初夢 ヒュンケルは一人森の中で一匹の魔物を追いかけていた。
その魔物の風体は見た目はヒュンケルの身長の半分ほどの巨大な茄子だが、ツルのような手足が生えている。見たことも聞いたこともないその魔物は、導くように軽快に森を駆けている。
どれだけ追いかけたかわからくなった頃、ようやく目的地にたどり着いたのか、謎の魔物は足を止めた。
目の前には崖のような山がそびえ立っていた。山頂は雲に隠れ、全貌が見えない。
「さぁ、この山を登るんだ!」
突然頭上から声が響く。
ヘルコンドルだ。いつの間にかそこにいたのだろう、とヒュンケルは疑問に思うがそれよりも気になることがあった。
「登ると、何があるんだ」
「この山を登れば、光の国があるぞ!」
返答は足元から聞こえてきた。謎の魔物だ。
こいつ喋れたのかと少し驚きながらも、答えに納得した。
険しい山だが、登れないほどではないので山頂を目指すべくヒュンケルは登り始めた。
手足を使い慎重に登るヒュンケルに対して、ヘルコンドルは優雅に空を舞いながら追従する。それは当然の事なので気にすることは無かったが、気になるのは謎の魔物だ。何故か重力を無視して崖面を地面にするように歩き付き従っている。
ヒュンケルは不思議に思いながらも黙々と登り続ける。雲間に入り視界が悪くなるも、ひたすら上を目指す。
「もう少しだよ!」
ヘルコンドルが元気に言うが、果てが見える気がしない。
「光の国には、何があるんだ」
「なんでもあるよ!」
「光の国は全ての幸せがあるんだ!」
魔物たちは代わる代わる光の国を褒め称える。
「そうか」
そんなに素晴らしい場所なのか、とどこか他人事に思いながら、ふと何故自分はそこを目指しているのか疑問に思う。
その瞬間、ヒュンケルはじわりと腹部が熱くなるのを感じた。
「……?」
腹部を見るが特に異常は見られず、不思議に思いながら登り進めると、ようやく山頂に手がかかり、一気に登る。
「おめでとー!」
「おめでとー!」
魔物たちは山頂に立つヒュンケルの周りをクルクルと回りながら消えていった。
すると霧がかった視界は晴れ、景色が全貌を表した。
雲の上だと言うのに地面は緑に覆われ、暖かい風が優しく頬を撫でる。
緑の大地はどれだけ歩みを進めても果てが見えず、森と同じく一切の生き物が見当たらない。
たしかにここは心地の良い場所だ、と思うがヒュンケルは気づいた。
ここには、最も必要なものがない。それを見つけようとヒュンケルは走り出したが、思うように足が進まない。
不思議な感覚に戸惑うが必死に足を進める。
もう少し、もう少しでたどり着ける、そう確信した時だった。
「ヒュンケル」
背後から己を呼ぶ声がした。
求めていたその声にヒュンケルは振り返った。
ぼんやりとした頭で目を開けると、ピントのズレた恋人の顔が入り込んできた。
「ヒュンケル、良かった。目を覚ましたか」
何度か瞬きをして視界がハッキリすると、そこには酷く疲れた顔をしたラーハルトがいた。
「……ラー、ハルト?」
ヒュンケルの声は寝起きとはまた違った掠れ具合だった。
声を出すと不意に腹部に痛みが走った。
「おい動くな、傷に障る」
腹部を見れば包帯に巻かれた脇腹に血が滲んでいる。
「そうだ……魔物の群れに襲われて」
「お前は3日も眠っていたのだぞ」
段々はっきりしてきた頭で思いだす。
ラーハルトと共に異変の調査に出かけたところ魔物の群れの急な襲撃を受け、思いの外強い敵達に苦戦を余儀なくされた。
そして全て倒しきった時に畳み掛けるように巨大な魔物が現れたのだ。お互い先程の戦いでかなり消耗しており、交戦の際痛恨の一撃を食らったところでヒュンケルの意識は途絶えていた。
傷に障らないよう辺りを見回すとどうやら洞窟のようだった。こんな環境も悪く物資もろくに無い状況で看病をさせてしまったことにヒュンケルは罪悪感を覚える。
「すまない、手間をかけてしまった」
「お前を死なせるくらいなら、この程度手間でもなんでもない」
「そんなに酷かったのか」
「酷いどころか、死にかけていたんだぞ」
ラーハルトは渋い顔だ。
「もしかして、オレを呼んでいたか?」
「何度も呼んだが、一向に目を覚まさないからどれだけ心配したと思う」
「すまない……」
「生きているなら、いいさ」
はー、と張っていた気を消し去るようにラーハルトはため息を吐く。
その姿を見ながらぼんやりとヒュンケルは先程まで見ていた夢を思い返した。
恐らく、あれは夢ではなく、あのまま進んでいれば、二度とこの男に会えなかっただろう。
「まったく、とんだ年越しだ」
ラーハルトの呟きでヒュンケルは思い出した。新年を迎えるからと休みをとっていたところに急遽舞い込んだ依頼だった。どうやら眠っている間に年が明けていたようだ。
「つまりあれは、初夢になるのか?」
「なんだ、夢を見ていたのか?」
ラーハルトは訝しげにヒュンケルを見つめる。
「夢……だったのかはわからないが、天国のような場所にいたんだ」
「おい縁起の悪いことを言うな」
「でも、そこにお前はいなかった」
囁くようなヒュンケルの言葉は、静かな洞窟には充分な大きさだった。
「オレのいない天国より、オレのいる地獄を選ぶというのか」
「そんなにここは地獄か?」
「少なくともここの外にはまだ厄介な魔物が蔓延っているから、地獄と言えなくはないな」
聖水を撒いているから入ってくることはないが、とうんざりした様子でラーハルトはボヤく。
その姿にどこか笑いを誘われ、脇腹が痛むのを感じながらもヒュンケルは身体を揺らした。
「おい、笑うな。 容態が安定したならオレも少し眠りたい」
ラーハルトは横たわり、隣りに寝るヒュンケルの手をとった。
「これならもう離れないだろう」
「ああ、そうだな」
ヒュンケルは伝わる熱を感じ、どうかラーハルトの初夢に自分が出てくることを祈りながら再び眠りについた。