ちょはん 12月18日、深夜 入り口のシャッターを下ろして、外に出ると吐く息が白くなった。うみねこ座のレイトショーも終わって、通りは見慣れた輩が行き来している。彼らはすれ違う都度頭を下げてくるので、右手を半分あげてやりすごす。
12月は忙しい。神室町に殴り込みに行ったのは昨年の今頃だっただろうか。昨年も忙しかったが、今年はかなり種類の違う忙しさである。
異人町のために方々を走り回った2019年とは打って変わって、店と自宅の往復で一日を終える日が続いている。これまで『横浜流氓御用達のちょっと怪しげでスリルのある路地裏の店』から、『うみねこ座近くの知る人ぞ知る町中華』にイメージチェンジを行った効果が出てきたようで、一般のお客が増えたのだ。春日や足立のおかげで口コミで評判が広がって、流氓の若い奴らに「佑天飯店でもめごとを起こしたら……」と釘を刺したことも良かったようだ。もちろん今も流氓の若手に料理を振舞っているので、『ちょっと怪しげでスリルのある路地裏の店』という事実は変わらないのだが。
2019年は別として、これまでの12月といえば今と比べ物にならないくらいの忙しさだった。フロント会社の決算報告を聞くのはもちろんのこと、忘年会に誰かの出所祝いとイベントが重なる上に、旧正月の酒宴の手配に根回し、偽札工場は年明けの政治パーティの資金源ともあって大忙しだった。さらに年末に近づくほど、シマ内のカタギとのもめごとや小競り合いも多くなるわけで、亡き星野龍平に苦言を呈され、「あまりやりすぎるな」と、馬淵に釘を刺す毎日にうんざりすることもあった。それらのストレス解消に組織の治安維持もかねて、馴染みの店で嬢を順番に抱いて金を落としていた。こう思い返すとマフィアの総帥業というのは存外、悪知恵や腕力よりも忍耐とスタミナの方が大事だった気がする。うちが特別血の気が多いと言われればそうなのかもしれない。
これまでと比べるまでもなく、毎日が楽しい。忙しさにも種類があるのだ。
今日は家族連れの常連客からクリスマスオードブルはやらないのかと聞かれ、クリスマスに中華料理は需要があるのかと話していた。たしかに凛凛にケータリングは出しているが、いつでも食べられる町中華をわざわざクリスマスの日に食べるというのは思いつきもしなかった。自分の料理が慶錦飯店や平安樓に劣らない自信はある。だが、自分の料理を特別な日にも食べたいと思ってくれるお客がいることが予想外で、第三者から評価されるのは全く違う。佑天飯店のサンタオードブルなんてのもいいかもね、と冗談半分で盛り上がっていると、いっしょにいた子供が無邪気な顔で俺に尋ねたのだ。
「おじさんはサンタさんに何をお願いしたの?」
そう何の脈絡もない子供らしい質問で大人の話は宙に浮いて、サンタさんに最新のゲーム機とソフトをお願いしたんだとプレゼントの話が始まった。大人同士の会話に入りたくて、たまらなかったのだろう。クリスマスは来週。苦笑いする常連客は、もうプレゼントの準備をしているのかもしれない。
「そうか、ゲーム機お願いしたんだ。いいね~。おじさんは大人だからサンタは来てくれないんだよ」と返事をすると、常連客が笑顔でこう言った。
「趙さんはどちらかというとサンタ側ですもんね」と。
今もその一言がずっと頭の中でぐるぐると回っている。
サンタか。反芻するごとに、ハン・ジュンギの顔が明確になる。
今年のクリスマスは、なんやかんやで二人でつるむようになってから初めてのクリスマスである。彼とは恋人というにはドライで、友人であるとは簡単に分類できない妙な関係だ。別に恋人同士でなくてもセックスはするが、友人同士で同じことをするのかと尋ねられれば、言われてみればそうだなと考えこんでしまう。いつからこうだったのか境目が曖昧なまま、思いのほか親密な関係にまで進んでいたようだ。彼に自宅のカギを渡してから、私物が少しずつ増えていく様はなかなか心躍ったものである。
やはりクリスマスは何かした方がいいのだろうか。いや、しかし恋人同士の真似事のような付き合いを嫌がりはしないだろうか。当然自分は何かしたいと考えている。だが、彼にとっての12月と1月は筆舌しがたい違う意味で特別な時期でもある。
一人で考えたところで何も進まない。直接聞くのが早いか、とスマホを取り出して彼の名前をタップした。
呼び出し音は数回で止んで、疲れと緊張がにじむ声が耳に届く。
『どうしました?』
開口一番、どうしました?とはなんとも彼らしい。大抵はメッセージでのやりとりで通話はよほどのことがない限り行わない。俺からの深夜の電話に対して、何か緊急の要件があったと判断するのあたり、やはり恋人関係とは違う気がしてきた。
「ちょっとハンくんに聞きたいことがあってさ、今話してて大丈夫?」
一拍おいて、『えぇ、大丈夫です。移動しました』と硬い声が返ってきた。
「24日って俺の家来れる?」
『24日ですね。おそらく大丈夫かと。もし急ぎの案件であれば優先できますが』
やはり、緊急の案件が入ったと思われているようだ。深夜帯に元総帥からいつもと違う方法で連絡が来れば、身構えもするだろう。内容によっては、現総帥のソンヒに伝えられるように準備もしてそうだ。
「ぜ~んぜん個人的な確認。24日にお前の体が空いているか聞いただけ」
『は?要件も言わず先に相手の予定を抑えるとは……それ、他でやらないでくださいよ?』
「やらないよ。おわびにリクエストにこたえるからさ。俺からのクリスマスプレゼントってことで」
少々無理がある気がするが、このくらいはっきり伝えないとプライベートな用件で電話したことに気が付かなさそうだ。
『クリスマス?あぁ……そういえば24日はクリスマスイブでしたね』
少し声色が変わった。これは、まずいのだろうか。季節の行事には仕事柄詳しいのは知っている。しかし、本人に関心があるかどうかは未だに掴めていない。それに、例の騒動は12月だったとソンヒから聞いている。そっとしておいたほうがいい気もしてきた。
『もしもし?もしもし?趙さん、聞こえてますか?』
返す言葉が見つからなくて、黙ってしまっていたらしい。
「あぁ、うん。聞こえた。電波が悪かったのかな」
そんな訳がないだろうとは言わず、電話の向こうで笑い声がした。
『まぁそういうことにしておきます。でしたら、25日は一日休みなので、そのまま泊まりますね』
「うん、分かった」
『何か都合が悪ければ連絡ください。では、仕事に戻りますので。失礼します』
短い通話時間が表示された画面を見つめる。
あいつ最後、何て言った?寒さで少し曇った画面は、ハン・ジュンギの名前と通話時間を映している。
25日は一日休みなので、そのまま泊まりますねって何だ?24日に空いているかを確認することの意味も25日が一日空いていることを言葉通りに捉えられるほど、お互い純情ではない。
「趙さんはどちらかというとサンタ側ですもんね」
サンタになるつもりが、プレゼントをおねだりする子供になってしまった。
なるほど、これがプレゼントを待つ子供の気持ちかと、頬が緩む顔を伏せてタクシーに足を向けた。