言葉の代わりをずっと探して 立香と付き合ってもうすぐ1年が経つ。思えば恋人になる前の時間の方が長く、まだ1年かとも思った。恋人らしいことも少しずつ慣れていき、それに伴うように会話が少し減った気がする。喧嘩をするほど仲が悪いわけじゃない。ただ時計塔での研究が忙しいことも相まって、二人で過ごす時間も減ってしまったのだ。このままじゃダメだと心の隅ではわかっているのに、研究に明け暮れる自分を止めることができなかった。
そんなある日の昼休み。初夏手前の春が少し残る気候。麗らかな日差しの元、カドックは珍しく時計塔の中庭で昼食をとっていた。このところ研究が行き詰っており、たまには気分転換が必要だと思ったからだ。
しかし慣れないことはするものじゃないと思った。中庭にはそれなりに人がいる。喧騒も相まってうるさく感じた。盗み聞ぎなどするつもりもなかったが、ちょうど後ろのベンチから話し声が聞こえてくる。
「でね、彼氏が全然がかまってくれないの。ほんと寂しくてさ、もう浮気しちゃおっかな」
思わず吹き出しそうになるサンドイッチ。それを流し込むようにペットボトルの水を飲んだ。――あまりにも、あまりにもだ。自分と似ている気がして、ついこの後の会話に聞き耳を立ててしまう。
「最初こそあんなにイチャイチャしてたのに、最近は仕事が忙しいって。でも休日もあるんだよ?そんな日も家でゆっくりしててさー」
ここ最近を振り返ってみれば、自分に当てはまり過ぎて嫌気がさした。自分にとっての休日は、週に1回の日曜日だけ。そんな日を立香に充てることもなく、最近ではもっぱら疲労を拭うために使っている。――思い返してみれば、同棲し始めた頃は、よく2人で遊びに行ったものだった。ふとよぎる立香の笑顔。太陽のように明るくて、キラキラとしたあの笑顔を最後に見たのはいつだったのか。思い出せない自分が情けない。
「たまにはどこか連れてって欲しいしさ」
ここ数か月、2人で出かけた記憶を漁る。やっと見つけた心当たりは買い物に行ったことくらいだ。
「たまにちょっと出かけるのにおめかししたって、買い物に行くのにそんなに用意しなくてもっていうんだよ」
思わず握っていたペットボトルをぐしゃりと潰した。その男側の意見には心当たりがある。口にこそ出してないが、なぜ日用品の買い物で、そこまでめかし込むんだろうと思ったことがあった。あれは立香にとってはデートだったのかもしれない。その時の僕の恰好は――なんでもない部屋着だった気がする。
「あげく記念日も忘れるの、もう最低だよね」
大丈夫、僕は覚えてる。スマホに入った共有カレンダーに立香が入れてくれたのだ。だからこの男よりはましだ。うんうんと頷きながら、ふと冷静になる。――僕は何に対して弁解しているんだろう。1年の記念日は立香が入れてくれたが、半年前はどうだったのか。何気なく『もうすぐ半年経つね』と言われた時、言われるまで忘れていた自分がいたのは事実だ。
結局この会話の男と変わらない。そう思えば、この会話を聞き始めた時の『浮気しようかな』という言葉が鉛のように重く感じる。他人事ではないのだ。想像すると気が気でなかった。
立香に忙しいを理由に寂しい思いをさせたのなら、すぐに謝罪しなければいけない。きっと今気が付いて落ち込んでいる僕よりも、立香の方が辛かったはずだ。まだ残るサンドイッチを口に無理やり突っ込み、咀嚼もほどほどに飲み込んだ。勢いよくペットボトルを捨て、走り出す。目指す場所は自分の研究室。昼休みすら謙譲して、今日はどうにか早めに帰るのだ。
***
夕暮れの中、カドックは焦った。本当ならもっと早く帰る予定だったのに、行き詰った作業に足を取られ時計を見れば時刻は19時。まだギリギリどこかのお店は営業しているかもしれない。時計塔の階段を駆け下り、街中に走りでる。謝罪もかねて何か手土産を買いたいのだ。しかしキョロキョロと見回しても飲食店ばかり。ここじゃダメだと思い、スマホの地図アプリを使えば雑貨屋を見つけた。
――ここだ!
全速力で走り出す。そんな自分に街ゆく人々から視線を感じつつ、流れこむように店の戸を開く。中には女性店員が一人。肩で息をする自分を見てぎょっとした。しかし店員など気にしていられない。店内を見回って早く立香が喜びそうなものを探す。
一体何がいいんだ。綺麗に陳列された商品は見慣れないものばかり。女性に贈るプレゼントのセンスなんて、僕は持ち合わせていない。立香にも今まで贈ったものは、確実に使ってもらえる実用品ばかりだ。アクセサリーなどは手に取ったことすらない。それに率直な感想をいえば、何をつけたって立香は可愛いい。この店に並ぶどの商品も立香に似合うと思う。そう思えば余計に決めることができない。悶々と決めあぐねていれば、後ろから声をかけられた。
「誰かへのプレゼントですか」
その声はさっき目が合った店員のものだった。ずっと店内を見回る自分を怪しんだのかもしれない。申し訳ないと思いつつ、それでも女性の店員であれば何か意見を貰えるんじゃないかと期待した。向こうだってビジネスで営業しているのだ、普段なら声かけなどお断りだが今は是非お願いしたい。
「恋人へのプレゼントを探してて……」
「あら! どんな恋人さん?お写真とかあれば見繕いますよ」
店員のその言葉に急いでスマホを取り出した。しかし写真を見ても立香の写真は見当たらない。思えば立香ばかりが写真を撮っていて、自分は写真なんて撮っていなかった。――いや、厳密には撮っていた。付き合った当初は彼女の顔を見たい時に見たくて、撮っていた気がする。こんな時でさえ自分の不甲斐なさを痛感した。今更さかのぼっても時間が掛かるのは明白だ。仕方なく立香の連絡先を出した。顔写真をアイコンにしているので、これなら問題ないだろう。
「まぁ、素敵なお嬢さんですね。普段、お化粧とかはされてますか」
「そうだなぁ……」
正直化粧なんて、どういうものかもわからない。立香が何かを顔に塗っている姿を何度か見てきたが、それが何かはわからなかった。色々塗るんだなと、身支度を待っている間に思った事がある。これじゃ参考にならない。
他に何かないかと、過去を振り返ってみれば立香がリップを塗っていた姿を思い出す。
「……よくリップを塗っていた気がします」
なぜかは分からないが、唇はちゃんとケアしたいと言っていた気がする。他にもたまに色づく唇にどうしても目がいくことがあった。あれはなんだったんだ……。そう考えた所で、店員が答えを出すように提案してきた。
「ならルージュはどうでしょう」
案内されるがまま商品を見れば、それなりの数の口紅が規則正しく陳列されている。しかし何度見ても、色の違いがわからない。唯一、視界の中で信用できるのは刻まれた品番だけだった。金色に掘られた数字は、並ぶ口紅のどれもが、違う色だと僕に主張してくる。僕には全く分からない領域だ。迷うように口紅の群れの上で手を泳がせる。そして手に取ったのは無難な色だろうと思った、真っ赤な口紅だ。
「そちらの真っ赤なルージュもいいですが……」
店員の反応から察するに間違えたのだろう。手に取った商品を恥じながら置けば、次はどれがいいんだと考える。そんな様子を見て店員は3つほど口紅を出した。
「このコーラルピンクとオレンジレッドとピーチピンクなんてどうでしょう」
「似合うと思います。どれが一番いいですか」
間違えるくらいなら詳しい人に従おう。極めて正しい判断だ。しかし店員は首を振った。
「これは貴方からのプレゼントです。この中ならどれもお似合いになると思うので、似合いそうなルージュを取ってください」
並べられた3本の口紅を見ても、コレと即答はできなかった。正解しかない色の中で自分が選ぶのであれば、納得する理由を持って選びたい。それぞれを手に取り、想像する。色に疎い自分でもオレンジレッドは他2つと違う色だと分かった。立香の髪と近い色だ。多分似合うだろうが、無難過ぎる。選択肢から消そう。
じっと残り2つの口紅を見る。しかし何度見たところでコーラルピンクとピーチピンクの違いなんて分からない。わからないなら詳しい人に聞くまでだ。
「これとこれの違いがわからない……」
「この二つを比べるのならコーラルピンクは活発なイメージで、ピーチピンクは優しいイメージですね」
「ならコーラルピンクで」
即答だった。立香は活発なイメージがよく似合う。
「ラッピングしますね」
そう店員は残して、可愛いらしい小さな紙袋に入れてくれた。会計を済ませて、さて帰ろうと思えば店員が声をかけた。
「今の時期ならバラが綺麗ですよ。向かいの花屋は私の友人の店なので、何か特別な日があればぜひどうぞ」
特別な日。思わずもうすぐ来る記念日が思い浮かんだ。店員に会釈をし、街に駆け出す。時刻は19時半。少し長居してしまったかと思ったが、それに見合ったものは買えたと思う。慣れた帰り道に戻って走る。帰ったらなんていおうか。そう考えるも中々いい言葉は出てこない。とうとう着いた玄関で、息をなるべく整えた。鍵を取り出そう鞄を漁れば、日が沈んで暗くなったせいで、中々見つからない。少し苛立ちながらも、やっと鍵を掴んだところで玄関の電気がパチっとつく。
「どなた?」
警戒するような立香の声だった。玄関前でごそごそとする影に怪しんだらしい。ここですぐに扉を開けなくなったことが、昔と比べれば成長といえる。きっと付き合った頃の立香なら不用心に開けていただろう。
「僕だよ」
「えっ、カドック? 待ってて今開けるから」
ガチャリと回る鍵の音。扉が開かれれば、部屋着にエプロン姿の立香がいた。鼻腔をくすぐる料理の匂いが空腹の腹を刺激する。驚く立香の顔が、罪悪感を掻き立てた。こんな顔をさせたのは、毎日夜遅くに帰ってくる僕のせいだ。
「ただいま」
「おかえり、早いね。しかもなんか……走ってきた?」
なるべく恰好を付けたくて息を整えたが、立香には見破られてしまう。
『君に早く会いたくて、走って帰ってきた』そういえたら、きっとこんな状況には陥っていないだろう。
「まぁな」
ぶっきらぼうにそう返し、部屋の中へと入る。すると立香が見慣れない紙袋をしげしげと見つめてきた。気になるのだろう。食事の後にと思ったが、喜ぶ姿を早く見たくてその場で立香に手渡した。
「ん」
「えっ、なにこれ」
立香が渡された紙袋を開け、中に可愛くラッピングされた小箱を取り出した。リボンを丁寧にほどけば、さっき自分が選んだ口紅が出てくる。立香の反応が気になって、顔色から読み取れる情報を必死に探した。しかしどう見ても喜んでいるというより、驚いている顔をしている。そんな反応じゃ、言おうと思った言葉が出てこない。誤魔化すように、立香の顔から目を反らした。
「なんだよ、気に食わなかったら捨ててくれ」
「そ、そんな勿体ないことしないよ!」
立香が口紅の蓋を開け、慣れた手つきで軸を回した。出てくる色は彼女に似合うと思って選んだ色。あの店員の言葉を借りるなら活発なピンク色。その色を見て立香は見惚れるように、息を漏らした。
「ねぇ、これ塗ってきてもいい?」
「あぁ」
「ちょっと待っててね」
パタパタと足音を立て立香は洗面台へ向かった。その間に鞄を置いて、ソファーに座り込む。ぐしゃっと髪をかき、聞かれないこといいことに、長い長い溜息が口から出た。
立香の驚いた顔を思い出す。こんならしくないことをするんじゃなかった。口紅じゃなくて、ボールペンとかにすればよかったんだ。それならきっと使ってくれただろう。謝るタイミングすら逃して、僕は何をしてるんだ。
俯いて、後悔を紛らわせるように、組んだ手を手持ち無沙汰に動かした。すると忙しない足音と共に、立香の声が聞こえてきた。
「ねぇねぇどう?」
キャッキャッと笑いながらその勢いでソファーの隣に座り込んで、腕まで組まれる。さっきとは全く違う表情に驚いて言葉に詰まった。立香の唇はさっき渡した口紅に染まって、よく似合っている。その唇を見て、自分が選んだものを身に着けてくれる嬉しさを初めて知った。それに合わせて久しぶりに見た屈託のない立香の笑顔。胸がどんどん熱くなる。その笑顔をもっと見たくて、顎を持てば立香の頬が口紅と同じ色に染まっていった。
「あのっ」
困惑するような声に、感想がまだだったと思い出す。
「うん、似合ってる」
心の底からそう思う。なのに立香は不服そうに見つめ返してきた。
「そこはキスじゃないの……?」
久しぶりに見る恥ずかし気な顔。その表情には期待の眼差しが混じってる。いっそこのまま押し倒してやろうかと思うも、ご飯前だ。しかし恋人に期待されて裏切るほどの酷い男じゃない。ちょっとくらいならいいだろうと欲に従った。
「お望みなら」
その言葉と共に塞がれる唇。ぬるっとした感覚が、まぐわいを思い出させ、興奮を掻き立てる。ついもっとと思い舌まで絡めようとしたところで立香が拒否するように胸を叩いた。
「そういうのは……ご飯の後ね」
そんな言葉を口にするくせに、すっかり欲に塗れた目をしている。こちらを上目遣いしながら窘める姿は、煽ってる自覚がないからたちが悪い。
「わかった」
沸き立つ欲をぐっと抑える。せっかく早く帰ってきたんだ、立香と一緒にご飯を食べることだって大事だろう。今まで立香にしてきたことを思えば、己を律することくらい受け入れる。
「ふふっ、カドックの口にも口紅ついてるよ」
いわれて唇を拭けば、ほんのりピンク色が指についた。
「お揃いだな」
「そうだね」
クスクスと笑う立香。普段なら男に口紅がついてるなんて恥ずかしいと思うのに、不思議と恥ずかしさを感じなかった。
さぁ晩御飯を食べよう立香と一緒に立ち上がる。2人で食事を運び、テーブルを囲った。他愛話のない話が心地よくて、こんな日常すら忘れていた事を悔やんだ。
これからはもっと早く帰ってこよう。毎日立香にただいまのキスをしよう。そして今日のように毎日一緒に晩御飯を食べるんだ。
笑う立香の顔を見て、そう強く誓った。
***
「そういえば、いきなり口紅を買ってくるなんてどうしたの?」
お風呂上りにソファーでくつろいでいたら、片付けが終わった立香が後ろから話しかけてきた。理由なんて、素直に答えられるほど純粋なものではない。自分の今までしてきたことに罪悪感を感じて、プレゼントを買ったのだ。多分謝るならこのタイミングだろう。それなのに、口をついたのは無難な言葉だった。
「似合うかなって」
変な意地を張ってしまった。謝ろうって思ってたのに。そんな落ち込む様子が後ろにいる立香からは見えない。何も気にしていないように続けた。
「ふーん。ねぇ口紅を送るのって意味があるの知ってる?」
「いや」
知るはずもない。何せ店員にどうかといわれて買ったのだ。あの時、別のものを進められたら、別のものを買ってただろう。
「キスしたいって意味なんだよ」
こそっと立香が耳打ちする。思わず耳を押さえて振り返ると、いたずらっ子のような顔をして舌を出す。その顔に仕返しをしたくて顎を掴んでキスをした。すると、むしろ立香はお望みだったと言わんばかりに舌を絡める。
「キスしたかった?」
吐き出す吐息と共に投げられる質問。その言葉にゴクリと喉を鳴らす。
「したかった。ほら、こっちこい」
立香は生娘ではない。その合図がどんなものかも知っている。だからこそ、ひらっとその手を無視した。
「やだ、カドックがこっちきて」
その方向は寝室だ。してやられたと思った。ふらふらと立ち上がり立香の方へ向かえば、満足げな笑顔と両手が差し出される。
「ふふっ、きたきた」
「あぁ来てやった。来てやったから、次は立香の番だな」
「うっわ。たまにカドックって変態になるよね」
ひょいっと抱きしめた立香を持ち上げれば、抵抗することなく立香はベッドに運ばれる。久しぶりの接触にドキドキしながらもその胸は期待でいっぱいだ。
「いいだろ、立香にだけだから」
その言葉を最後に口を塞ぐ。甘い夜の始まり。久しぶりの時間に二人はゆっくり溶け合った。
***
『立香、今日は早く帰るから晩御飯は作らず待っててくれ』
カドックのその言葉を思い出す度に頬がにやけた。今日は記念日なのだ。覚えているか不安だったものの、その言葉から今日はディナーに行くことが確定して舞い上がる。
いつもと違って、スーツを着て時計塔に行くのは驚いたが、その様子から察するにそれなりの恰好をした方がいいんだろう。ドレスコードがあるかどうかを教えてくれないのはカドックらしかった。多分彼、今日のディナーのデートにかなり気合を入れている。でなければ、伝達ミスなど起こさない。
カドックはあの口紅をくれた日から早く帰るようになった。忙しい日々に会話も減って、少し寂しいと思っていたところだ。そんなタイミングでこの変化。きっと何かしらのきっかけがあったんだと思う。一体何があったのか聞いてみても、はぐらかされてちっともわからない。――多分、言いたくないだろう。申し訳なさそうな顔をするくせに、謝ったりはしない。その代わりもう寂しさを忘れるくらいには一緒にいる時間を作ってくれた。それが彼なりの謝罪だったのかもしれない。それなら口先だけの謝罪より、ずっと誠実なものだった。だからもうそれ以上は、そのことに触れないようにした。それが私なりの許しだった。
「んーこれは張り切りすぎ?こっちは露出が多いって前いわれたから……」
今は鏡の前でファッションショーの真っ最中。どうせなら可愛いといってもらえる服を着たい。とはいっても手持ちの綺麗なドレスなんて限りがあるもので、昔作ってもらったシンプルなドレスに落ち着いた。
ドレスが決まったら次はヘアメイクだ! そう意気込むも、化粧やヘアアレンジに詳しいわけじゃない。スマホで一生懸命に調べれば、あぁでもない、こうでもないと苦戦する。ようやく全ての支度が終わった頃、ちょうど玄関が開く音がした。一体どんな反応をしてくれるのか。期待に胸膨らませ、緩む頬を携えてながらドアを見た。
「ただいま、むかえに……」
目を見開くカドック。服や髪までおめかしした様子に息を飲む。そんなあからさまな反応をされれば笑ってしまう。
「ふふっ、見すぎだよ。どう?」
「すごくいい。……これで勘弁してくれ」
欲しい反応を貰えて満足するように笑みが零れる。口下手な感想は照れ隠し。勘弁してくれというのは、あまり容姿を褒めるのに慣れてないから。カドックはこういうおしゃれに疎い。どれを着ても変わらない、似合うというのだ。普段そんな彼が選んだ言葉だと思うと胸がじんわりと熱くなった。
「立香、渡したいものがある」
「ん?」
渡したいものとは何なのか。何やら玄関に取りに行ってるようだった。気になりながら大人しく待っていれば、カドックはすぐに戻ってくる。後ろに何か隠すように歩きながら、その顔は照れるように赤かった。
「らしくないって思うんだ。べたな男だと笑ってくれ」
そういって差し出されたのは真っ赤なバラの花束。その中にはメッセージカードつき。
【最愛の立香】
思わず口元を押さえた。こんな事をしてくれるとは思ってもみなかった。目の前のカドックは早く受け取ってくれと言わんばかりの顔で、羞恥心に耐えている。きっと今日という記念日に、無理して喜ばせようとしてくれたのだ。こんなサプライズがあるなら、ドレスコード伝えそびれたって無理はない。きっと朝からこの花束で頭がいっぱいだったんだろう。
「ありがとう」
受け取ったバラを大事に抱えれば、ふんわりといい匂いがする。
「バラって本数に意味があるんだろ」
ぎこちない言葉に、思わず笑ってしまいそうだった。
「そうそう。私も詳しくないんだけど、これって……5本だね、どういう意味なの?」
分かりやすく話を振った。あのカドックが薔薇の本数の意味に詳しいわけがない。きっとこの花束を作ってくれた親切な花屋が教えてくれたんだ。だから敢えて、この本数にしたんだろう。
「……。……さぁ、僕も詳しくない」
言葉を飲み込んだのが分かった。踵を返せば髪から覗く真っ赤な耳。このヘタレ、そう心の中で罵った。あれだけ夜は言いたい放題のくせに、肝心な場所で黙るんだ。でもそこがどうしようもなく愛おしい。きっと本人はそれを気にしてるだろうが、私からすれば可愛くて堪らないものだった。言葉じゃない、行動が何よりも愛を感じる。部屋を出たカドックを見て、ちらっとスマホで本数の意味を調べた。――これは口ではいえないだろうな。
「ほら、早く。外でタクシー待ってるから」
玄関から聞こえる催促は、未だ照れ隠しを含んでる。
「今行く!」
パタパタとドレスを引っ張って走った。しょうがないなといわんばかりに差し出されたのは、手ではなく腕。今日はエスコートしてくれるようだ。その姿に嬉しくなって腕を組む。
あぁ幸せだな。そう立香は思った。それを伝えるべく腕を組んだ先の、真っ赤な顔に声をかける。
「私、カドックと出会えて幸せだよ」
それは薔薇の本数の答え。さては調べたなという視線が降ってきた。けれど気にしない。むしろニコニコ笑って見せた。するとカドックは目を反らす。絶対にこっちは見ない。そのまま真っ赤な顔で口を開いた。
「……あぁ、僕もだ」
調べた時にもう一つ出てきた、永遠の愛というフレーズ。それはあえて口にしない。それは今じゃなくていいから。――それは……それだけはカドックから聞きたかったから。胸に溢れる思いが愛おしくて、それを伝えるようにぎゅっと彼の腕を掴んだ。