嫉妬の手紙「…手紙、か」
側近のロゼという肩書きの男が差し出した手のひらほどの小さな便箋。封蝋は剥がされており、一度ロゼが中身を確認したことが伺えた。誰からだろうと差出人を見ればああ、あの子かと容姿を思い出して口元が綻んだ。
しかしその微笑みとは真逆にロゼの顔は険しく、こちらを見つめる目は不機嫌にくすんでいて。
…さて、中身は。そう封筒を覗けば折り畳まれた紙が2枚ほど収まっていた。
慎重に開きながら一字一句丁寧に読み進める。2人の間には無音の空間が広がっていた。王様の目が徐に伏せて、長いまつ毛がゆっくりと瞬きをする。それだけで絵になってしまいそうだ。
ロゼはそんな王様の姿をじっと見つめ、王様がふっと肩の力を抜いて椅子の背にもたれかかったところで紅茶の入ったティーカップを目の前に置いた。
「…ロゼ」
「殿下。そんな目で私を見るのはやめてくださいませんか」
愛おしいものを見るような。優しげな笑みを浮かべてロゼを見上げると余計に頬を膨らませた。その表情がお気に召したのだろうか、王様はふは、と笑いを漏らす。
「お前も可愛いものだな。この手紙一度読んだのだろう?」
ひらひらと一枚の白い紙を揺らせばロゼはため息をついて首を縦に振った。私的に来た郵便物は危険物がないかと一度目を通すのは当たり前だった。民に親しい王様だからこそ、紛れてくるものもある。開封したことを告げているのだからわかっているくせにわざわざ訪ねてくるのは性格が悪い。
「…だから殿下にはこの手紙を渡したくなかったのです」
むす、と普段は崩れることのない美麗な顔が歪み、目を逸らされる。口を尖らせて明らかに拗ねる仕草を見せたロゼを、まあまあと宥めティーカップに口をつけた。
「覚えているだろう?最近あの路地で助けた女児だ。ロゼのような紫色の髪でオレのような瞳をしていたな。鮮明に覚えている」
そうやって王様は思い出すように頬杖をついた。数週間前、2人が街に出た日にその少女は路地裏で倒れていた。高熱を出していた彼女を見過ごすことはできず、近くにあったロゼの幼馴染が営むカフェに連れ込み無理言って介抱させたのだ。その女児は無事だったようだがロゼは幼馴染にこっぴどく怒られたらしい。そんな話を思い出して王様はふふと微笑みを絶やさない。
「ええ、覚えています。しかし殿下。お返事を書くおつもりで?」
「もちろん、書くぞ。せっかく送ってくれたんだ。それにこんなに熱烈な愛を向けられては無碍にはできんからな」
その手紙の中にはまだ拙い文字列の中に精一杯の言葉で綴られた確かな好意が含まれていた。王にラブレターを送るなんて度胸のある子供だと言えば、それが嬉しいんだと返された。
「愛することは簡単だ。愛されるのはそう容易ではない。だからこそ、こうやって目に見える形で伝えてくれるのはオレは好きだ」
「…断ってくださいね。万が一冗談でも殿下があの幼児を相手に取ると噂されれば私たちも、あの子も困ることになる」
ロゼはそこにあった書類に手をかけながらそう言った。庶民を、自分より何歳も年下の子を愛妾にするなどありえない。それは理解しているものの何をやらかすか想像ができない王様に釘を刺した。
「当たり前だ。彼女の声は嬉しいが、オレには彼女よりも大切なものがあるのでな」
「…聞いても?」
「無論、この国の全てだ!オレはこの国の全てを愛し、皆が幸せになれるようにするのだから」
その声にロゼは王様らしいと笑った。当たり前だ。この国の平和と安寧を願わなければ、そのために動かなければ、民の幸せなんてない。
「さすがですね」
「そうだろう。理想論とはいえオレの夢は終わりがない。それを1人で行うにはだいぶ荷が重いだろう?」
「ふふ、殿下は全く……私はこの命尽きるまで永遠に支えると決めたのです。共にどこまでもついていきましょう」
わざとらしく片膝を立てて彼の手の甲に口づけを送れば王様は満足そうに頷いた。
「もちろんだ。オレが道を間違えた時、殴ってでも止められるのはお前しかいないだろう」
「…相当根に持っているようで。あの件は無かったことにすると約束したではありませんか。殿下も私も正気じゃなかった」
だいぶ昔の話を持ち出されてむくれるロゼを笑い飛ばせば釣られてロゼも表情を崩す。
「はは、冗談だ。とにかく彼女との交際はしないさ。億が一でもありえない。オレはこの国王だからな」
とりあえず返事を書こうとペンにインクを浸し、まっさらな白紙を黒く汚していく。その様を眺めながら底の見えるティーカップを下げた。
「もし殿下が王という身分をまとっていなければ彼女とはお付き合いをしたいと思いますか?」
「…もし、の話は何も生産しないぞ?」
「失礼しました…では私は片付けに行ってまいります」
かちゃ、とカップを少し乱雑に扱ったのか音を一つ鳴らして部屋から退散した。その背中を一瞥して王様はため息をつく。
「あんな顔されたら頷くわけがなかろうに…」
整った顔は少しばかり歪み、その瞳に映るは嫉妬の輝きだった。あの顔をそんなにまで崩すのはそう容易いことではなくて、稀にしか見せない嫉妬を浴びて王様はまた小さく息を吐いた。
「ああ、まだオレはこの国、みんなの王だ。早く…早くお前だけの“司“にしてくれないか、ロゼ」
ただ1人取り残された部屋の中でカリカリとペン先の擦れる手紙には彼女の想いへの感謝と断りを続ける。
「意気地なしというか、怖がっているというか…はあ」
王様はピタリとその手を止めた。ピリオドは滲み、シミになってしまって。書き直ししなければ、とまた新しく白紙をもらおうと手を伸ばした先にはロゼがいなくて。この程度のシミなら気にしないかと書きかけの手紙に視線を戻す。
「いつになるやら」
そう呟いてインクの垂れたペンを握り、再び先を滑らせた。いつになればその口を滑らせてくれるのかと王様はその顔に微笑を浮かべながら、彼女の名を綴った。