【飯P】覚えているか? 荒野の夕空は、いつも極限まで煮詰まっている。網膜を灼く茜色が、色の少ない大地をひととき溶岩流のように染め上げる。
砂と石、岩と風しかない、うら寂しく殺風景な荒野。けれどここは、僕にとって特別だった。
「やっと来たか。十四時と言わなかったか?」
大小二つ並んだ岩に腰掛けて、ピッコロさんが僕を睨みつける。夕陽を背負っているせいで、その姿の輪郭がくっきりと眩しくて、幻のようだった。
「すみません、仕事のトラブルで……久し振りに来たくなったんです、ここ。組手するには遅くなっちゃいましたね。待ちぼうけさせて、本当にごめんなさい」
「まぁいい。瞑想はどこでも同じだ……それよりこの岩、覚えているか? お前がいつも、座って泣いていた」
僕が近付く前に、ピッコロさんが冗談めかして言った。懐かしい。そう、その岩だ。子供の頃、修業の成果が出ないことに苛立って、投げ出してしまいたくなると、いつもこの岩に座っていた。
「……泣いてたっていうのは、思い違いじゃないですか?」
「いや、毎回おれが見に来ると泣き顔で『できません』と」
「それは言った、気もしますけど……」
思い返すと恥ずかしくて、つい笑ってしまう。ピッコロさんも、口元だけで笑ってくれた。
地平線を真っ赤に塗り替えた落陽が、二つの岩と、そこに腰掛けたピッコロさんの影を長く長く伸ばしている。
「お父さんと三人で修業してた頃も、一度、抜け出しましたよね、僕。あの時もピッコロさん、迎えに来てくれた」
「お前が逃げ出すなら、この荒野のこの岩だと思ったんだ」
「覚えてますか? その時に僕『ピッコロさんのこと、好きです』って言ったの」
荒野の風は、あの頃と変わらず力強かった。砂埃を巻き上げ、冷たい鳴き声を上げる。
「今思えば、子供の苦し紛れの誤魔化しみたいですよね……ピッコロさんも、軽く流してたし」
その時だけではない。これまで何度も、今なら言える、という時に思いを伝えたが、いつだって冗談にしかとられず、流されてきた。ところが、当たり前だ、と笑うかと思われたピッコロさんは、意外にも静かに首を振った。
「……流していない」
「え?」
「受け止める準備が、できていなかっただけだ」
顔を上げると、視線が交わる。からかうでも、茶化すでもない、涼やかな目だった。
「……でも、尊敬とか、憧れとか、そういう『好き』じゃなかったんだけど」
「わかっている……今は、どうなんだ?」
不意を突かれて、つい言葉に詰まる。とはいえ、こんなチャンスに、このタイミングで、逃げるわけにはいかなかった。
「好きに決まってます」
言い切ると、ピッコロさんは立ち上がって僕の隣まで歩いてくる。そして、かつて僕が座っていた岩を振り返り、暫し口をつぐんだ。
「前から思っていたが、言い方が分からなくてな」
受容なのか、拒絶なのか。何を言われるのか、緊張のあまり喉がからからに渇く。手のひらが汗ばむのに、指先は冷えていく。
「……口説き方が雑だな、お前は。いつも、勢いばかりだ」
数秒間、言葉の意味が理解できなかった。そのくらい穏やかで、普段通りの口振りだった。
「ちょっと……待って、ちゃんといつも、毎回、伝わってたってこと?」
「また勢いで言っているな、と思っていた」
ピッコロさんは今度こそ皮肉に笑って、向き合う僕の手を取った。しげしげと眺め、大きくなったな、と呟く。
「……僕が昨日『荒野の二つ並んだ岩』って誘った時も、僕が泣いてた場所、って覚えてたんですか?」
「いいや。お前にはじめて雑に口説かれた場所、と覚えていた」
日が沈み、天頂から降りてくる紺が、夕焼けの橙を塗りつぶしていく。ピッコロさんの手の温度は、あの頃とは少し違う気がした。それはきっと、僕が大人になって、抱えている想いも大きく変わったからだろう。
「あの、それで、返事は?」
ピッコロさんは顔を上げて、僕をじっと見た。握っていた手を、なんの未練もないようにぱっと離す。
「おれがたったいま言ったことを、覚えているか? 雑な口説き方で、いい返事がもらえると思うなよ」
「じゃあ……雑じゃなければ、いい返事がもらえるんですか?」
思わず口を尖らせた僕をちらと見遣り、ピッコロさんの指先が僕の頬に触れた。やさしく撫でるような動きに、僕は咄嗟に固まる。ピッコロさんの瞳が、薄暮の中に甘やかに撓み、微笑の形を作る。
「やってみるんだな」
今日は帰る、と振り返って、ピッコロさんはたちまち去ってしまう。
僕は触れられた頬の熱さと、言葉にもたらされた混乱で、並んだ岩にふらふらと座り込んだ。今は泣く気にも、「雑じゃない口説き方」を考える気にも、なる余裕がなかった。