さめししワンドロ第29回題「笑顔」より 村雨礼二が笑っている。本人としては鼻歌が出そうなほど上機嫌なので笑みが収まらないだけなのだが、同じ空間にいる者にとってはいささか気まずい。笑っている顔が怖いのだ。仕事場の人間であれば避けるし、道を歩いていても避けられる。だが真経津には逃げ場がなかった。ここが自分の家だからだ。飽きたもので溢れる家に友人一人残して少し外に出る事に抵抗はないが、出会ったばかりの頃とは事情が異なる。
仲が深まれば関係性も変わるというもの。それは真経津と担当行員の話でもあるし、友人たちとの話でもある。皆、真経津と会った時よりも数段面白い。それは喜ばしい。
集まると決めたのは真経津だった。いつもの面子に声をかけ、集まれる者のみ集まる。叶黎明と天道弓彦の二名は仕事の都合で来られず、獅子神敬一からは一回渋ったものの了承の返事が来た。村雨は医者であるからして都合をつけるのが最も難しいのであるが、夜勤明けなので可とのことだった。獅子神がいるからこそ来ることを決めたのであろう。誰かの家に集まる時に獅子神の出席が確定するというのは、満足に足りる味と量の食事が約束されたに等しいからだ。
想定外だったのは昼頃から集まる予定だったのが、夜勤明けの村雨がほぼそのまま来た事だった。一回獅子神の家を経由して二人で来ればいいのにと思いながらも迎え入れた。そのうち寝るだろうなと思っていたからだ。
そういえば三人だけで集まるのは始めて会った時以来かな。そう思いながらオレンジジュースをすすり、村雨を見る。着いた時から今現在までの三十分あまり、村雨はずっと顔に笑みを浮かべたままだ。真経津が一応供したジュースに口をつける時も顔が固定されている。なんらかのペナルティーである可能性もあるが、そうではないということはなんとなくわかる。検討もついているが、なんとなくつついてあげる気になれない。
「……フ、フフ」
「…………」
「フフ……ジュースがなくなった。貰うぞ、真経津」
「ああうん、どうぞ」
村雨は慣れた様子で冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、自分のコップに注ぐ。村雨が自分で持ってきたものなのだから好きにすればいい。とは思っても言わない。値段などは関係なしにお持たせという意識なのだろうから。この男は基本的に育ちがいいのだ。
「ねえ、そんなに聞いてほしい?」
「獅子神の愛想笑いを偶然目撃し、それを指摘したら驚いたあと恥ずかしそうに悪態をつかれた事についてか?」
「全部言ってるよ」
「ちょっとしたパーティーとやらの帰りだったのだろうな、男女どちらの誘いも社交辞令と訓練された笑みで躱していた。あの男は表情筋もよく鍛えられている。いつもは見られない表情故、二人きりの時に求めたら悪態をつかれたというわけだ。フフ、照れ隠しも可愛らしい男で実に楽しい」
水を向けたつもりはなく、ほぼ皮肉のつもりだった。獅子神が来たあとで気の済むまでやってほしいという意思も込めていた。村雨がそれを読み取れないはずはないが、意図的に無視をしたか獅子神への気持ちが走りすぎて視野狭窄になっている可能性はいる。後者だろうなぁと思いながら、ぺらぺらと語り続ける村雨を横目にスマホを取り出す。
『獅子神さん早く来て』
『来ないと獅子神さんの笑顔についての講義が終わらないよ』
大学教授でもないし医者の仕事でもここまで喋りはしないだろう村雨先生は未だに語りをやめない。
『あいつ何言ってんだよ、とりあえずなんか食わせて一回寝かせろ』
「……わかってるけどわかってないなぁ」
うーん、と短く唸り、部屋にあったチョコなどを渡してみる。誰かが持ち込んで置いていった菓子だ。
少しでも寝てくれたならラッキー、寝てくれなかったら獅子神に早く来るようメッセージを送るだけだ。笑顔にまつわる賭けにならないゲームは果たしてハイになった村雨の勝ちであった。