寝たくない夜の話「やっべ」
少年が胸ポケットに手を入れたり、他のポケットや鞄を漁っている。
「少年?」
声をかけると焦りを含んだ様な声でこちらを見つめてきた。
「学校に生徒手帳忘れたかも」
「それは…」
少年が苦笑いしながらどうしよ…どうしよ…と狼狽えながらまた鞄の中を漁っている。焦るのにも無理もない。
縄印の寮の鍵は生徒手帳なのだ。生徒手帳に埋め込まれているICチップで寮の出入りが可能になっている。
今は夜中の八時。訳あり、ベテルに寄った帰りなので遅めの帰りになってしまい、学校はもう門は閉じている。今から取りに行くのは不可能だ。しかし、
「少年、安心してくれ。私なら鍵を開けられる」
読み取り機に手帳をかざすフリをしてくれ。
そう言い、少年に読み取り機にかざすフリをして貰う。防犯カメラにこの光景が写っている状態で私が今からやる鍵開けは少々奇怪に見える可能性があるからだ。少年が手を置いている読み取り機に手を当て、以前少年の生徒手帳のICチップから読み取った情報を送ると難なくエントランスの自動ドアは開いてくれた。合鍵でドアを開けた様な物だ。
「うぉ!開いた!」
少し驚いた様子で少年は喜んでいる。
「部屋の鍵も今の様にして開けられるはずだ」
隣で少年がすごい!どうやったの?とカメラを意識しているのかいつもの大きな動作はなく小声で質問してくる。その質問に答えると、合鍵で開けたようなもんかと、私と全く同じ考えに行きついたらしく、納得した様子だった。
自室への鍵も開け、事なきを得たが、少年は少し落ち着かないのか制服から部屋着に着替えた後もどこか宙を見て軽く唸っている。
「少年…少し落ち着きがないように感じるが」
「まあ…ね」
そう言って少年は歯切れの悪い返事をしながら腕を組み始める。
「もしかして、手帳を忘れてしまった事が関係しているのか?」
思い当たる節を一つ尋ねると、
「……うん」
そう小さな返事が返ってきた。
「どこで手帳を無くしたのか全然分かんなくてさ、心当たりが学校しか思い浮かばなくって……」
そう言いながらベットの淵に腰掛け、足を組みながら足先を小刻みに揺すり始めている。
「学校にしたってどこで手帳を出したのかさえも思い出せないんだよ……」
「なら、私に任せてくれ」
「え?」
さっきまで揺すっていた少年の足先はピタと止まり、こちらを見つめてくる。
「君の所有物なら少なからずも君のマガツヒが付着していると推測。それを辿って行けばきっと見つかるはずだ。私が今から取りに行こう」
微かなマガツヒでも少年のものなら、私なら辿り着けると自信はあった。
少年は、警察犬かな?と軽くツッコミを入れた後、
「えぇー…いいよ、いいよ、別に。面倒臭いでしょ?明日学校に行った時に探すよ」
「学校を散策するなら人のいないこの時間が都合がいい。この寮も結界を張ってくれているから安心してくれ」
それと、言葉には出さなかったが少年のマガツヒを辿る捜索だとできるだけ他者の気配が無い方が効率がいい。誰もいない今だからこそ都合が良かったのだ。
「……そこまで言ってくれるなら……お願いしていい?」
「ああ、勿論だ」
そう言ってベランダの戸を開ける。瞬間、微かに入る風と外の喧騒が部屋に流れ込んできた。
「では、行ってくる。すぐに戻る」
ベランダから外へ。飛び降り、下へ着地。しばらくの地を駆け、ビル群が見えてきたところで壁づたいに駆け登り、ビルからビルへと飛び越え、あっという間に縄印学園高等科が見えてきた。
少年との通常の登校より五倍近く早い到着だ。
学園にも勿論結界は張ってあるがベテルで造られた私の身は難なく侵入する事ができた。
夜の学園は勿論のことだがとても静かだ。
廊下を歩いても悪魔である私の足音は全く響かない。
手当たり次第に探す前に先にまずは少年のクラスを探す事にした。目を閉じ、微かに残る少年のマガツヒの気配を探る。常に少年の胸ポケットに収納されている手帳なら少なからず気配は残っているはずだ。そう考えながらマガツヒを辿っていったがどうしても少年の席から比較的濃いマガツヒの反応を感じる。
確かに、少年がいつも座っている席なのだから少なからず反応はすると思っていたが、まさか。
しかし、少年のことだからと考えると可能性も否定できない。
少年の席の机の中に手を入れると確かにペンのクリップが挟まれたままの手帳がそこにはあった。
一応と、手帳をめくり顔写真と名前を確認する。
確かに、少年の物だった。捜索はあっさり終了してしまった。
しかし、ふと疑問が生まれてしまった。何故、少年は生徒手帳をここに置き忘れたのか?
少年は普段寮の鍵を開けるか制服をクリーニングに出す以外生徒手帳は常に制服の胸ポケットに収納していたはずだ。以前の少年がそうだったかは知らないが少年と共に行動してからは手帳を忘れる事は一度として無かった。たまたまだったのか?と考えながらボールペンが挟んでいるページを何気なく開いてみたらいくつか手書きの文章が書き込まれている。
全て崩れようなひらがなだったが確かに少年が書いた文字だ。縦に流れ落ちるように書かれている文章、その全てが短歌だった。
ふたりなら いつも どこでも
しあわせで このさきおわりも くいなく たのし
あおいろと しろとあかと くろいろの
あなたのいろを おもうばかり
他にもいくつか短歌が記載されていたがあまりここで読んでは帰りが遅くなってしまう。しかし、気になった点が一つある。
最初に読んだ「二人なら」の短歌だ。
漢字に書き換えるなら、
二人なら いつも何処でも 幸せで
この先終わりも 悔いなく 楽し
…終わり、悔いなく……もしかして、これは、少年の辞世の句では?と読み取ってしまった。
「二人」とは恐らく私と少年の事を指し、「いつも何処でも」は今の私達の生活の事を指していると推定。そして、「幸せ」では少年は今の状況に対して幸福を感じていると読み取れる。これは私にとっても嬉しい事だ。しかし、「この先終わりも」からだ。終わりとは即ち、私達、いや、少年の人生を指していると予測。「悔いなく」はそのままの意味で悔いがなく、締めの「楽し」も恐らく同じような物だろう。
……つまり、この短歌から読み取れるのは、
「私達が一緒ならどこまででも幸せで、この先死ぬ事があっても後悔はなく、この人生は楽しかった」
……と読めてしまった。その瞬間、もうこれは明らかに少年の辞世の句と私の中で暫定してしまった。
少年に、私は、この様な思いをさせてしまったのか?
少年を守る為にしてきた行動は少年にとってはそうでもなく、私は、少年に死を思わせる様な思いをさせてしまったのか?
しばらく放心にも近い状態だった。外から聞こえる風の騒めきでハッと我に帰った。風の音がする窓をゆっくり、ぼんやりと眺める。段々と風が強くなっていく。何故だか私の思考も段々と良くはない方向へ進んでいく。急いで教室の窓から少年がいる寮へと駆け出した。早く、少年の元へ。私の不甲斐なさを謝罪しなければならない。急がなければ。
行きよりも荒い移動はビルの屋上のコンクリートを削り、蹴った壁はもしかしたらタイルが割れたかもしれない。路地裏を駆けた際、物が倒れる音がしたがそんな事もお構いなしで少年が待っている寮の部屋へと駆け出した。
ダン!と大きな音を立て少年の部屋のベランダに着地する。ガラス越しに見る少年は少し驚いた顔をしていた。
「ただいま戻った」
そう言いながらさっきの荒い着地とは裏腹に静かにベランダの戸を開ける。
「え?はや!一時間も経ってない!」
少年はスマホをチラと見るとまた驚いた様な顔をしていた。
少年の言葉につい壁にかけてある時計に目線を向けると確かに一時間も経っていない。どうやら長く感じた一連の出来事は思いの外短かった様だ。
「え?なんかあった?」
心配そうに見つめてくる少年に、
「心配いらない。君の手帳は無事に見つかった」
そう言いながら手帳を取り出すと、
「よかったぁー……見つかったんだ……ありがとう」
胸を撫で下ろしている少年を見るとこちらも少し嬉しくなる。しかし、私には少年に聞きたい事がある。今しか聞くタイミングがないと判断し、すぐに行動に出ることにした。
「ところで、この手帳に書かれている短歌についてだが……」
そう問いかけた瞬間、少年が勢いよくこちらに飛びついてきた。手に持っていた手帳を取り上げられて目を丸くしてこちらを見ている。
「え?え?え???読んだ?もしかして読んだ???」
早口で焦っている少年に正直に「読んだ」と答えると、「ぁ………………わぁあああああ!!!」と何故かその場でうずくまって動かなくってしまった。
「少年………」
「わぁ………………ぁ…………」
声を掛けても、うずくまったままだ。
「少年?」
もう一度声をかけてやっとこちらを向いてくれた。少年の顔が紅く、目も少し潤んでいる。
「どうかしたのか?」
「どうかしたのか?じゃねーよ!ばか!あほ!ひっ………人の!っっ……………ぅあぁぁぁ………」
そう言ってまた顔を覆い俯いてしまった。
もしかして、手帳を見た事が少年にとって都合の悪い事だったのか?それならば、あの短歌はやはり辞世の句だったのか?それならば私は…少年に死を思わせる思いをさせてしまったのか?
またその考えに行き着いた時、私は自分の不甲斐なさで申し訳なく思えてきた。
「すまない…少年……私は…」
「ばかぁ………ほんとばか…………」
「あぁ、確かに私は馬鹿だった。君を守ると誓ったのに君に死を…思わせるような不安を……させてしまった……」
「………???………はぁ???」
少年が悶絶してからしばらくした後、
正座をされられた。少年も正座をし、こちらをまっすぐ見つめている。
「アオガミ君に一つ大事な事を教えます」
「はい」
思わず畏まってしまった。
「俺は、死ぬとかそういう事は全っっ然思ってません。今もこれからもずっと。アオガミが隣にいるから死ぬ気なんてないです」
「はい」
「だからアレは辞世の句とかじゃないからね……その……なんて…言うの………?」
「?」
少年の言葉が段々と弱々しくなっていく
「ほら……人間はね…たまに……ほら……アレ……」
ここで言葉が止まってしまった。
「少年?」
余程言いにくい事なのだろうか?私に気を使ってくれているのだろうか?
「ぁ……あ…………たまにね!あーゆー事すんの!!」
急に勢いよく発せられた言葉に思わず目を丸くしたかもしれない。
「アオガミとまだ会ってなかった頃、たまに思いついた短歌とか書いてたの!今日たまたま思いついてそういえば最近書いてなかったなー……って、それでささっと書いたわけ!今思い出した!そん時だ!書いた後に先生に名指しで指名されて慌てて机ん中に隠したんだった!……ってそこじゃないないない………。………アオガミ、人間はね、自作のポエムとか詩とか短歌とか詠まれるとめちゃくちゃ恥ずかしくて死にそうになるの」
「死んでしまうのか!?」
「まだしなない!!!」
思わず出た疑問にすぐさま答えを返された。
「とにかく!………とにかくよ?もうオレが書いたポエミーな短歌読まないで、ほんとうにはずかしいから、やめてね。ほんとにほんと…………ああ、あぁ………」
そう言いながら少年はズルズルと自ら飲み込まれる様に布団の中に逃げてしまった。
布団の中に姿を隠してもまだ震えた声でああ、ぁぁ……と呻き声をあげている。
「少年」
思わず声をかけてしまった。
「なにさ?」
「たのしいと きみがわたしとおもうなら とわにきみと おもいつづける…………私も短歌を詠んだ。これでおあいこにはならないだろうか?」
もはや別の生き物みたいに布団に被さって唸ってた少年の動きがピタと止まる。
「なにそれ?」
「返歌……と言うべきか?短歌について調べた結果、歌には歌を返すものだと出た。」
動きが止まった布団の塊がモゾリと動いた。
「………なにそれ!」
次第にくっくっくっ……と笑う様に小刻みに震え、しばらくして布団から少年の頭だけが勢いよく飛び出し、笑いながらこちらを見つめてくる。
「アオガミ……」
「なんだろうか?」
「………ありがと」
一瞬、少年が何に対して感謝を述べたのか分からなかった。
「短歌は1人で読むもんだと思ってたから。……昔の人はこうして返事をしたって習ったの思い出して。忘れてた………こんなことなかったから、すごい貴重な体験したかも」
そう言いながら少年は笑みをこぼしてまた布団の塊へと戻って行った。
「……うふふ……なんか、すごいな。こんな事あんだ……ふふ………」
布団越しからきっと可愛らしく笑っているのが分かるぐらい、少年の声からは多幸感を感じるぐらい私の胸の中も熱くなる感覚を覚えた。
「どういたしまして。君がそこまで喜んでくれるなら私も歌を詠んだかいがあった」
「へへ………でも、もう二度としない。恥ずかしいし。今日だけだからな」
一瞬、最後の冷静な声色で流石にもう二度目はないと心に誓った。
私はこれ以上君に歌について言及することはないだろう。
そう思いながら布団にくるまってもそもそと現状を維持している少年を尻目に、生徒手帳に記載されていた少年の歌を全て読み終える事ができた。
そうだ、君がそうやって布団にくるまっている間も私は歌の続きを読み続けていたのだ。
恐らく私と出会う前の短歌も幾つか記されていた。それはどこか憂いてる様な…もしくは寂しいとも思える様な、もしかしたら今の私には理解できない心情を詠ったものなのかも知れない。
過去の、私の知らない君が、この世界でどう過ごしていたのか?
ここでようやく過去の君への興味というものを覚えた。
私は今まで今の君しか見ていなかったのだ。
私の知らない君を知りたい。暴きたい
君の全てを私は知り尽くしたい。
君の全てが欲しい。
欲しい?なんだ?
私が?
違う。
私が、そんなものを求めてはいけない。
……………………これ以上何も考えてはいけない。思考が一瞬止まり、なんとか冷静になろうとさっきの思考を破棄しようとした。
明らかにこれは、決して抱いてはいけない感情なのは理解している。
私は君を守ると決めているのだ、そんな私が、そんな感情を抱いてはいけない。
そう必死で考えを改めようとしながらも、少年がまだ包まっている布団を静かに撫でながらも、
今ここで君を思うがままに抱きしめてしまったら?とよくない考えを起こしてしまう。
きっと抱きしめるどころでは済まさず歯止めが効かなくなってしまうだろう………違う!
私は…
私は……………そんな身勝手な欲を彼にぶつけたい訳ではない。
…………………………やはり、造られた身とはいえ、
悪魔なのには変わりない……のか……………
思えば、君に恋をして欲しいと告げられ、私も恋を知りたいと少年に教えて欲しいと乞い願った。
それからというもの、今までの私には決して無かった欲が生まれてきた…と思う。
決してこれが恋なのだとは認めたく無かった。
少年が教えてくれた恋とはもっと明るく愛し合った二人が幸せになる様なものだ。こんな身勝手な欲は恋ではない。
恋ではないのだ。
「……少年、そろそろ就寝の時間だ」
気を紛らわそうとなんとか言葉を出そうと思った結果の会話がこれだった。
時計を見ればいつの間にか時刻は日付を跨ごうとしている。
「あ、そうなの?ぅわ!マジじゃん!」
勢いよく布団から飛び出た少年が私と同じく時計を見る。
「今日は結構長い1日だったな〜。じゃ、寝よ寝よ」
そう言って少年がベッドで私が寝るスペースを確保する。一瞬戸惑ってしまいそうになったが堪えていつも通りに少年の隣に横たわった。
部屋の電気を落とすと頬に柔らかな感触を感じる。
「おやすみ、アオガミ」
耳元で静かに少年が語りかけてくる。
「おやすみ、少年」
そうして互いに眠りにつこうとした。
私だけがまだ眠らず、静かに少年の寝息を聞いている。
今こうして隣に君が寝ている光景が私だけのものだと言わんばかりに、
ずっと寝顔を見つめていた。
こうなってくると私の夜はまだ終わりそうにない。