全身を包む熱気、背中にじわりと広がる汗の感触、カーテンの隙間から差し込む日差し。遠くからは車の走行音と、蝉の鳴き声が聞こえる。暑さで寝苦しいながらも、眠気が勝ってしまう微睡みの中で、嶺二は今日がオフだと思い出し寝返りをうつ。日差しに背を向け、腕を前に出すと、すぐ隣の温もりに触れた。薄く目を開くと、こちらに顔を向けるように眠っている蘭丸が見えた。普段の、セットされた髪型とは異なり、あどけなさが見えるサラリとした銀髪。その隙間からは、長いまつ毛が下を向いている。ぐっすりと眠っているその寝顔は、普段の彼の気の強い態度からは想像出来ないような、緩んだ表情……無防備とも言える表情をしている。薄く開いた口からは、小さな寝息が聞こえる。カーテンから差し込んだ日差しは、蘭丸の白い肌のその首筋を照らす。嶺二はその日差しの当たる部分をなぞるように、指先を滑らせる。首、鎖骨、肩、胸……どくん、どくん、どくん。手のひらを伝う、心臓の音。その音が、自分の呼吸とシンクロするような感覚を覚えると、まるで身体のつながりはなくとも、蘭丸と一つになれたようにも思え、嶺二は安心感に包まれた。そうしているうちに、目蓋がゆっくりと視界を落とす。嶺二は蘭丸の胸に頭を埋めるように、寄り添って眠りについた。
* * *
「1/fゆらぎ?」
「スペクトル密度が周波数fに反比例するゆらぎのことだよ」
「うーん、ごめんアイアイ。ちょっとおバカなぼくちんにも、わかりやすく教えてくれない?」
「人間にとって心地よく、心身に良い影響を与える音声のこと。ほら、水の音とか自然音がヒーリング効果を与えるって言うでしょ。リラックスできる音に言われてる」
「1/fゆらぎを持つ歌声というのもあるだろう。美風みたいな歌声は、それに値するのではないか?」
「え! そうなの!?」
「それはどうかな。専門家に検証されたことないから、わからないけど。でも、ボクが思うに、トキヤみたいな歌声をそう言うんじゃないかな」
「ほう、一ノ瀬か」
「過去に1/fゆらぎを持つ歌声と言われた歌手の傾向から仮定して、だけどね」
「リラックスする歌声かあ〜……」
「熱苦しさが取り柄の黒崎には難しい話だな」
「馬鹿にしてんのかおまえは」
「カミュ、やめなよ」
「ランランも着席着席〜」
「で? その1/fゆらぎが何だってんだ」
「ボクたちの音楽でも出来ないかなと思って。ボクたち四人のハーモニーで目指したい、新しい方向性」
「新しい挑戦か……悪くねぇ」
「いいね! ぼくもワクワクしてきた!」
「では、各々に持ち帰りということだな」
* * *
――君はどんな時に音楽に触れる?
「アロマキャンドル?」
ベッドのサイドテーブルに置かれた、手のひらサイズのアロマキャンドル。小さな灯火は、薄ピンクのロウぼんやりと照らし、ほんのりローズの香りを漂わせる。
「ちょっと女の子ものすぎたかな。香り、苦手だった?」
「いや、別に」
部屋の明かりはアロマキャンドルのみ。その明かりを頼りに、蘭丸は嶺二の腰掛けるベッドの隣へと寄り添った。
「おまえの趣味」
「……も、あるけど、昼間の話だよ」
「昼間?」
「1/fゆらぎ。炎のゆらぎもその一つなんだって」
蘭丸は嶺二の身体を抱き寄せ、耳元に口付ける。
「んもう、なになに? 今日は甘えたさんかな?」
「落ち着く」
「え?」
蘭丸はそう言って嶺二を抱き寄せたまま、ぼんやりとキャンドルを見つめる。色の薄い瞳にゆらめく炎の橙が写る。ステージライトを浴びる燦然とした輝きでも、ネオンライトを写す魅惑的な眼差しでもなく、宝石箱の中にずっと閉じ込めていた名も知れない宝石のような、唯一無二の煌めきも見せていた。
嶺二はその横顔に手を添えると、蘭丸も素直に応えるように顔を近づけて唇に柔らかく触れた。……何が君をそうさせたかな? 香り? 炎のゆらめき? 妬いちゃうな何だか。
蘭丸は顔を離すと、嶺二の横髪を手ですきながら、その輪郭をなぞるように触れる。その手のひらが、首筋に流れる。蘭丸は、嶺二を仰向けに押し倒して、その胸の上に耳を当てるように覆い被さった。
「ちょっとちょっと、ランラン急に――」
「うるせぇ、黙れ」
「なんで!?」
蘭丸はそのままの体勢で、黙ったままだった。嶺二は仰向けのまま、顔を軽く上げ、蘭丸の頭頂部を見る。蘭丸の行動の真意がわからないまま、何となくその頭を優しく撫でる。キャンドルのぼんやりとした明かりは、その銀髪をきらりと照らす。
「……リラックス、効果……」
「へ?」
「……1/f……ゆらぎ……おれ、は……これ……だ」
途切れ途切れの言葉を蘭丸は呟く。そのまま、まるで赤子のように眠りに落ちてしまった。嶺二は覆い被さった蘭丸をゆっくりと動かして、ベッドの上に寝かせる。その頬に口付けをし、なんだか気がもやついたまま、スマホで1/fゆらぎを検索する。
――1/fゆらぎ、小川のせせらぎやそよ風、蛍の光など自然の中の癒しのリズムのこと。人間の鼓動も同じリズムを刻むことから、体に快感を与えるリズムとして知られています。炎のゆらぎもそのひとつ。
人間の鼓動。嶺二は思わず自分の胸を押さえてから、隣で眠る蘭丸を見る。……おれはこれって、ランランってば、かわいいなあ。
嶺二はアロマキャンドルの明かりに写る、隣の愛しい寝顔を見つめてから、明かりを吹き消し、隣の鼓動に触れた。
どくん、どくん、どくん。炎のゆらめきにも似た、安らぎを与えるリズム。その音を聞いて、ぼくたちは眠りにつく。ミューズは多分、そこに宿る。