ちょはん 初めての年越し(後編) 神代駅の裏のコンビニで肉まんを2個とビールを二本。袋は別々にしてもらった。
今年も恒例の年越しの花火と除夜の汽笛があるとかで、浜北公園に向かう人たちの流れに逆らって歩く。馬車街道まで出ると、ギャラクシーランドとREDパークへ向かう人波にあたる。それに紛れて流れの通りに進めば、いつもより明かりが少ないバッティングセンターが見えてきた。
ギャラクシーランドでカウントダウンイベントがあるらしい。まだ観覧車はいつも通りで、代り映えしない。そうだ今は何時だっただろうと、画面を開くと数字が23時30分に変わった。
サッカーコート横の自動販売機でたむろする若者たちを横目に、趙のもとへ足を速める。
施設の明かりが落ちた、バッティングセンターの建物の裏。絶妙にギャラクシーランドもREDパークも見えない趙総帥のお気に入りスポットは静かで穴場だった。ここに監視カメラは無い。
「遅いよ~ハンくん」
気配に聡い趙が、振り向いた。白いダウンに黒のスリムパンツの姿はいつもより大きく見える。
「コンビニに寄らなければ、もっと早く着けましたよ」
そう言って肉まんが入っている方の袋を渡すと、満面の笑みで受け取る。
「サンキュー。お、まだほんのり暖かいじゃん」
趙がご所望の肉包子は期間限定でコンビニに置くようになった中華まんだ。中華街の究極豚まんか満腹中華まん屋かは忘れたが、彼曰く、他人が作る肉包子が最高らしい。嬉しそうに袋から肉まんを取り出す様子にビールも出そうと手元に視線を移すと、白い影が視界に入った。
顔を上げると、趙が肉まんを私に差し出している。
「はい、ハンくんはあったかいほう食べな」
「え」
「え、じゃなくて。ほら、買ってきてくれたのハンくんなんだからさ」
冷めちゃうじゃん、と口を尖らせてもう一度肉まんを差し出した。
「はぁ、では遠慮なく」
受け取った肉まんはほのかに暖かい。趙は空のビニール袋を片手で器用にたたむと、ダウンのポケットに突っ込んだ。
「ほらほらビールも出して出して」
もう片方の袋を指さして催促する。手がふさがっているのでビニール袋を柵の下に置いて、趙にビールを手渡した。
「ビールもいい感じに冷えてるね~」
「まぁ、この天気なら勝手に冷えますよ」
確かに、と笑って趙が人差し指でプルタブを上げる。アルミが擦れる音に炭酸が解放された軽い音が重なって、静かな海に響いた。
「では、一年お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
「はいKP~!」そう言って趙が肉まんを掲げる。
「ふふっ。懐かしいですね。乾杯」
仲間の誰かがふざけて言った挨拶を思い出して笑みがこぼれた。つられて肉まんをぶつけて乾杯すると、趙も笑った。
「俺、きみのそういうところ嫌いじゃないよ」
「ビールはいいんですか?」
「肉包子は暖かいうちがおいしいでしょ」
「確かに」
遠くで音楽が聞こえる。まだまだ静かな海を見ながら二人並んで肉まんを食べて、ビールに口をつける。
ただぼんやりと二人で夜の海を眺めて、肉まんを片手にビールをあおる。
「贅沢だよねぇ」
「本当に」
誰もいない。誰も来ない。監視カメラもない。誰の目も届かない場所を探して走り回っていた記憶が蘇ってくる。そういえば、とその記憶を口にしそうになってビールごと飲み込んだ。
「そんなに飲んだら冷えるよ。きみは仕事中でしょ、一応」
「まぁ、いいじゃないですか。ビールの一本くらいバレやしませんよ」
「仕事に真面目な参謀くんが、すっかり不良になっちゃって」
「なんです?それ。マフィアに不良も何もないでしょう」
「そういえばそうだった。すっかり忘れてたよ」
最近の彼は、そうやって少しずつ裏社会と深い関わりを持つつもりがないこと態度にするようになった。趙天佑が横浜流氓の総帥に返り咲くことは絶対に無い。お前たちのボスはソンヒなのだと、かつての部下たちに見せ続けている。横浜流氓たちの寂しさはとてもよく分かる。私にとっても、彼は今も「横浜流氓の趙天佑」なのだ。
「ハンくんと仕事で会うことは無くなっちゃったからね」
「人では常に不足してますので、お願いするかもしれませんね」
「ま、それも悪くないかもね。一緒にいられる時間が増えるし」
聞き間違いだろうか。それは一般的に相手を口説くときの言い回しだ。意図を素直に汲み取れず、趙の表情を覗き込もうと顔を動かすと、空がぱあっと明るくなった。遅れて破裂音がボツボツと聞こえる。
「ここからでも花火見えるんだ。ラッキー」
「カウントダウン花火でしたっけ?」
続いて、低くて長い汽笛が空を震わせた。
「どうして汽笛が?」
「除夜の汽笛だけど?ハンくん聞いたことなかったの?」
「意識して聞いたことは、ありませんでした。知ってはいましたが、これがそうなんですね」
そうだと知らなければ、分からないことはまだまだたくさんあるらしい。
「あけましておめでとう、ヨンス」
「……あけましておめでとうございます」
趙がにんまり顔で私の顔を覗き込む。顔が熱いのはビールのせいだと、自分に言い聞かせながら咳払いをした。
「あまり外でその名前を呼ばないでいただけますか?天佑さん」
趙が目を丸くする。やり返せたと満足するもつかの間、私は白いダウンの内側に抱き寄せられていた。