夜は覚悟しときや「桐島さん、これお願いしたいんですけど」
差し出されたものを確認したが、おおよそ要から見せられるとは思ってもない代物だった。きみ、これ、どこで買うてきたん? 知っとったんか、存在を。
「同居人が外出から帰ってくるなり、耳に穴を開けてくれってお願いしてくる人生があるとは思ってへんかったわ」
「そうですか? 想定が甘くないですか?」
「てか、これ、耳で合ってるやんな? もしかして、臍に穴を開けろってことやった?」
「耳専用って書いてあります。ちゃんと見てください」
「なんで俺が怒られることになってんの?最初に無茶振りされたん俺やのに、上手いこと話にのってることを褒めてくれや」
「さすがきりしまさんですね」
「棒読みやねん!」
ハリセンはないので、手刀でこめかみを撫でる。なんやねん。訳がわからなさすぎる。こいつのやることにはほとんどの場合、意味があって、意図を捉えないまま言いなりになると、後で大変なことになる。
「器具はちゃんとしたところで買ってきたやつですから、きちんと消毒したら簡単ですよ。自分のピアスも自分でやってたでしょう?」
「自分と彼氏はちゃうやろ」
「同じですって」
ハハッと乾いた笑いを残して要は上着を脱いで鞄を置き、中から消毒のためのアルコールと脱脂綿を取り出した。手早く封を開け、道具を全て確かめる。
「さ、さっさと済ませましょう」
「ええけど」
「嫌なんですか?」
「嫌とは言いたない」
どちらかというと、やりたい方だ。恋人の体に公式にマーキングできる機会なんてそうそうない。ちょっと前のめりになりそうな自分もいる。が、それが落とし穴だった時のことを考えると、勇み足は避けたかった。要が本心を簡単に言うとは思えない。知り合って十年を超えたが、初手から本気を口にしたことなんてない。彼氏に向かって裏読みするなんておかしいだろうと言う奴もいるだろうが、要の二手三手先まで準備しているところが好きなのだから仕方ない。
黙る俺を眺め、不敵な表情を浮かべた要はクス、と小さく笑った。うっさいわ。きみの秘密主義が好きだと思ったばかりやのに、やっぱりちょっとムカつくな。さっさと全部言え。
「早く理由を言えって思ってます?」
「あー!つまらんつまらん。なんでそんな、分かってます感だすん?」
「俺の態度がつまらないなら、理由なんて聞かずにさっさとバチっとやってください。時間の無駄です」
「それも、つまらんな」
「面倒くさいな」
要はわざとらしくため息をついた。ほんまにこいつは小憎らしくて可愛いな。
「面倒くさいんは要くんやん」
「お願いを聞いてくれたら教えてもいいですよ」
「かーっ!なんで俺がやってもらってる感じになっとんねん!まあ!お願いは!聞くけど!なに?早よ開けろってこと?」
「いや」
強気で俺を見上げていた要は、急に目を逸らした。なんでそんな急に弱気になんねん。そんなに言いにくいことあるか? 金を貸して欲しいとか、車買ってほしいとか、そういうことか?
「ファーストピアスが終わったら、次は何が良いか分からないので、桐島さんのやつを分けてほしいんですけど……」
ああ、なるほど。
「もしかして、先月引退したから」
俺とお揃いになろうと思った?
肝心なところは言葉にせず、無言で要を見つめると、視線を受け止めた要が目を細め、薄く笑った。最小限の動きだったが、瞳は嬉しそうに輝いていた。当たりらしい。
ほんまに素直じゃないな。かわいいわ。
「ほな、この辺やな」
俺と同じ左耳に脱脂綿を当て、消毒する。
器具を耳に当てると、まさにこれから傷がつく肌がいつもに増して艶々として見えた。野球選手だったくせに、肌はいつも白くきめ細かかった。それを触って楽しめるのは自分だけだという優越感は今までももちろんあったし、今日はそれに加えて、これに跡をつけることができるのも自分だけだという高揚感があった。本当に、興奮する。初めて寝た時以来かもしれない。
「エロいなっておもってます?」
なんや、伝わっとんのかい。
「今ここで押し倒しそうや」
「一応、怪我人になるんで、直後の激しい運動は避けないといけないんですけど」
「ほな、夜やな」
「夜ですねえ」
そうか、要もやる気なんやんか。嬉しくなって耳に齧りつきそうになったが、消毒薬の匂いで我に返った。あかん、もうやってしまわな。
「いくで」
「はい」
特に抑揚のない平坦な声で要は答えた。緊張を隠しているんだろうか。いや、ここで考えても仕方ない。
再度こいつの耳に集中し、指先を緊張させ、最後に器具に力を込めると、バチン!と破壊力のある音が響いた。部屋中を震わすデカい破裂音みたいなやつだ。
でも俺は、その瞬間の要が「あ♡」と色っぽい吐息を漏らしたのも聞き逃さなかった。
なんや。隠してたんは緊張ちゃうんか。そっちか!
〆