有明のイベント「あれ、なんの集団やろうな」と桐島さんがさも不思議そうに呟いた。運転席の桐島さん越しに外を見れば、道沿いに女性たちが立っていた。しかも、道から溢れんばかりの大人数で。彼女たちは一様に大きな鞄を抱え、キャリーケースを持つ者も多い。ただでさえ荷物が多いのに、それらの鞄には多くの装飾がぶら下がっていた。
ああ、ここ、有明だっけ。
むかしむかし、高校時代に土屋さんから浴びるほど聞かされたオタク文化を思い出す。朝から並んで買うって言っていたやつだろう。ということは、あの女性たちは全員、土屋さんと同類なのか。あんな、数えきれないぐらいの女性たちが。
「宇部に聞いたら分かりますよ」
俺の回答に桐島さんは一瞬、無の顔になり、呆れたように「そういうやつか」と呟いた。どうやら理解したらしい。
「要くん、詳しいやん」
渋滞で暇を持て余している桐島さんが、道の人々を眺めながら話を続けた。
「高校時代とか、まあ、最近も会えば聞きますけど、土屋さんから聞いたんですよ」
「土屋さんって……宇部の友達っていう先輩か」
「そうです」
「さよか……あいつら、この人混みに混ざったったりするんかな?女の人ばっかりやけど」
「なんか、たしか、女性向け…?でも俺は行くって謎にドヤっていた気がします……なんか……わりと最近聞いた気が」
「はあ……訳わからんな。こんなに女の人がいっぱいおったら緊張するけどな」
「いや、桐島さんは徒歩だったら、あの中に入ってキャーキャー言われたいタイプでしょ?」
突っ込みとも、皮肉ともいうつもりはなく、ただの軽口の気持ちだった。実際、ファンに握手を求められて機嫌が良なりがちだ。だから、桐島さんも適当に「せやなあ、歩いてくればよかったなあ」ぐらいに受け流すんだと思っていたのに、彼は振り向き、不穏な笑みを浮かべた。
「いやあ、あの中に入りたかったんは、要くんやろ」
「は?絶対に嫌ですけど」
「いやいや、女子にキャーキャー言われて『俺のこと好きなっちゃった?』って言いたいやろ?」
綺麗な流し目をいやらしく細め、こちらを一瞥してから彼は運転に戻った。口元だけは、楽しそうに緩んでいる。笑い出したいのを堪えているんだろう。ここ一番で、このネタを使ったら、俺が怒るのを知ってるからな。腹立つな!
「その話、もうしないでくださいって前からずっと言ってるじゃないですか」
今日の東京は天気がいい。青は青く、雲は白い。五月の眩しさに耐えられず、背を丸めて俯いた。腹が立ちすぎて、恥ずかしすぎて、彼に抗議する声も震えている。くっそ、なんなんだよ若い頃の俺。
「ええ……せやかて、俺も言われたいもん」
「なにがですか」
屈んだ腹にシートベルトが食い込み、吐き出す声がくぐもる。聞いた桐島さんは嬉しそうにクスクスと笑いながら、俺の襟足を指で弄った。くすぐったいんですけど。
「俺のこと好きになっちゃった?なんて、俺は一度も言われたことないし」
「今さら言われたいです?」
襟足を弄っていた左手は後頭部全体に広がり、俺の頭を柔らかく撫ぜた。気持ちがいい。デカくて、硬くて、繊細なピッチャーの手が、俺の頭を大切そうに撫で回すのが、俺は前から好きだった。これも、言ったことはないが、今さら言う必要もない。
「いつでも大募集やで」
「じゃあ、帰ったら言います」
「なんでやねん。今、言う流れやったやろ」
ケラケラと大きく笑う桐島さんが、犬を撫で回すみたいに俺の頭を掻き回す。鳥の巣みたいにくしゃくしゃになるのが楽しくて、俺も小さく笑った。
〆