花開く煙花「花火くらい二人で見てあげて」
そう遠見さんに言われたから、仕方なく、あくまで仕方なく、真壁一騎と一緒に海岸の中でも人気のないスポットに向かっていた。
しばらく歩いているが、真壁一騎は黙ったままだった。たまにちらっと様子を伺ってみても、いつも通りの無表情で何を考えているのかさっぱりだ。
喜んで、る、のか……? 喜んでいないのなら、とんだ無駄足になってしまうのだが。
「総士」
「え? ぅわっ!?」
名前を呼ばれたと思ったらだき抱えられていた。しかも俗にいうお姫さま抱っこという形で。
いきなり何をするんだという僕の文句は打ち寄せた白波に飲み込まれる。真壁一騎の膝下までを濡らした波が、僕が今し方つけた足跡を消し去りながら返っていく。……いつの間にこんなところまで波が来ていたんだろう。
「あまり波打ち際を歩くな。風邪を引いたら大変だ」
「多少濡れたくらいで風邪なんか引くもんか。というか、お前こそずぶ濡れじゃないか」
真壁一騎が身に着けているのは淡い灰色の浴衣だった。アルヴィス制服で行こうとしたところを「せっかくのお祭りなんだから」って遠見さんと美羽に押し切られているところを見かけた。おかげで僕まで浴衣を着る羽目になってしまった。
真壁一騎がアルヴィス制服以外を着るのは本当に珍しい。だからだろうか、雰囲気がいつもと違って少し、ほんの少しだけ……緊張、する。
「俺は大丈夫だよ。ありがとう」
「っ、別にお前の心配をしたわけじゃない!」
少しだけ嬉しそうに微笑んだ真壁一騎が見当違いなお礼を言うから、慌てて訂正を入れる。せっかくいつもと違う服を着ているのだからもう少し気をつけて欲しいという話で。いや、制服だから汚していいということでもないけど。
「というかいつまで抱えてるつもりだ! いい加減下ろせ!」
「ダメだ」
「なんでだよ!?」
全力で暴れてるのに真壁一騎は全然体勢を崩さない。むしろ僕の肩を抱く手に余計に力がこもった気がする。くそ、馬鹿力め……!
「あ」
「な……、っ!」
急に足を止めた真壁一騎に何かあったのかと聞こうとした僕の声を掻き消して、ドン、という轟音が響き渡る。辺りが鮮やかな光に照らされた。突然のことに反射的に身を固くしてぎゅっと目を閉じる。その瞬間、形容しがたい気持ち悪さに襲われた。この感覚は知ってる。不本意だけど最近慣れてきた、空間を移動するアレだ。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、案の定さっきまでとは違う景色が目に入った。足元に広がっていた砂浜はなくなり、代わりに黒い波が揺れている。
……波? なんで?
「ちょ…っ、どこだよここ!?」
「岩の上、かな」
「岩!?」
混乱する僕の声を掻き消すように、また夜空に鮮やかな花が咲いた。心なしか音が近くなった気がする。
状況を把握するためにざっと辺りを見渡してみた。暗い。とにかく暗い。その中で、正面の遠くに見えるところだけが明るくて。……というか、あっちがさっきまでいた砂浜じゃないか? もしかしなくてもここ、海の上なのか?
どうやら僕は、海上に顔を出す岩の上に座った真壁一騎に横抱きされているみたいだ。下が海だと把握したからだろうか、落ちることへの恐怖が芽生え、ほぼ無意識の内に右手で真壁一騎の胸元の合わせを掴んでしまった。
「総士」
柔らかい声で僕の名前を呼んだ真壁一騎が、僕の右手を取って自分の首の後ろへと誘導する。不本意だが胸元を掴むよりは安定するから、黙って従った。
自然と距離が近くなって、少し、鼓動が早まる。
「寒くないか?」
「……暑いくらいだ」
「そうか」
安心したように呟いた真壁一騎は、それきりまた黙り込んだ。いつもこうだ。二人きりになると気まずい沈黙に包まれる。僕らの間に楽しい話題があるわけではないし、当然の結果なんだけど。
ドン、と三度目の轟音。四度目、五度目と、徐々に合間が短くなっていく。おかげでいつもなら耐えられない沈黙も気にならなくなってきた。
色とりどりの光が絶え間なく暗闇を照らし続ける。刹那の内に咲いては散る大輪の花たち。
「……綺麗だ」
自然と言葉が溢れた。率直な感想だ。鼓膜だけではなく全身を揺らすような轟音も、段々心地良くなってきた。
「そうだな」
ぽつりと、言葉が返ってくる。ともすれば轟音に掻き消されてしまうのではないかと思うくらいの静かな声。独り言を拾い上げられたことに驚いて、思わず真壁一騎の方を見てしまった。
すぐ傍にある横顔は空を見上げていた。その表情は声と同じでとても静かなものだ。無表情、というわけではない。ただ、何を思っているのか全く読み取れない。元々感情を表に出すタイプじゃないのかもしれないけど、それにしたって分かりにく過ぎる。
……なんで遠見さんは僕とこいつを二人きりにしたんだろう。遠見さんや、喫茶店で働いてるあの二人と一緒にいるときの方が、よっぽど楽しそうなのに。
「総士」
「っ、なんだよ」
不意に名前を呼ばれて一瞬言葉に詰まる。僕が慌てて顔を空へ向けるのと、真壁一騎が僕の方を見るのはほぼ同時だった。
「祭り、楽しかったか?」
「……悪くはなかったんじゃないか」
「なら、良かった」
それまでとは違う、優しい声。そこに込められた感情が気になって、目だけで表情を伺ってみる。
真壁一騎は、笑っていた。それは、遠見さんや喫茶店の二人にすら向けてるところを見たことがない、はじめて見る類いの笑顔。
―――いや、はじめてじゃない。僕は以前にもこの表情を見ている。
『大きくなったな、総士』
ああ、そうだ。あの島で会ったときも、真壁一騎は今と同じように笑っていた。その笑顔の理由も、意味も、僕には分からない。だけど、僕にだけ向けられる表情があるというのは……悪くない、と、思う。
何度目かの轟音。真壁一騎が視線を空に戻したから、少しだけ顔を動かしてまだ笑みを残したままの横顔を見つめる。空を彩る光に照らされたそれは―――
「きれい、だ」
「ん?」
「っ……!」
何を口走っているんだ僕は。一度ならず二度までも思ったことをそのまま口に出すなんて、ちょっと気が緩みすぎじゃないのか。……なんで気が緩んでるんだ?
「何か言ったか?」
「言ってない! 花火に集中しろ!」
顔を覗き込まれたことに動揺して、肯定したも同然な反応をしてしまう。不思議そうな顔をした真壁一騎だったが、それ以上追及することはなく、素直に煙火が咲き誇る空へと目をやった。
危なかった、色々と。
懲りもせず盗み見た横顔はやっぱり綺麗で、そんなことを思ってしまう自分に驚いた。いつの間にか騒ぎはじめた心臓をどうにか抑えようと胸元に当てた左手は、ひどく汗ばんでいる。
どうやら花火大会はまだ続くようだ。早く終わって欲しい。胸の奥に生まれた正反対の気持ちから、目を背けられている内に。