艶本を貰った話 「すまないねぇ!今こんなもんしか持ってなくて!」
男はにやにやと下品な笑みを浮かべて薄い書物を押し付けてきた。
その気持ち悪い表情に不信感を抱きつつも、どんな物かと胸に押し当てられた書物を受け取る。頁を何枚か捲ってみると、そこには女と男が絡み合っている絵が描かれており、隠し刀の眉尻が怪訝そうに少し吊り上がる。いわゆる艶本と言うやつであった。
「おい、なん…」
なんで艶本しか持っていない状況なのか不思議に思い、空気も読まず尋ねようと顔を上げると、男は既に去った後だった。
長屋へ帰る道中、ガラの悪い輩に集られていた所を助けたのは良いが、お礼がふしだらな本一冊とはなんとも滑稽な奴だと呆れつつ、伊藤あたりに渡せば喜ぶかもしれないなぁ、等と考えながら再び帰路についた。
「ごめんください。上がらせてもらいますよ。」
おっとりとした温かみのある声が、扉の開閉音と共に外から中へ入ってきた。
「おや、お休み中でしたか。」
隠し刀が囲炉裏端で寝そべって目を閉じているのを見て、福沢は呟いた。
情人の寝息を聴きながら読書しようと、長屋に置かせてもらっている本を取り出そうとして視線をずらすと、隠し刀のすぐ側に一冊の書物がある事に気付く。
あまりこの長屋で自分の持ち込んだ以外の書物を見た事がない為か、やけに目立ち、物珍しげに手に取って表紙を見ると、例の艶本だった。
驚いた福沢は寝てる隠し刀と本を交互に見やる。
刀として育てられたが故に、自分の意思で物事を考えるのが苦手で、表情の乏しかった彼が人らしくなっていく様子を傍で見ていた福沢にとって、艶本に興味が湧いた事への感慨深さと、自分という恋人が居るというのにこういった本を読んでいた事実に軽い衝撃が襲う。
これは喜んでいいのやら悪いのやら分からず、座り込んでじっと表紙を見ていたが、情人が好む色事に興味が湧き、中身を読んでみようかと手に持っているそれを悩ましげに床に置いたり、手に取ったりを繰り返している。
そうこうしている間に寝息が止み、薄らと瞼を開けた隠し刀は、情人が悩ましげに床と胸の前に腕を忙しなく行き来させていて、その光景が面白く、寝たフリをしながらその様子を観察していた。
結局、福沢は中身を見る事に決めたようで、最初の頁を白手袋が捲った。
そのまま数頁読み進めると、男女が絡み合う絵が見開きで大きく描かれており、こういった類の書物を読まない福沢は、気恥ずかしさに咳払いをひとつし、また次の頁へ。
普段から医学の本で人の裸は見慣れており、艶本と言ってもたかが知れてるだろうと思っていたが、これは全くの別物だった。
誇張された性器が若干の笑いを誘うも、読んだことの無い艶かしい男女の物語に、こんな展開有り得ない、と突っ込みを入れたり、体が柔らかくないと出来ないであろう体位に驚いたりして、意外と目が離せなくなっていた。
中には自分と隠し刀との情事を思い出させる様な記述もあり、その時は顔に熱が籠るのであった。
最後の頁まで読み終え、新しい知見を得た満足感と、情人の嗜好が垣間見えた気がして、興奮気味に書物を閉じ、寝ている隠し刀に視線を移すと、濃い茶色の瞳が福沢を捕らえていた。
「うわあぁ!」
「どうした?」
「どうしたじゃありませんよ!……いつから起きていたんですか。」
福沢は飛び出しそうな心臓を押さえるように、書物をきつく抱き締める。
上体を起こした隠し刀は、胸元の書物が男からのお礼だと確認すると、少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
「その艶本を読むか読まないか迷っている時からだな。」
「という事は…読んでいる間、全部見られていたんですね…」
「なかなか面白かったぞ。眉間に皺を寄せたり、考え込むように顎に手を当てていたり…時々、赤くなったりして。何かお前の気に入った話でも書いてあったか?それとも…褥での時を思い出したか?」
図星を突かれて福沢の頬がほんのり赤らむ。様々な体位が載っている頁で、した事のある体勢を見た瞬間、致している最中の蕩けた記憶が甦ってきたのだ。
「………お前は可愛いな。」
情人の可愛らしい反応を見て、胡座で頬杖をついていた隠し刀の手が、福沢の染まった頬に伸びてくる。
「……そういうあなたこそ、こう言うのが好きなんでしょう?」
余裕そうな情人の雰囲気に流されるのが気に食わず、くしゃくしゃになった艶本の無作為な箇所を開いて見せると、ふむ、と隠し刀は呟いて、興味深そうにそれを受け取った。
「なるほど。こんな趣向を凝らした方法もあるのか…参考になるな?」
「……なんで僕に聞くんですか。そもそも、あなたのなんですよね?」
「私のだが…先程、男を助けたお礼に貰ったばかりで読んでないんだ。」
初めて読むような反応に疑問を抱いた福沢は、隠し刀に聞いてみると予想外の答えが返ってきた。
「……そうでしたか。てっきり、僕と会えない日はこの本のお世話になっているものかと…」
情人がこの俗っぽい本を読み、一人慰めているのだと複雑な気持ちを抱いていた福沢は安堵した。
「…………そんなに良かったのか?」
他の頁を捲ろうとした隠し刀を慌てて止め、艶本を取り上げそのまま囲炉裏へ放り投げる。
「……あなたは読まなくていいんです。僕で十分、間に合っているでしょう?」
「……足りない、と言ったら?」
隠し刀の冗談めいた言葉を聞き、福沢は顎に軽く握りしめた拳をあてがい思案すると、再び恥ずかしそうに頬を染める。
「……では…今からする事を思い出して、してください……」
白手袋がゆっくりと隠し刀の太腿を這い、そのまま少し力を乗せると福沢の方へ寄り添うように傾き、唇が重なった。
「…なんだ、いつもと変わらないな。」
そう言いつつ福沢を見つめる目は、とても満ち足りたものだった。
燃料をくべられた囲炉裏火は、とろ火が少しずつ大きくなり、やがて燃え盛る炎へと形を変えた。