Puzzle「アリアハンの酒場の主人、って誰だ」
しわくちゃになった紙片を睨んで、ラーハルトが言う。
「パティだ。出会いと別れの酒場の」
論文翻訳から目をあげずに、ヒュンケルが返す。
「頭文字が合わない」
ラーハルトは鉛筆の先でテーブルを叩く。
遅い夕食後。最近、二人は古代の遊びにはまっている。
ヒュンケルが引き取ってきた怪しげな古文書に連載されていた、十字の言葉パズルだ。
キーワードから正解の単語を類推して、紙面を縦横に埋めていく。
シンプルだが味わい深い。
「魔界語の名で言い換えると?」
問われて、ヒュンケルは数秒考えた。
「女主人ルイーダ。確か」
「それだ」
満足げに最後の行を埋めて、ラーハルトは伸びをした。
完成したパズルは独特な魔族文字で彩られ、ちょっとした骨董品に見える。
「お前はやたらと魔界の風俗に詳しいな」
半分魔族の自分の方も知らないことを、ヒュンケルはよく知っている。
「割と自由だったからな」
今にも崩れそうな古書を慎重にめくって。
「特に闇の師・ミストのもとでは。光の師・アバンを打ち倒すために、魔王軍の蔵書はほぼ全て読みこんださ。凍れる時の秘法関連の古文書を含む、一部の最高機密まで――どうせ子供には分かるまいと思ったのだろう、なめられたものだ――それに、時には魔界の都市圏での散歩も許された」
あれは優雅な散歩よりは死の予行演習と言った方が正しいかな。
軽い調子で呟くヒュンケルに、ラーハルトも興味なさげにふうんと答える。
「俺とは逆だな。バラン様は最高の訓練と教育を施して下さったが、俺が妙な世界に心惑わされぬように、常に気を配っていらっしゃった。一人で街に出るなどもってのほかだ」
言ってしまってから、こめかみを押さえた。
なんて大それた考えだろう。
主が、拾い子の自分を、我が子のように見てくれていたなんて。
「そうだろうな」
が、ヒュンケルはあっさり肯定する。
「実は、最初にお前と相対した時から感じていた。お前は、少し俺とは違う」
苦めの茶を啜って、数単語を書き写す。
ラーハルトは鉛筆を削りながら、耳を傾けている。
「バランは、ミストとは違う。やはり、親だったんだ。人の心を持つ」
隙間風に弱った蝋燭の炎を、掌で覆い回復させた。
「親は子を、その羽のもとに守るもの。少々の束縛は、愛の証だ」
束縛など、と言い返そうとして、ラーハルトは黙り込む。
みぞおちのあたりから、じんわりと温まってくる。
「羨ましいよ」
ぱたんと書を閉じて、ヒュンケルは頬杖をつく。
「俺がいつ死んでも、代わりはまた見つければいい。彼にとって、その程度の存在だったわけだから」
ラーハルトは相棒を見た。
一瞬、奇妙な錯覚に脳が揺れた。
ヒュンケルは今、どちらの師のことを言ったのだろう。
「まあおかげで、常識はずれな鍛錬を潜り抜けて成長することができた。感謝している部分もある」
からりと言い放つ元不死騎団長に、ラーハルトは脱力する。
「……お前は滝壺に落としても溶岩に落としても生き延びそうだな」
「よく言われる」
「拾い上げるのが厄介だ。俺なら首輪をつける」
「嬉しい」
ヒュンケルはひとしきり笑った後、もう一度「嬉しい」と言った。
さ、寝るか。
力尽きつつある蝋燭を吹き消して、ついでにラーハルトの額にキスを落とした。