『あと1枚のシール』
コンビニのレジ横で、懸賞キャンペーンの広告を見ながら降谷さんが何気なくつぶやいた。
「へえ……この水筒いいな。これ、軽くて便利そうだな」
それはただの独り言。
たぶん本人も、口に出したことすら忘れてる。
でも風見の中では、その言葉がずっと残っていた。
次の日から、お昼は菓子パンかコンビニ弁当。
飲み物は対象の麦茶。
シールを一枚ずつ、丁寧に台紙に貼っていく日々が始まった。
(あの人に水筒を渡せたら……ちょっと、嬉しいかな)
それだけで頑張れてしまうから、恋ってやつは恐ろしい。
「最近、僕のお弁当いらなくなったの?」
ある日、降谷さんがぽつりとそう言った。
風見は咄嗟に首を振る。
「い、いえ!そんなわけじゃ……最近ちょっと食欲が落ちてて……」
嘘ではないけど、本当でもない。
シールのためにコンビニ飯に切り替えたなんて、言えるわけがなかった。
降谷さんはそれ以上何も言わなかったけれど、
少しだけ、表情が曇ったように見えた気がした。
その日の午後から、なんとなく視線が合わなくなった。
(あぁ……怒らせたかも)
でも言えない。
「あなたの水筒が欲しいって言葉を聞いて、こんなに頑張ってます」なんて、あまりに子供っぽすぎる。
だから、風見は今日も黙って菓子パンをかじる。
本当はお弁当の卵焼きが恋しいくせに。
そんなある日。
ついに、ポイントシールがあと1枚のところまできた。
その夜、デスクで台紙を確認していたら、後ろから声がかかった。
「……ずいぶん真剣な顔だね。何かの資料か?」
「っ、い、いえっ、大したことじゃ!」
慌てて台紙をノートで隠す。
振り返ったら、降谷さんがじっとこちらを見ていた。
「ふーん……じゃあ、今日もパン?」
「は、はい……パン、です」
「そっか」
それだけ言って、ふいと自分のデスクに戻っていった。
風見は顔が熱くなるのを感じながら、バレたことを確信した。
数日後、水筒が届いた。
光沢のあるホワイトグレーのボディに、さらりとした質感。
手に取ると軽くて、なんとも涼しげだった。
帰り際、降谷さんとすれ違ったとき、風見は思い切って声をかけた。
「あの、ちょっといいですか」
振り返った降谷さんに、水筒をそっと差し出す。
「これ、前に欲しいって仰ってたので。僕、あれからずっと……あっ、勝手にすみません、でも……」
語彙力がふっとぶ中、降谷さんが目を見開いた。
それから、水筒と風見の顔を交互に見て、ふっと笑う。
「……これ、君が?」
「……はい」
「じゃあ、僕が欲しかったのは、この水筒じゃなくて、君のその顔だったかも」
「っっ……!」
耳の先まで真っ赤になるのが、自分でもわかった。
降谷さんはいたずらっぽく目を細めて、水筒をひと振りした。
「ありがとう。じゃあ、これは大事に使わせてもらう。でも、明日からはお弁当も復活でね。コンビニ弁当に妬くのはもうこりごりだよ」
降谷さんの背中を見送りながら、風見は思う。
今はまだ言えないけれど、いつか――「あなたが欲しい」と、ちゃんと伝えられたなら。
そんな願いを、水筒に託した。
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—翌朝、おまけのひとさじ—
翌朝、降谷はいつもより少し早起きしていた。
キッチンに立ち、慣れた手つきで卵を巻きながら、ちらりとテーブルの上の水筒を見る。
「……保冷って言ってたけど、これ……温かいのにも使えるんだよな。二重構造だから」
誰に聞かせるわけでもなく、ぽつりとつぶやく。
「そういうの、優秀って言うんだろうな。まったく、よくできてるよ……ほんと」
口調は淡々としているのに、表情はどこか、緩んでいる。
気づけば、鍋にかけたコンソメスープをひとすくい。魔法瓶にそっと注ぎ入れる。
「ま、たまには……君のこと、甘やかしてもいいか」
誰も見ていないはずのキッチンで、
ふと小さく笑った。
そして昼休み。
風見は水筒の蓋を開けて、ぐいっと中身を口に含んだ。
「っっっっっあっっっっっっち!!」
突然の悲鳴に、周囲がざわめく。
「どうした?」と振り返った降谷が、思わず吹き出す。
「……まさか、冷たいと思ってた?」
「お、お茶か水かと……!」
「ふふ。油断は禁物だね」
「っ、や、でも……スープ、美味しいです……」
「そりゃそうだ。僕が作ったんだから」
頬を赤くしながらスープをすすっている風見を見て、降谷は、手に持ったアイスコーヒーのストローをくるりとまわした。
(……やっぱり、欲しかったのはこれだ)
ポイントでも、水筒でもなくて。
この、彼のちょっと不器用な愛と、くるくる変わる表情。僕のつくった弁当をおいしそうに食べること。
——全て、僕にだけ見せてくれること。
それが、いちばん“欲しいもの”だったのかもしれない。
(終)