蒼生と獣人族による対面情報交換会 来る蒼生の視察の日、獣人族の二人と蒼生との面談には、氷船と海晴も同席した。獣人族がこれまで氷船たちに話したことと、これから蒼生に話すこととで、齟齬があれば指摘してほしいとのことだった。
さすがに蒼生を物置小屋には招けないので、村長や重鎮たちが使っている山小屋を精一杯小綺麗に片付けた上でそこに蒼生を招き、獣人族の二人を呼んだ。蒼生が上座に腰を下ろした脇には、護衛の人間が左右に一人ずつ付いている。氷船は、現実味のない気持ちで山小屋の壁際から会談を見つめた。
蒼生の付き人が獣人たちの名前を確認して、信と正義がそれぞれに頷く。先日信が繕った花葉色の――獣人族の装束を再び纏った信と正義に、蒼生が静かに尋ねた。
「――教えてほしい。あの日、お前たちに、この村に、何があったのか」
一方で、氷船たち自身が分かっていなかったことも、蒼生は説明してくれた。鬼族と獣人族による襲撃は、鬼人族に加えて人間族と鬼族の重鎮――蒼生や紅蓮、その護衛など――も住まう鬼人族の都が始まりだったらしい。やがて鬼族は人間族の領地にも侵攻し、氷船たちの住む村や、他にも領境近隣の村が被害を受けたという。鬼族の侵攻を都で食い止められなくてすまない、と、蒼生が頭を下げて村長や長老が恐縮していた。
信や正義も元は鬼人族の街で戦っていて、しかし鬼族の裏切りにより族長が命を落としたために、その族長と側近の骸を担いで氷船の村の近くまで落ち延びてきたという話だった。あの骸は族長と側近だったのか、と、氷船は信と一緒に倒れていた少年と獣を思い出す。若い族長だったのだなと、氷船は胸の中で呟いた。
また、氷船の村をはじめ、鬼族の侵攻を受けた集落には、蒼生の母方にあたる人間族の武将たちが軍勢とともに駆けつけていた。おかげで侵攻はそこで食い止められ、領境から少し離れた村や都はほとんど無事だ。氷船たちも、その無事な地域から食糧などを分けてもらっている。
そして、人間族の村における獣人族の戦いぶりについては、駆けつけた将兵たちからも証言が上がっている。曰く、最初は人間族への侵攻というよりも鬼族と獣人族と不気味な怪物の三つ巴に見えたこと、好んで人間族を狙っていたのは鬼族であったこと。怪物の牙や爪を必死に止めようとしていた獣人族は人間族には目もくれなかったが、結果として人間の村人が怪物から逃げ延びた例もあること。
「獣人族のことは……俺も、凪左から聞いている。鬼族が、獣人族の子どもたちを怪物に変えていたと……それから、小さな子どもと仔猫が、捕らわれていた子どもたちを救い出して獣人族領に向かったと」
蒼生がそう言った途端、信が弾かれたように顔を上げた。反射的に腰を浮かせた信を蒼生の護衛が棍で制して、そこで信は我に返ったようだった。信は、棍の先を向けられながら座り直すと頭を下げて言った。
「……それは私の弟です。新たな族長に、私の弟が付き従っています。……彼らがどうなったか、ご存じなのですか」
山小屋の壁際で、氷船はぱちりと目を瞬いた。獣人族の中でそれなりに立場のある者やもと思っていたが、信は族長の側近家系なのだろうか。
信が座り直すと、向けられていた棍も下がる。蒼生は、護衛たちに問題ないと頷いてみせてから信に向き直って答えた。
「残念だが、我々人間族が分かっているのは、彼らが獣人族領へ向かった……というところまでだ。鬼人族領内にある鬼族の屋敷を出て、領境の森へ入ったところまでは、凪左……うちの医者と、その付き人が子どもたちを護衛した。だが、鬼族の追手を撒くために、やむなくそこで二手に分かれたと」
「……、そうか……」
蒼生は表情を曇らせ、ぴんと立って蒼生の返事を聞いていた信の耳もへたりと下がる。その隣から、正義が改めて蒼生に平伏した。
「……十二分に有難いことだ。亡き前族長に代わり、御礼申し上げる。……一度森に入ったならば、我らが獣人族の子は、他の種族には負けますまい。蒼生殿も、その凪左なる御仁たちも、どうか悪い想像で気に病まれませぬよう」
顔を上げた正義の表情は、穏やかながらも自信に満ちている。それが本心なのか、願望を込めた虚勢なのかは氷船には分からなかったが、蒼生と信はその言葉で気を持ち直したようだった。蒼生は明るい顔で笑う。
「――そうだな。森とともに生きる獣人族なら、心配は無用か。子どもたちを護衛した凪左と雨水にも、貴方たちの言葉を伝えよう」
それから、蒼生と正義・信は、いくつか認識の摺り合わせをしていた。鬼人族の都にある鬼族の屋敷に獣人の子どもたちが預けられていることは蒼生も知っていたが、鬼族が怪しい実験をしていたことまでは知らなかったこと。獣人族が鬼族側についていたのは、獣人族全体への食糧支援や子どもたちの治療と引き換えだったのではないかということ。
蒼生の確認に、正義は三角の耳を少しだけ震わせた。
「……引き換え、というのは、少し違う。そういう要求をされたわけでも、約定を交わして食糧を受け取ったわけでもない。今にして思えば愚かなことだが、純粋に……恩義に報いるためと思って、俺たちは鬼族に手を貸した。……同時に、人間族への不信もあった」
「不信?」
蒼生が首を傾げ、左右の護衛たちが棍を構え直す。正義はその場に平伏して尋ねた。
「無礼を承知でお尋ね申し上げる。人間族が、竜人族に毒を盛ったという話は本当か。――我々は既に、一度鬼族に騙されている。同じ轍を踏むわけには行かぬことをご理解頂きたい」
恥を忍んで血を吐くような正義の声に、信もまた平伏する。蒼生は小さく息を吐くと、左右の護衛に棍を下げさせた。
「……。そうか。そういう伝わり方をしていたんだな……」
蒼生は悔しげな顔で言って、それから、少しずつ噛んで含めるように正義の問いへ答える。
「今は捜査段階で、まだ真相を掴めたわけではないが……。まず、竜化して暴走した――毒を盛られたと見られる竜人族が、一人ではないことをご存じだろうか。被害者が複数であることから、毒を盛った者も複数いるという想定で調査を進めている。そして、複数人での犯行なら、鬼族と人間族の両方が関わっている可能性は否定できない。鬼族と人間族の両方が住まう、鬼人族の都での出来事、だからな……」
「……。噂は噓でこそなくとも、全容でも確定でもなかったのだな。無礼な問いにもお答え頂き、感謝申し上げる」
顔を上げて蒼生の言葉を聞いていた正義が再び平伏し、蒼生がほのかに苦笑してその頭を上げさせる。
「いや。こちらも、獣人族側にどのような話が伝わっているのか、知ることができてよかった。その上、訂正の機会まで貰えたなら、こちらにとっても僥倖だ」
それから、蒼生は氷船と海晴に獣人族の話が一貫していることを確認すると、立ち上がって宣言した。
「そちらの事情は分かった。人間族は、この乱に関して獣人族には処罰や責任を求めない」
信と正義の耳が驚愕に揺れながらピンと立ち、護衛や村長が目を剥く。海晴はぐっと唇を噛んで顔を背け、護衛の一人が慌てた様子で声を上げた。しかし、蒼生は毅然として答える。
「蒼生様!」
「俺たちが獣人族を罰するのなら、鬼族の血を投与されて苦しんでいただけの獣人の子を手にかけた俺たちも、獣人族に罰されなきゃなんねぇ。でも、あのとき必死に戦った村の人や武将たちに、罰だなんて言えねぇだろ?」
「それは……」
確かに、と、護衛はそのまま引き下がる。目を剥いていた村長もまた、ううむと唸って考え込んだ。蒼生は正義と信のほうを向いて続ける。
「そして、獣人族の貴方たちにも――俺たち人間族が、知らなかったとはいえ獣人の子どもたちを手にかけたこと、どうかこれで痛み分けとしてほしい。無念の気持ちもあるだろうが――」
蒼生が表情を歪めると、正義は静かにかぶりを振った。
「……仕方のないことだ。子らに眠りを与えてくれたこと、感謝する。だが……実のところ、俺たちに決定権はない。今の族長は縁だし、貴方の言葉を伝えに帰れるほど、我々の負傷も浅くない。温情は、本当に有難いと思っているが……」
申し訳ない、と、正義は頭を下げた。蒼生は穏やかに――氷船には、やや疲れているようにも見えた――笑って答える。
「構わないさ。まずは貴方たちに受け入れてもらえたなら、きっと新しい族長殿にも分かってもらえるだろう。……我々も復興中で、今すぐにとはいかないかもしれないが……いつか、縁殿と会って話せるときが来たら、改めて席を設けよう」
「そうして頂けるならば、有難い。何から何まで、申し訳ない」
正義もまたくしゃりと笑って、蒼生から獣人族への審問はそれで終わった。それから、信と正義の今後について相談が始まる。
本人たちの意志は、と蒼生が水を向けると、信と正義は顔を見合わせ、そして正義が慎重に答える。
「春になるまでは、ここに置いてもらえないだろうか。病み上がりに、冬の山越えは厳しい。山越えができる季節になったら、獣人族の里へ帰って、蒼生殿の言葉を仲間に伝えよう」
そうか、と頷いた蒼生が、次に村長と長老、海晴へ目を向ける。村長は判断に困っている様子で考え込んでおり、長老は、氷船たち村人がいつも見ている穏やかな顔のままだった。その二人が答えなかったからか、海晴が淡々と添える。
「……確かに、せっかく治療した命を、雪山なぞで落とされては不本意です。彼らを春まで保護するのは妥当と考えます。…………その上で、どこで保護するかですが」
海晴がちらりと蒼生を見て、それから正義たちをじろりと見やる。信が必死の様子で訴えた。
「許されるとは思っていない。それでも、せめてこの村に尽くしたい。……結様と盟を埋葬してくれた人、埋葬してくれた土地だ。その恩義を、果たさせてくれないか」
この通りだと、信が小屋の床に額を擦りつける。海晴が視線を揺らす一方で、正義は蒼生を見上げた。
「……信が残るならば、俺はどこへ行っても構わない。どちらか一人は、結様の近くに残したい。何か……遠くへ行く用事、この村を離れる必要があるなら、俺が務めよう」
覚悟の滲んだ正義の言葉と、じっと頭を下げたままの信、それからひとときの沈黙が簡素な山小屋の中にあった。誰もが考え込む中を、海晴の声が静かに貫く。
「前族長の眠る地を離れがたい、という気持ちは理解します。しかし、進んで人間族を狙わなかったのだとしても、獣人族もまた、この村を戦場としたことに違いはない。……村を離れ、戦を知らぬ土地で手当てを受けたほうが、彼ら自身も苦しまずに済むでしょう」
海晴の声はいつも通り冷静で、しかし、いつもより頑なで感情が薄い。普段、もっと血の通った海晴の声を聞いている氷船は、瞬きをして海晴の後頭部を見つめた。
蒼生もまた、何やらはっとした顔で海晴を見ている。護衛の片方が蒼生に何か耳打ちすると、蒼生は我に返ったようだった。それから、蒼生は獣人族の二人へ向き直る。
「村や避難状況の視察があるので、申し訳ないが今日はここまでで失礼する。貴方がたはもう休んでくれ。春までどこで過ごしてもらうかは、この村や周囲の村の状況も見て判断することになるから、すぐには決まらないことを許してほしい。……明日からしばらくは、隣村やその向こうの村を回るんだが……その後に、もう一度この村へ話を聞きに来ることを約束する。そのときには、春までのことを改めて決めよう」
「……承知した。ここまで親身になって頂き、感謝申し上げる」
正義が深々と頭を下げ、蒼生が護衛たちとともに外へ出ていく。しばらく誰も何も言わなかったが、氷船はどうも居たたまれなくなって、信と正義を促して彼らの寝床がある物置小屋へ向かった。
そうして氷船が山小屋を出た後、残った海晴は我知らず息をついた。次いで、海晴は村長と長老を振り向いて口を開く。
「僕は、彼らをここに置くのは反対です。村人のためにも、彼らのためにもならない。」
村の建て直しや焼けた物資の再入手・再作成など、人手も資源も足りていない土地に負傷者を引き留めるなんて意味も利点も皆無だ。自分や村人が獣人族を許せるか許せないかの話だけではないのだと海晴は主張したが、長老は長い髭を撫でながら穏やかに言う。
「しかしのう。石を投げられてでも族長のそばを離れたくないと言うのであれば、汲んでやっても良いのではないか。ほれ、狩りを手伝ってくれればと言っていたのは七雲じゃったか」
「……」
「怪我人は、あの獣人族の二人だけではなかろう。お前さんの理屈ならば、怪我をした村人も皆、一旦村を離れて治療に専念したほうが良い。……それを提案しないお前さんなら、あの二人がこの村に残りたがる気持ちも、ちゃんと分かっているのではないかね」
「しかし」
海晴がさらに言いかけたところで、村長がようやく口を開いた。
「……もうしばらく、蒼生様のご判断を待つ。問題なのは、獣人族ではなく鬼族ではないか? 彼らの耳や鼻、爪が、村の警備に役立つのであれば、村にも利がある。鬼族が再度侵攻してくる可能性はどのくらいか、その場合に将たちをどう動かすのか――次のときには、これらも蒼生様にお訊ねせねば。決めるのはその後だ。……両者の意見は留め置くが、今はどちらも、決め手にはできん」
村長の言葉に海晴はぐっと詰まったが、長老は対照的にふぉふぉと笑った。
「よろしい。頼もしい村長じゃ。それでは……蒼生様のお戻りを待つとしようかの。海晴も、一旦それで良いな?」
「……はい」
海晴はそこで引き下がり、彼もまたその山小屋を出て、簡易診療所へと戻った。
一方、仮で獣人族の寝床を置いている物置の山小屋に来た氷船は、信がそわそわ小屋の中をうろつく様子をやや呆れて見ていた。
「……落ち着けよ。今すぐにはどうにもならねえって、蒼生様も言ってただろ」
「そっ……れは、分かっている、だが」
信は顔の中身をキュッと中心に集めて眉尻を下げた。
「だが……」
「……」
押し黙る信から視線を下げ、氷船は、床に転がる木屑と小刀、作りかけの椀に目をやった。獣人族が器用なのか信が器用なのかは知らないが、村とともに焼けてしまった日用品を木工でさっさと作ってくれるぶんには助かっているのだ。村人の大半は、それを作ったのが信だとは知らないだろうが。
機会があれば蒼生様にそれを奏上してみようか、と思いながら、氷船は視線を上げて再び信を見る。
「蒼生様は、皆に慕われる方だ。人の気持ちを無下にはしないだろう。……村や、治療のことを考えて最適な判断をされるだろうし……仮に、お前たちをよそへやるにしたって、できるだけ早く戻れるようにしてくれると思う」
「……、……そうか……」
信はくしゃくしゃの顔のまま、作りかけの椀の前にどっかと座り込んだ。小刀を手に取って、しゃ、しゃ、と小気味よい音で木を削る。ただ、結局はそれも集中が続かないのか、信の動きは頻繁に止まって赤い耳ばかりがぴこぴこと動いていた。
しかし、物置の箱にもたれて安静にしている正義の耳は、落ち着き払ってあまり動かない。それらを見比べつつ、氷船が診療所で使う籠作りの作業を再開してしばらく、獣人たちの三角の耳が急に一方向を向いて止まった。
「――今」
耳と同じ方向を見た信と正義が顔を見合わせて頷く。氷船が彼らの視線を追っても、そこには小屋の壁しかない。だが、信がすぐに小屋の戸を開けて飛び出すので氷船も慌てて腰を浮かせた。
「おい、まだ外へ出るのは……!」
しかし、その氷船の手を正義が掴む。正義は、爪が剥がれて包帯だらけの手でありながら、容易には振りほどけない力で氷船を引き留めていた。氷船が振り返ると、正義は怖いほど真剣な顔をして一言一言しっかりと氷船に言い含める。
「氷船くん、すぐに大人を呼びなさい。猟師の発砲音が立て続けに聞こえたから、猟師に何かあったのかもしれない。信はそれを確かめに行った。長老か村長に伝えて、きみは海晴先生と一緒に手当ての準備を」
「……!」
氷船がさっと顔色を変えて頷くと、正義は氷船の手を離す。氷船もまた小屋を飛び出し、しかし信とは逆の方向へ駆け出した。