【龍羽】Firstletter,lastletter 拝啓 西園寺羽京殿
入梅の候、変わりなくお過ごしだろうか。羽京殿におかれては、ますますご清祥のこととお喜び申し上げる。
貴様に伝えることがあって手紙を書いている。
ただ、用件だけではこの紙一枚すらも埋まらず、無粋な手紙になってしまう。思いついたことをとりあえず書いていく。
このまえは短い期間だったが、顔を見ることができてよかった。北米と日本間の弾丸移動というのは初めてだったが、やってみれば出来るものだ。日本を発つとき、空港にスイカたちが来た。ゲンもいて話を聞いたのだが、貴様はゲンとの予定をわざわざ変更したのだな。改めて礼を伝えておく。
スイカたちに見送られてからのことだが、予定をしていた通り北米に戻った。今も宇宙センターでエンジニアと打ち合わせをする毎日だ。件の一仕事のあとからSAIもプロジェクトに加わった。やるべきことは多いが、休みたいときは船で海へと出たりチェスやゲームをしたりと、やりたいことをして過ごしている。普段は湿度が低くて気温もあまり高くないから、日中も夜も過ごしやすくて助かる。
書き出しで入梅などと書いたが、現在こちらは乾期の真っ只中だ。雨はめったに降らない。おとついの夕方にほんの少しだが雨が降った程度で、ちょうど外に出たときに短い虹がみつかったのを、その場にいた者たちと一緒に見ていた。虹がでると皆の仕事がいったん止まるのだが、そういうところは日本もこちらもそう変わらない。そのひと時だけで、いろいろなことが思い出された。
日本では梅雨入りをして天候が荒れると、場合によっては仕事が止まる。家のなかで過ごすしかない日もある。夜中に雨風の音をききながら、翌朝には晴れ上がっていることを期待しながら、どうにかして一晩をやり過ごそうとしたこともある。
そう、これを書きながら、雨の夜にいきなり羽京がやってきた日のことを思い出した。何年か前のことだ。
風も強くて、窓にあたる雨粒すらうるさく、外に置いてあるものが飛んでいってしまわないかと思うような夜に、濡れ鼠になった貴様が訪問してきた日があっただろう。それだけでも驚いたのだが、もっと驚いたのは、そのときの貴様が酒に酔っていたことだ。珍しく機嫌が悪かった。昨日も寝ていないせいで眠くてしょうがないのに外がうるさくて眠れない、深酒しても眠れなくてどうしようもないから、家のなかに上げてくれといわれた。
あのときは笑った。西園寺羽京という人間にもこういうことがあるのかと新鮮な気持ちになった。
俺の家に辿り着いてからのことを、貴様はほとんど覚えていないだろう。そして酔いがさめたあとのことなら覚えているだろう。翌朝になって酔いからさめた顔で、昨日の自分は一体なにがあってここにきたのかと俺に訊いてきたな。徹夜したのに眠れないからと俺に八つ当たりをしてきたことを教えたら、その日は一日中謝られた。
あの日について、まだ言っていないことがあった。
ずっと言わないつもりでいたが、面と向かって教えることもないだろうから、いい機会として白状することにする。
あの日はフランソワがいなかった。貴様がやってくる前、俺はもうまもなく就寝しようとしていた。もし翌日に雨があがったら早くから仕事にとりかかろうと考えていた。そのとき急に玄関の扉が叩かれて、こんな日にやって来るのはいったい誰だと考えていた。そして扉をあけたら普通の様子ではない貴様が立っていた。この時の話はさっき書いたとおりだ。とにかく家のなかにいれて、拭くものと着替えを渡して浴室に押しこんだ。しばらく待っていれば出てくるだろうと思っていたのだが、一向に出てくる様子がない。それどころか貴様がいるほうから物音すらしない。さすがに気になり様子を見にいってみたら、身体を拭きもしないでそこに座り込んでいる貴様がいた。なんとかして理由を聞きだすと、酔ったせいで頭が痛いから動きたくないという。そのままにしていると風邪をひくぞと言ったのだが、動こうとしなかった。
仕方がないので着替えを手伝った。濡れた服を脱がすのは大変だったが、それ以上によく覚えているのは、ずぶ濡れになった身体がとても冷たかったことだ。人の身体はこれほどに冷たくなることがあるのだと俺はそのときに知った。本当は風呂にいれたかったが、酔った人間を入浴させるのはよくない。結局、着替えだけさせて、寝室につれていった。
ソファに座らせて、眠れそうかと訊ねたら、分からないと貴様は答えた。普段より声がずいぶん低くて、目がすわっていて、機嫌が最悪なのだろうと思ったことを覚えている。俺はもう眠るつもりだったのだが、さすがにその状態の人間を放置してはいけないと考え、水を飲ませつつしばらく話し相手になった。
ずいぶん酔っているがどのていど酒を飲んだのか、まだ頭痛はひかないのか、気持ち悪くはないのか。それが気になっていたので訊ねたが、その時の貴様の返答はどれもこれも不明瞭だった。おそらくは、分からないが大丈夫だ、というような言葉を繰り返していた。
しばらく経って、まだ眠れそうにないのか、と訊くと、頷いていた。
眠れなくても横になったらどうだ、と訊くと、貴様は黙ってしまった。ソファに座ったまま、渡したグラスの水を少しずつ飲みながら、溜息を吐かれた。俺も隣で座っていたのだが、どうするべきか、最適解は見つけられなかった。フランソワを呼んでなんとかさせようかとも考えたが、外の雨風は相変わらずだった。
それで、特に言葉も交わさずにふたりでそろって外の音をしばらく聞いていたのだが、唐突に貴様から、自分のことは放っておいて寝てもいい、と言われた。どうせこのままだと自分は眠れないし、かといって付き合わせるのも悪いからと。こうやって過ごすのも珍しい、だからかまわないと俺は言い返したのだが、酔った貴様は納得しなかった。
どうして来たのか?
改めて俺は、西園寺羽京という人間にそれを訊いた。俺が眠っていてもかまわないというが、それでも貴様がここにやってきた合理的な理由があるはずだ。酔った人間に訊ねることではなかったかもしれないが、納得したくて質問した。
貴様は、ますます機嫌が悪くなった。睨まれるようにこちらを見てきたことを覚えている。
合理的な理由がなければ来てはいけないのかと、俺は言われた。虚を突かれた思いだった。
さらに言われた。ここに来ることに合理的な理由をもとめるなら、七海龍水という人間がことあるごとに自分に会いにやってくる合理性も説明してくれと。そういうことを貴様から言われたのはあれが初めてだったし、それ以降に同じ言葉を言われたこともない。たった一度きりだ。今日まで貴様は知らなかっただろう。
あのころすでに、羽京という人間は特別だった。説明として伝えるべきはそこだろうと直ぐに思った。しかしそれが貴様にとっての正解ではないことは理解していた。むしろそれを答えにすると、今までに何度も何度も繰り返した定義の擦り合わせがまた勃発する。特別という定義が貴様と俺とでは、あまりにも異なっていたからだ。これは今でもそうなのだが。
おそらくさっきの言葉を聞かなければ、俺は貴様がずっと持っている不安の本質を知らないままだった。
西園寺羽京という理性的な人間が、言語化もできず合理的でもない感情の嵐のなかにずっといるのだと知った。
今は説明をすることができない。俺はそういう返事をしたと思う。
それを聞くと貴様はうつむいて、自分もそうだ、と答えた。べつにここに来たからと言って眠れないものが眠れるようになるとは思っていなかったし、迷惑もかけると分かっていた。ここに足が向いたことに理由はなく、あったとしても言葉にできない。むりに言葉にしたら、七海龍水という人間がもちあわせた価値観や感情との違いが分かって、きっとまた色々考える。
落ち込んでそう話す貴様をみていろんな思いが巡った。もしかすると言葉にできない部分を埋めていくために、人は自分以外の誰かが欲しいのかもしれないと。抱き合ったり、交わったりすることでやっと納得できることがあるかもしれない。
だから羽京という人間のなかにある非言語の部分にふれてみたい。身体を重ねて、全部手に入れたいと初めて思った。
俺も結局、あの夜はほとんど眠っていない。明け方に外がだいぶ静かになって、起床時間までのほんのすこしの時間で、浅く意識が落ちた程度だ。貴様はソファで横になって、俺は自分のベッドを使った。もう少し気をきかせるべきだったと無粋だが思う。悪いことをした。
あの朝、窓から外を見たら虹がでていた。うっすらとした虹だったが、起床すぐの貴様はぼんやりと眺めていた。
あの時期もちょうど梅雨だった。あの頃と今とでは、それぞれの居場所も違っている。やるべき仕事も変化し、関係もそれなりに変わったような気がする。ただし関係については、変わったというよりも進んだと言いたい。あのころには発想すらしなかったような手紙を、俺は今こうやって書いている。結局この文章で四枚目の終わりになった。
こういうことをする自分に、自分でも驚いている。貴様はもっと驚くだろう。
今の時期にぴったりな、サプライズというやつだ。
誕生日おめでとう、羽京。出会うことができてよかった。
こうして手紙で祝うのは、貴様が最初だ。最後になるかもしれない。どうかこれからも健やかであってくれ。 敬具
七海龍水
追伸
手紙の書きだしというのはああいうので正しいのか、分からない。ずっと昔に学んだことを思い出して書いてみたのだが。
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龍水へ
きみの手紙の書き出しをみたときの驚きは一生わすれません。
羽京殿って、きみに言われたと考えると意外すぎてふきだしてしまった。
長い手紙を考えるのは苦手だから、手短に書く。
きみの手紙は、誕生日にフランソワから受け取ったよ。本当に突然、連絡なしに僕のところに持ってきてくれて、手渡しだった。手紙の中身はなにも知らなかったって聞いた。フランソワはすごいね。
手紙は貰った日の夜に、ひとりで読んだ。
いろいろと書いてくれてありがとう。きみが手紙を書く姿って今まで少しも想像できなかったけど、読んでみると凄く龍水らしい手紙で、うれしかった。あまり思い出したくないことや知りたくなかったことまで書かれていてちょっと困った。しかも手紙って言葉でいわれるよりもしっかり残るから、きみの手紙を読み返したくなるたびに、忘れたい自分の記憶まで思い出されることになる。
なにか困らせるようなことを僕も書こうかと考えたけど、ぜんぜん思い浮かばないから諦めた。
かわりに、もう少し別の方法でお返しをしようと思う。
今の仕事に区切りがついたら、そっちに行きます。ただしいつになるのかは直前まで言わない。
帰ってきたきみが突然僕のところに来たのと同じ。ずっとできなかったけど、僕は、きみの自由を少しだけもらいます。
またね。
羽京より
(Firstletter,lastletter)