き家になっている一軒家。格安で貸し出してやるという口約束につられてホイホイやって来てしまったが、さすがに誰か巻き添えにしてくるべきだった。
ふう、とペットボトルのフタを閉めながら、庭を眺める。玄関から縁側、ガスや室外機周りといった住み心地に直結しそうな部分は大体終わらせた。まあ、普通に住む分にはもう問題ないだろう。
あと気になるのは、と庭の隅に目を向ける。背の高い雑草に隠れるように埋まっていた小さな祠。神社のような小さな鳥居もついているそこは、一般家庭の片隅にあるにしてはやや豪華な造りをしている気もする。
「……まあ、そのわりにボロボロだけど」
手入れも行き届いていないような神社なら、放っておいてもいいのかもしれない。別に生活にはなくても支障のない存在だし。
とはいえ、目につくことには目につきすぎる。
「ついでっちゃあついでだしな……」、あれを綺麗にしたら昼メシにしよう。ぐるぐると肩を回しながら、静かな先住民のもとへ近づく。
それから、どのくらい経っただろう。
降り積もった落ち葉を片付け、あちらこちらを磨き上げる頃には、日はさらに傾いていた。熱中しすぎだ、いくらなんでも。
我ながらなかなかの出来ではあるけれど、とピカピカになった神社を見つめる。自己満足にしては、清々しい気分だ。
「よし、昼メシ」、腹の虫に急かされるように振り返る。その途端、持参した掃除道具を落っことしそうになる。
目の前に、知らない男が立っている。
腰まで伸びた透き通る髪をひとつにくくり、結婚式かと思うくらい純白の和服に身を包んだ青年が、オレと同じように目をまんまるくして見つめ返している。
「えっ、だ、誰!?」
です、か!?
その異様ないでたちに気押されながら、なんとか敬語を捻り出す。若いけれど、男はこちらよりいくつか歳上に見えた。
なぜかオレの数倍驚いた様子の青年は──まさか、こんなところで会えるなんて──なにやらごにょごにょと口の中でつぶやいていたが、突然弾かれたようにオレの顔を覗き込んできた。
いや、近い。けれど、取り憑かれたように目が離せない。
「お前、名前は?」
「……ざ、斬、です」
「そうか、名前も一緒なのか……」
うんうん、と一人納得したように頷く青年に、オレはまだ視界も思考も奪われたままだ。「いや、あんたの名前は?」、慌ててつまづくように尋ねる。ここは立派な私有地で、こんな奇妙な風貌の親戚がいるなんて聞いたことがない。
「うーん、本当はだいぶ長いんだが、短くまとめると春夏秋冬……、あっ、以前のお主らは“お館様“とか呼んでいたぞ」
「はあ?」
“以前の“ってことは、覚えがないだけでもしや知り合いなのだろうか。
訝しさを全開にして眉をひそめるこちらをよそに、男はずいぶん機嫌が良さそうだ。
「またお主に救われるとはな。助かったぞ、斬」
しかし、その笑顔は、舌に乗せられたオレの名前は、どうしてかひどく心地がいい。何度も呼ばれたことのあるような、何度でもその名を響かせて欲しいような、そんな胸を締め付けられる想いが浮かぶ。
春夏秋冬──この、文字にするとだいぶ長い名前の不思議な青年が、この土地に住み着く神様であることも、ふたりでの新生活がスタートしてしまうことも、この時のオレは、まだ知らない。