【マイブーム】
学生のファイノンには最近ずっとやってるゲームがあった。それは育成ゲーム、部類的には乙女ゲーに近いのだが自分としてはあくまで育成ゲームとして進めているつもりだった。正直に言おう、僕は今このゲームに登場するあるキャラにゾッコンだった。別に恋愛だとかそういう方向では無っ…いとも言い切れないのかもしれないけれど、根本としてはなんとなく。ただ、なんとなく、自分にとって彼のその無垢な優しさに憧れと尊敬と、ちょっとだけ心酔っぽいのをいだいてしまっていた。結構癖が強いって言われてるけど、そこがまたすごく面白くて愛くるしいと思うんだ。
葦毛色の少しだけ耳にかかる髪と、スッと落ち着いた金色の瞳。立ち絵のようにじっとしているとクールそうにも見えるのに、彼との会話のシーンになった瞬間、乙女ゲームという本来を忘れてしまう程にパッションに満ちたワードが飛び始める。…想像がつきにくいよね。例を挙げるならデートに誘ったら最も好感度の上がる選択肢に、”ゴミ箱との会話”というのがでてくる。そんな感じだ。
とまぁ、かなり濃いキャラをしてるのだけどそれが”穹”という青年だった。彼の突拍子もないところはあるけど、逆にそれが活かされて他のキャラだと通らない道を通り、本来なら埋もれかけたような小さな助けの声にも彼は手を差し伸べるシーンが多かった。
理由とか細かいことも尋ねず、時折混じるジョークも気を緩めて。気づけば僕は彼のファンになっていた。
特に誰に言うでもなく、密やかなマイブームとして日々の中に彼を組み込んでいたのだけど…
僕は、自分の部屋に入るなり慌てて扉を閉めて出てしまった。
「……え?」
動揺とドクドクと打つような心音、両方が一気に大きな波のように訪れて、自分の呼吸は速くなり少しだけ手は震えていた。
今日は少し涼しいくらいだったはずなのに、今の自分はせりあがった熱に汗とシャツがくっついたかのようで、ドアの前の窓から見える鮮やかな青と金の混じった長い夕焼けの空が、少し早い夏の到来を知らせている。
一度大きく深呼吸をして、自分の腕をつねる。
…ちゃんと痛いには痛いけど、気のせいかと言われればそんな気もする。
背負っていたスクールバックを降ろして、そのまま部屋のドアに背をつくようにして座り込んだ。
外からは自転車のベルの音がしていた。なんでもない日常、きっと現実に違いない。
けどさっき目にしたことはきっと現実じゃないのだ。…僕は、彼のことが好きすぎてとうとう幻覚でも見るようになったのかと、首に伝った汗を左手の甲で拭った。
「はぁー…」
うなだれて息を吐く。短いバイブレーションの鳴るスマホを無視して、僕は両手で顔を覆った。心音は元に戻り、息も整ってさっきよりは落ち着いていた。
ゆっくりと手を放し顔を上げる、沈む前の太陽は眩しいけれど昼とは違う色彩で熱を浴びせに来ていた。
僕は部屋のドアにもう一度手をかけて、ゆっくりと開けた。
自分の幻覚、そんな素晴らしいことがあっていいはずがない。
脳内は腹の底にある意思とは正反対で、自分の心を守るかのように見たことを否定しようと踏みとどまっていた。
キィという普段なら気にも留めない扉の音、見慣れているはずの自分の部屋はまるで現実味がなくて、踏み込むことすら躊躇う。そして僕はもう一度視線を、さっきと同じように自分のベットへと向けた。
「あ…」
葦毛色の髪と、なんども見てきた黒い大きめの上衣。そして瞳は見えないけれど、横たわって眠る姿は初めて目にしたはずなのに、馴染みがあるかのように納得できて自分の想像通りだった。
僕は呆然とその場で足を止めた。
静かな夕方、この部屋に今聞こえる音は自分の心音と彼の寝息だけ。
こんなこと、あっていいはずがない。
けど僕は、その人型にへこんだベットシーツと微かな身じろぎで動いた服のしわに確信せざるを得なかった。だって、どれだけ否定しても目の前には”彼”がいる。
自室のドアの向こう、窓から差し込んだ沈みゆく金色の太陽に背を向けて僕は、ゆっくりと。
部屋の扉を閉じると誰にも見つからないように、ガチャリと鍵をかけた。
この家には元から自分しかいないはずなのに。