恵お誕生日2023電話のボタンをずっと眺めていた。さっきまで小言ばかり言っていた津美紀はさすがにもう寝たらしい。
それはそうだ。あと10分で今日が終わる。小学生は寝る時間だし、正直なところ自分も眠い。誕生日なんて諦めて寝てしまえばいいい。
何回も自分に言い聞かせているのに体は一向に動かない。先月、呪霊から金縛りを受けた時よりも酷い。あの時は頭だけが動いたから、初めての金縛りに焦ってキョロキョロ顔を振る自分を見て彼が大笑いしていたっけ。しょぼい金縛りにかかる御三家術師なんて初めて見たとデカい声で笑っていたけど、俺だって漫画みたいに腹を抱えて笑う大人なんて初めて見た。
ほら。電話なんかしたって多分笑われるだけだ。誕生日を祝うタイプじゃないだろ絶対。間違いない。
動かせばギギギ、と音のしそうな緊張した指に力を込め、電話を切ろうとしたが震える指は何故か通話のボタンを押していた。
プルルルルル。夜の呼び出し音はどうして不安を煽るんだろう。早く切らなきゃと焦るものの、金縛りのように固く緊張した自分の指はやっぱり上手く動かない。
「めぐみ?起きてんの?おねしょでもした?」
「あ……や……」
「え?なに?本当におねしょなの?」
「ちがう!」
思いがけず彼と繋がってしまったことと、つまらない揶揄い方をされたことに苛つきが止められなかった。夜中なのに大声を出してしまう。
「ふーん、そんなに否定するなら本当におねしょした?」
「だから違えよ」
不貞腐れるのもダサいと感じながら、上手く言葉が出てこない。そもそも本当に電話をかけるつもりもなかったから、何を言ったらいいか分からなかった。まさか誕生日だから祝ってくれとは言えない。そんな、恥ずかしいことを言うなら死んだ方がましだ。
「じゃあなに?子供がこんな夜中に電話してきて。なんか困ってんの?」
「大丈夫」
「ふーん。僕の声でも聞きたかった?」
そう、と肯定したくなる気持ちを抑え、唇を噛んだ。
「めぐみ?図星?さみしんぼなの?」
揶揄われているといえば揶揄われているのだが、彼はなんだか嬉しそうだった。この間のこの人の誕生日に玉犬を呼び出せたことを喜んでくれたことを思い出す。シャーペンよりも術式を喜んだ時の彼の静かな笑顔が綺麗だったことも。
「あの、ボ……」
「ボ?」
ボールペンください、と言えばいいと思いつき、即座にそんなことは言えないと打ち消し、でも会話の行き場がないことに気がついてやはりボールペンの話をした方が良いのかと迷った。だってこの間言っていただろう。俺がシャーペンを渡したからボールペンをくれると。
「ボ、ボ、ボ……」
「ボボボーボ・ボーボボ?」
「違う!」
「それも違うの?わっかんないなあ。用がないなら子供はボーボボ読んでから寝な!」
寝ろと言われた自分が黙ったままでいるのを、受話器の向こうの彼はくすくすと笑っていた。本当は俺が何で電話をしたのか分かっているのかもしれない。さっきの質問が図星だってことを。
「電話して満足した?」
ほらみろお見通しだ。俺が誕生日だってことも知っているんだろうか。知っているんだろうな。そういう声だ。あえて言わないことで俺が戸惑っているのを楽しんでいる声。
「明日、こっち来るんでしょ。さっさと寝なよ」
「うん」
「じゃあおやすみ」
挨拶なんて滅多にしない人なのに、おやすみと言って電話を切った。俺も小さくおやすみと言ったけど、もう電話は切れていたかもしれない。時計を見たらちょうど〇時だった。俺の七歳の誕生日は終わって、七歳と一日になった。
翌日、予定通り高専に行く。冬休みはしごいてやると、彼だけでなく、夜蛾先生をはじめとした大人達が自分を鍛える予定になっていた。
「伏黒」
稽古場に向かう前、家入さんに呼び止められた。促されるまま保健室に入る。
「五条から預かってるんだけど」
あの馬鹿は今日も急に外出になって、と言いながら家入さんは筆箱くらいの箱を差し出した。
受け取り、お礼を言って廊下に出た。ちょっと駆け足になってしまったような気がするけど、家入さんに気づかれただろうか。
包み紙を乱暴に除くとビリリと大きな音がした。人が少ない高専建物内では反響が大きいような気がして脇に汗をかく。しゃがんで丸まり、小さくなってから箱を覗いた。それは本当に筆箱のようで、上下に開閉する蓋がついている。そっと開けると、赤っぽくフワフワとした布の中にメタリックな紺色の棒が輝いていた。ボールペンだ。
一応、箱を裏返してみたがもちろんメッセージなんてない。誕生日を知っていたのか、この間の約束を覚えていたのか、確信のないままボールペンの青い輝きを見つめた。